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第24話:水の聖痕
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 メイドの朝は早い。
 
 取り分け、専属をしているご主人様が居るメイドは寝坊を赦されないのだ。
 
 
「ご主人様〜、朝ですよ。起きて下さい」
 
 ユッサ、ユッサと揺さ振られているユート。
 
 眠るユート起こしに来たのは、何時ものアネットではない。
 
 アネットならば『若様』と呼ぶだろうが、ユートを『ご主人様』と呼ぶのは、現状でたった1人だけしか居なかった。
 
 最近になって此処、ド・オルニエール家で雇われた黒髪少女であるシエスタ、彼女だけである。
 
 シエスタはユートと同じ五歳とは思えない程の確りとした娘で、朝の早い仕事をきっちりと熟す為、先任のアネットが早くもユートを起こす役を譲ったのだ。
 
 もうすぐアネットは結婚して辞めるので、後継者となるシエスタを育てておかなければならないのだが、シエスタは嬉々として役目を受け継いだ。
 
 今日はその初日と云う事もあり、シエスタも張り切って起こしに来る。
 
 現在シエスタの格好は、トリステインの魔法学院のメイド服を小さくしたものであり、昨日仕上がったばかりの新品でユート自身が自ら仕立て屋に注文した。
 
 やっぱりシエスタはコレだろう……とは、ユートの弁だ。
 
 中々にしぶといユートに業を煮やしたシエスタ。
 
「ご主人様、いい加減に起きて下さいっ!」
 
 一気に布団を剥ぎ取るという荒技を仕掛け……
 
「な、な、な……」
 
 ピキン! と思わず硬直してしまった。
 
 ユートの隣にで彼よりも小柄な、肩まで掛かる銀髪の少女が眠りながらしがみ付いているのだ。
 
「をしてるんですかぁ! ユーキ様っっ!」
 
 シエスタは顔を真っ赤に染めると、大きな声で怒鳴り付ける。
 
「うんあ? ああ、朝か」
 
 当の本人は、何食わぬ顔で目元を擦りつつ欠伸をしながら起き上がった。
 
「お早う、シエスタ」
 
「お早う御座います。で、何故ユーキ様が、ご主人様と同じベッドで寝てるんですか?」
 
「何だよ、妹がお兄様とのスキンシップで、一緒に寝てただけだじゃんかぁ? カリカリするなよ。何なら明日からシエスタが添い寝をしてみるかい?」
 
 からかう様な口調で言ってみるユーキの科白に……
 
「なっ!?」
 
 シエスタの頬がこれ以上は無いくらい紅くなった。
 
「〜〜〜っ! ば、莫迦な事を言ってないで早く出て下さい! 大体、妹は妹でも義妹、血は繋がってないじゃありませんか!」
 
「気にするな。尚、ボクは気にしないさ」
 
「気にして下さい!」
 
 シエスタの抗議にも笑いながら応え、さっさと自分の部屋へと戻る。
 
 勿論、着替える為だ。
 
「ハァ……」
 
 シエスタは溜息を吐き、再びユートを起こしに掛かった。
 
 今度はすんなり起きる。
 
「お早う、シエスタ」
 
「はいお早うございます、ご主人様」
 
 シエスタは笑顔と共に、優雅な一礼をするが、若干顔が赤い。
 
 何気に先程の話が尾を引いているらしかった。
 
 だけど何故か、ユートも少し紅潮している。
 
「あ、あのさ……」
 
「はい?」
 
「添い寝、してくれるのかな?」
 
 ボンッ!
 
 ユートが言った途端に、まるで瞬間湯沸し器の如く湯気を上げて、真っ赤になってしまった。
 
「ご、ご、ご、ご主人様? さ、さ、さっきのユーキ様とのお話し、訊いてらしたんですか!?」
 
「そりゃ、あれだけ大声で叫ばれたら起きるよ」
 
「はわ、あばばばば……」
 
 その余りの慌てっぷりが可愛いかったが、いい加減にしないと朝餉に遅れる。
 
「シエスタ、そろそろ着替えるよ」
 
「え? あ、はい!」
 
 ユートの言葉で熱が覚めたらしく、専属のメイドとして仕事を始めた。
 
 その仕事内容はズバリ、お着替えである。
 
 原作に於いて、ルイズが言っていたアレだ。
 
『平民のあんたは知らないだろうけど、貴族は下僕が居る時は自分で服なんて着ないのよ』
 
 まあ、実際の処は多少違うのだが……。
 
 本来は仕事の分譲、自分で出来る事も他人に任せて時間を空け、その分を別の何かに充てる。
 
 ハルケギニアみたいな、王候貴族が跋扈する封建社会では、これは至極普通の考え方だ。
 
 尤も、ハルケギニアの様な貴族が驕りを以て体現した世界では、間違った方向性に逝くきらいも在るが。
 
 ユートは寝間着を脱ぎ、替えのパンツを履く。
 
 その後シエスタがズボンを履かせて、更には上着を着せてくれる。
 
 原作を読んだ時は、正直言ってどうかと思ったが、中々に良かった。
 
 何が良いって、着替える際に身体のあちこちを触れられ、微妙にこそばゆい。
 
 相手が男だとそうでも無いのだが、これが異性だと思うと擽ったくて、何だかとても心地好い。
 
 アネットも丁寧にしてくれていたが、シエスタなど何処で覚えたのか──恐らくは弟相手に──着替えさせるのが上手かった。
 
「(けど、流石にもう少し大きくなったらやめておいた方がいいな)」
 
 ユートはそう思う。
 
 何故なら、あと数年後には精通する。
 
 そうなればシエスタに触れられて、勃たない自信が全く無かったからだ。
 
 今だからこそ出来る事であると割り切ってるから、現在はやって貰っているのだから。
 
 着替えが終わると、食堂へと移動する。
 
「それじゃあ、シエスタも武雄翁を連れて食事に行って来なよ」
 
「はい、それでは一時失礼致します」
 
 これが日常。
 
 ユートとしては、親密度を上げてもう少しざっくばらんに遣りたい処だった。
 
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 
 
 【食後】
 
 朝餉を済ませると、今日の予定を報告し合う。
 
 これはある意味で一種の朝礼みたいなもの。
 
 ユートが幼いながら仕事を始めた為、息子の動向を把握すると同時に、自分や妻のしている事を教えるという意味合いもあった。
 
 とはいえ、大抵は同じ事を繰り返している訳だが。
 
「お兄様、ラグドリアン湖に行ってみませんか?」
 
「は? ジョゼット、何を行き成り突拍子も無い事を言ってるんだよ?」
 
 因みに、ユートは両親の前では普通にユーキの事をジョゼットと呼ぶ。
 
「お兄様は温泉を造っているのでしょう?」
 
「そうだけど……」
 
「それなら、ラグドリアン湖の水の精霊の御加護を授かれば、普通よりも健康に良い温泉になりますよ? だって彼の精霊の一部の、精霊の涙は水の秘薬の材料になるのでしょう?」
 
 ジョゼット……ユーキの言う事は間違いではない。
 
 確かに水の精霊の祝福を少しでも獲られれば、温泉の成分も一層の効果が獲られる筈だ。
 
 協力をして貰えればの話しではあるが、ダメ元での交渉をするのも悪くない。
 
「然し、それなら交渉役をしているモンモランシ伯爵に頼まねば、水の精霊とて出て来てはくれまい?」
 
 そうサリュートは言うがユーキは何食わぬ顔だ。
 
「お父様。多分、大丈夫ですよ。駄目ならモンモランシ家を頼りますから、手紙を書いて欲しいですけど、取り敢えずは行って試してみましょう」
 
 結局はユートとユーキの2人がシエスタを伴って、ラグドリアン湖へと向かう事になった。
 
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 
 
 ラグドリアン湖に向かったのは、サリュートを含んだ少数だけ。
 
 ユリアナは今回も留守番でご立腹だったが、何とかサリュートが宥め透かして納得して貰う。
 
 帰ったら夜が大変そうだと思ったサリュートだが、それは仕方ない犠牲であると諦めた。
 
「此処がラグドリアン湖なんだぁ」
 
 ユーキがとても眩しそうな表情で、ラグドリアン湖の湖面を観ていた。
 
 その光景は現代の日本では中々あり得ないくらいの美しい景観で、ユーキはあの牢獄から早めに解放してくれたユートに対し改めて感謝をする。
 
 あの侭自分の計画を貫けば出れたかも知れないが、あと12年は代わり映えしない修道院に軟禁され続けていたのだから。
 
 ユートにはユートで考えが有っての事、結果的でしかないのは理解してるが、それでも恩を感じていた。
 
 ユーキがからかい半分とはいえ、ユートをお兄様≠ニ呼んで色々と手伝っているのも、偏(ひとえ)にその感謝故なのだ。
 
「シエスタも早くおいで。綺麗な景色だよ〜!」
 
「は、はい。ユーキ様」
 
 シエスタは手早く荷物を降ろそうと急ぐ。
 
「良いよ、荷物は僕が降ろしておくから、ユーキの方の相手をしててくれる?」
 
「え? その、宜しいのでしょうか?」
 
「ユーキの相手も仕事だからね」
 
「は、はい!」
 
 深く一礼して、シエスタは湖の方へと向かう。
 
 ユートはそんな姿を何か目映そうに見つめていた。
 
「ユート様、お手伝い致しましょう」
 
 シエスタの曾祖父である武雄翁が言う。
 
「武雄さんの歳で、こんな荷物を? 流石に危ないのでは……」
 
「甘いですな。老いたりとはいえ元軍人。そこら辺のモヤシより力はあります」
 
 そう言って笑いながら、武雄翁は荷物を持ち上げて簡単に降ろしてしまう。
 
「(本当に数年の寿命なんだろうか? パワフル過ぎだろう、爺さん!)」
 
 ユートはそんな様子を見て引き吊った。
 
 それから夕飯の準備をすると、日が落ちた黄昏時には全員で夕餉と洒落込む。
 
 普段は流石に食堂を貴族と使用人で頒けてあるが、わざわざ少人数で来たのにそれは無粋の極み。
 
「はい、ヨシェナベが出来ましたよ〜」
 
「これこれ♪」
 
「父上、すっかりお気に入りですね? ヨシェナベ」
 
 美味しそうにヨシェナベを頬張るサリュートを見てユートは、大粒の汗を流しながら苦笑する。
 
「お上品で量が過多な貴族の食事より、このしょうゆやみそを使ったヨシェナベは良いな」
 
 
「ありがとうございます。サリュート様」
 
 故郷の郷土料理を誉められたシエスタが、嬉しそうに微笑んだ。
 
 サリュートはタルブ村でヨシェナベを食べて以来、味付けを甚く気に入ってしまったらしい。
 
 実はとある理由から、舌の味蕾が日本人に窮めて近いサリュート。
 
 故にこの味噌(に近い)味や醤油(に近い)味が、彼は好きだった。
 
 大豆が無い中、大豆に近い植物を見付けた武雄翁、彼はうろ覚えな醤油や味噌を作り上げ、寄せ鍋を完成させてしまったのだ。
 
 尤も、呼び難かったのだろうか? 何故か訛った呼び名が定着していたが。
 
 一頻りラグドリアン湖で愉しんだ面々。
 
 そして、日が完全に暮れて月と星が辺りを照らす夜となり、虫さえも眠りに就く深夜……
 
 ユートは一人だけで湖畔を歩いていた。
 
 この事は初めからの予定として、サリュートを始めとした全員が知っている。
 
 この時間にラグドリアン湖の水精霊と、なるべくなら接触する心算でいた。
 
 ユートは服を脱ぎ、裸になると足を湖に入れる。
 
 チャプン……
 
 静かな水の音が辺りに響いて、湖面には波紋を描きユートの足を濡らす。
 
 そんな様子を近くの茂みから覗く双眸が二つ。
 
 ユーキとシエスタだ。
 
「どう? お兄様の裸は」
 
「ど、ドキドキします」
 
 ユーキに誘われシエスタはこんな所まで来てしまったが、よもや覗きの片棒を担がされるとは夢にも思わなかった。
 
 然し、シエスタの視線はユートに釘付けで……
 
「(ユート様、綺麗……)」
 
 うっとりと見惚れてしまっていた。
 
 貴族であるが故か月明かりに照らされたユートは、何処か幻想的に見える。
 
 だが今のシエスタは寧ろ煩悩と妄想という、女子にあるまじき──腐女子には標準装備──フィルターを通して視ており、ユートの股間を凝視していた。
 
 それはもう、真っ赤に頬を染めて……。
 
 そんな興味本位の視線には気付かず、ユートは意識を集中させた。
 
 ラグドリアン湖を住処としている水の精霊は、不変と誓約を司る。
 
 不変であるが為、変遷する人間に興味を持って交渉に応じているのだろう。
 
「(水の精霊よ、僕の呼び掛けに応えてくれ)」
 
 目を閉じ、意識を深く深く集中をいや増し、心の内にて訴え掛けた。
 
 それはきっと、魔法を使う時に似た精神状態。
 
 ユートは刻と共に、次第と一種のトランス状態へと陥っていく。
 
「(世界の四天を統べる四つの精霊、その内の一つたる水の精霊よ!)」
 
 世界の四天とはつまり、四大属性の事。
 
 それを統べる四つの精霊というのは、【土】【水】【風】【火】の精霊だ。
 
 ハルケギニアに於ける、謂わば基本の精霊。
 
 このラグドリアン湖には水の精霊が存在し、意思を持って悠久の刻を在り続けてきた。
 
 ならばこうして精神力を放射して、自分の意思を流していれば気が付く筈だ、人からの接触の意思に。
 
 茂みの彼方でハラハラしているシエスタと裏腹に、ユーキは至極冷静に事の成り行きを見守っていた。
 
 ユーキは数多に在る二次小説を読み、主人公が精霊に接触する幾つかの噺を識っている。
 
 自分もだが、前世の記憶を持っているのは本来だと自然な状態ではない。
 
 故に、前世の記憶を持っている者に彼らは、興味を惹かれてきたと推測する。
 
 彼ら風に言えば数えるのも愚かしい程、双月が交差するくらいの永きに渡って在り続けたのだ。
 
 変わった魂の持ち手に対して興味を持つのも、別に不思議でもあるまい。
 
 精霊達が、他の生物とはメンタルが違うとしても、意思が在るなら代わり映えしない日々に飽く事もあるだろう。
 
 人間との契約にしてもその一環だと考えたならば、ユートが精霊の興味を惹く可能性は大きい。
 
 ユートは更に指先を歯で噛み切ると、湖面へと垂らしてみる。
 
 流れる体液は精霊にとって判り易い目印だ。
 
 水に入って雄に一時間。
 
 コポリと水が沸き立ち、不定形ではあるが人の形を執り始めた。
 
『大いなる加護を受けし単なる者、汝か? 先程より我に語り掛けていたのは』
 
 そう、それは紛う事無き水の精霊の意思だった。
 
「貴方が水の精霊……?」
 
『如何にも、我がこの湖を住処とする精霊だ。して、何用なのか?』
 
 不定形なスライムが無理に人型を採ろうとしているかの如く、姿形が安定していない。
 
 実に落ち着かない事だ。
 
 とはいえ、半透明な躰は氷の彫像の様で美しい。
 
 その姿はまるで……
 
「白亜?」
 
『ふむ、貴様の記憶にある姿を模したのだが』
 
 そう、14〜16歳くらいの少女で、ユートもよく識る妹である【緒方白亜】の姿を執っていた。
 
 ユートは懐かしい前世の妹の姿に困惑したが、ブンブンと首を振り水の精霊へと語り掛ける。
 
「水の精霊よ、僕は貴方との契約を望む者だ。願わくは了承して欲しい!」
 
『フム。それは何故だ?』
 
「僕が望む未来(あした)の為にも、どうしても力が欲しいんだ!」
 
『…………大いなる金色に守護されし単なる者、我は貴様との契約は望まぬ』
 
「っ!? (駄目か……)」
 
 ガックリと項垂れてしまったユートは、溜息を吐いて意気消沈してしまう。
 
 簡単にはいかないとは思っていたが、アッサリと断られてしまった。
 
『勘違いをするな、我は望まぬ。然しだ、我を生み出せし母なる水との契約を、貴様には推奨しよう』
 
「は?」
 
 落とされて、今度は持ち上げられた気分になる。
 
 だが然し解らないのが、水の精霊のが言う母なる水≠セ。
 
『単なる者は識る由もあるまいが、我は所詮母なる水の一滴に過ぎぬ』
 
「っ! そうか、水の精霊は代行者なのか!」
 
 ユートの答えに満足したのか、水の精霊はユラユラと蠢いている。
 
 代行者──上位者に成り代わり、仕える存在のやるべき事を行う者。
 
 広義では、聖闘士星矢のアテナ……城戸沙織も本体たるアテナの地上代行者。
 秩序を護る謂わば下位のシステムである。
 
『貴様を我が母なる水の元へと送る』
 
「へ? あの、少し心の準備を……」
 
 ユートの言葉を丸っと無視して、水の精霊は扉≠開いてしまう。
 
『では、大いなる金色に守護されし単なる者よ、逝って来るが良い』
 
「それは、字が違〜うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
 
 ユートは水柱に巻き上げられてしまい、扉へと吸い込まれてしまった。
 
 そんな様子を茂みで見ていたユーキとシエスタは、真っ青に青褪める。
 
「あの、ユート様が水柱にゴーって巻き込まれて消えちゃいました!?」
 
「消えちゃったねぇ」
 
 二人して大粒の汗を流しつつ、茫然自失となって呟いていた。
 
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 
 
「此処は……」
 
 真っ青な空間。
 
 ユートはその空間を揺蕩いながら、薄れゆく意識を繋ぎ止めていた。
 
「誰……?」
 
 空間そのものから感じられる気配は、余りにも強大で逆に判らない。
 
「消える……」
 
 その大き過ぎる気配は、強大さ故にこそ人間であるユートの小さな意識を塗り潰していく。
 
 それは、蟻が恐竜に踏まれている様なものだ。
 
 矮小な人間の意識など、大いなる意思の前に無力でしかない。
 
 然れど、人間は意思の力で奇跡さえ起こす生物。
 
 ユートは流されながら、脳裏に浮かぶ記憶の奔流を視ていた。
 
『お兄ちゃん、中学に進学したし今日から兄さんって呼ぶね?』
 
「白亜……」
 
『優斗、明日から大学生になるんだし、働いて小遣いを稼いでみろよ』
 
「父さん」
 
『ゆうちゃん、見て見て! ドレス〜! ほら着てみてよ〜っ!』
 
「はは、母さん。俺、男なんだよ?」
 
『もう、しょうがないな。貴方の名前はユート・オガタで、わたしの名前はシーナ・ナユタ』
 
「………………誰?」
 
 見た事の無い筈の、長い黒髪の巫女さんがユートに対して『仕方ないな』といった表情で見つめている。
 
 識らない……
 
 そもそも、巫女さんに知り合いなんて居ない。
 
 居ない……筈だ。
 
「しいな?」
 
 然し、何故だろうか?
識っている気がする。
 
 何処かで逢ってる様な、そんな気がしてならない。
 
〔汝……我と契約し、我が代行者と成りや?〕
 
「水の精霊……王?」
 
〔然り〕
 
 消えかけていた意識……それを【しいな】という名が再構築してくれた。
 
水の精霊王≠ェユートの意志の強さを認めたのだ。
 
「僕は、俺は……、貴方の代行者になります!」
 
 強い意思。
 
 それがユートをこの空間で強壮なる意思によって形作られた精霊王の内部で、意識を取り戻させた。
 
 この空間こそ水の精霊王そのものであり、大いなりし概念体。
 
 精霊王とは概念であり、水の精霊王とは、水という概念そのもの。
 
 声とて意思を言葉として意訳しているだけで、決して肉声で喋ってはいない。
 
 ラグドリアン湖に在る水の精霊は、正に水の精霊王の意思の一滴なのだ。
 
 ユートに刻まれるモノは即ち聖痕(スティグマ)。
 
 水の精霊王の地上代行者である証、水の聖痕。
 
 ユートがゆっくりと目を開くと、その瞳が深い蒼に染まる。
 
 気が付くと、ユートは再び現世へと還っていた。
 
『戻ったな、我が兄弟よ』
 
「兄弟?」
 
『母なる水に御印を与えられた人間、それは我と同じ存在である事を意味する』
 
 水の精霊──否、水の精霊主からは何処か嬉しそうな雰囲気が感じられた。
 
「ユート」
 
『む?』
 
「僕の名前だよ」
 
 得心がいったのか、理解の雰囲気が解る。
 
 これも聖痕の力か。
 
『なれば、我の事も名で呼ぶが良い』
 
「え? 名前、在るの?」
 
『無いな』
 
「キッパリ、ハッキリと言い切った!?」
 
『ユートが付けるが良い』
 
「僕が?」
 
 御約束(テンプレ)だと思えば意外ではない。
 
「う〜ん……水かぁ」
 
 何だか凄い期待されている気がするが、それは決して気のせいではあるまい。
 
 ユートは冷や汗を流し、名前を考える。
 
「(ラグドリアン湖、湖……かぁ)」
 
 水の精霊が住まうラグドリアン湖を見つめ、何となく出てきた名を口に出す。
 
「ラクス」
 
『ほう? 意味は?』
 
「その侭、古い言葉で湖って意味なんだけど……」
 
 【Lacus】
 ラテン語で湖の意。
 
『うむ、悪くはないな』
 
 どうやら気に入ってくれたらしく、ユートはホッと胸を撫で下ろした。
 
『ユート、今後は我をその名で呼んでくれ』
 
「あ、うん。そうさせて貰うよ、ラクス」
 
 早速、ラクスと呼んでみると喜んでいる雰囲気と共に湖に消えた。
 
「ユート様ぁぁぁっ!」
 
「お兄様ぁぁぁっ!」
 
 振り返ると、ユーキ達が走って近付いて来る。
 
 
「ユーキ、シエスタ?」
 
 どうやら、行き成り消えたユートが行き成りまた現れて、矢も盾もたまらず飛び出して来たらしい。
 
「来ない様に言ったのに、しょうがないな二人共……あれ? 何だこれ?」
 
 ユートはいつの間にやら右手に持っていた、蒼い石を見つめ、首を傾げるのであった。
 
 
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