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頭に乗っかった掌は、撫でるというより、掴むというような感じでしばらくオレの髪を指に挟み離さなかった。


瞬く間のスピードで、密室のはずのこの部屋に風が吹いたような、まあ幻。

それは救いを求めていたオレだけではなく、完全に完了を確信していた宗方も感じた幻。



「なんでお前がいるのよ・・・」



ああ、ずっとこんなふうに話したかったんだ、それはもう随分と前から。
それなのに、ぱっかりと開きっぱなしになっている口は動かず、言葉が全く出て来ない。
ずっと待ってたんだ。
この問題が片づいたら
オレの問題も片づいたら
坂本が戻ってきたら
一見落着だ、って、もう何も心配はないなって
夏は終わっちゃったね、もう何も出来ないけど、やっとお前が戻って良かったって、口に出すつもりはなかったけどそういう事を実感しながら、お前と話したかったんだよ

でもほんの10秒前まで、もう無理かなって思ってたから、間に合わなかったって思ってたから


変だな、随分前からずっと坂本に会いたくて、言いたい事沢山あったのに

目の前のお前すら幻みたいで言葉が出ないよ



「本当のラスボス登場だ」



なかがわが笑った

蜃気楼だと思っていた水溜まりに、魚が跳ねる




【来た時よりも美しく】




半分屍化していたオレに、状況を判断するのは難し過ぎた。
何故、ゴミバケツから坂本が出て来たのか、ハクション大魔王がランプから出て来る方がまだ現実味がある。

なかがわが宗方にボコボコ蹴られて、携帯カメラのライトがピカッと光って、オレは手も足も出ず、もがくのみ。
宗方が何か言った瞬間だ、部屋の隅から物音がして巨大な何かがガタガタと揺れた。
暗くてよく分からなかったそれは、巨大なゴミバケツ、その存在を認識するよりも先に中から出て来たのは坂本。

どんな流れで今この状態にあるのか辿って思い返すけど、言葉に直せば余計にオレの妄想みたいな話だった。



「ふざけやがって・・何の真似だ」




目の前の坂本に納得が出来ない気持ちは、オレよりも宗方の方が強いようだ。
怒りや憎しみをこれ以上無い程充満させた声がオレの耳に届く。
まさかの態勢逆転、同情は出来ないが苛立つ意味は分かる。
オレだって、このまま宗方の思い通りにいくと思っていたのだから。




「あれ、お前が言ってたんじゃん?なかがわ捕まえた奴には10万って、オレじゃ嫌だった」



「てめえ、何時からここに居た、誰が情報漏らした?言え、殺すぞ」



「んはは!今更そんなん聞いて何か意味あんの?」



今にも掴みかからんばかりの宗方に坂本が向けるのは、余裕の笑いと長方形のデジカメ。
それを見た宗方は、更に眉間に皺を寄せ、再び口を開き何か言おうとする。
しかし、それより先に、坂本は動画の再生ボタンを押し、言葉を遮るように小さな機会から音声が流れ始めた。



『一瞬で、人生が180度変わる?それは、今ここで死体になってもおかしくないようなテメエの事だろ、一緒にすんな!』



『っは・・!』




ほんの一瞬だけ再生された声だったが、その内容はこの場に居る全員が聞き覚えのあるもの。
宗方の顔は、引き攣る、微妙に震える手は、怒りからか動揺からか。
勢いよく坂本に振りかざされた拳からはどちらとも判断出来た。


宗方の攻撃をもろに顎にくらった坂本は一瞬よろめいて、オレは思わず声を上げ上体を起こそうとするが、顔を押さえ下を向いた坂本と目が合い止めた。

坂本は肩を揺らしながら笑っている。
声を発さない息だけの笑い方は益々宗方の逆鱗に触れた。





「いい気になんじゃねえぞ!!そんな茶番がどうした!!証拠でも握ったつもりか!?警察にでも持ち込んでホームレスの人権でも訴えるつもりか?その前にお前ごとブチ壊してやるよ赤部のクズが!」



「アハハ!警察ね!そんなんもあったわな」



「ああ!?」



「ふはは、お前なら知ってると思ってたね、悪い噂を広めたいなら誰に言うのが一番手っ取り早いか」




激しく牙を剥く宗方に、坂本が何を言いたがってるのかオレにはよく分からない。
宗方もふざけたような態度の坂本に相当苛立っている。
ゴミバケツに身を隠してまで撮影したさっきまでの宗方となかがわのやり取りを、坂本はどうしようとしているのか。
なかがわの状態は、いくらなんでも茶番で済まされるようなもんじゃない。
警察だって、無反応なわけはない。
でも坂本の目的は、宗方を警察に突き出す事じゃないようだ。




「なあ、ポリスじゃねえだろ、こういうのはスキャンダルに飢えてる奴に見せんのが一番気持ちいいんだべ?」


「ああ?何が言いてえんだよ?」



「樫木の宗方のスキャンダルに、グロリアスの奴らは死ぬ程食いつくだろって、言いてーんだよ」



下を向いて笑っていた坂本は、瞳だけ上げて宗方と視線を合わす。
そして、パーカーのポケットから取り出すのは、自分の携帯。
デジカメと携帯を赤外線で通信させ、動画を携帯に移動させる作業を宗方の前で行った。



「お前、赤部とか樫木とかそういう線引き言ってっけど本当はそうじゃねーんじゃん」


宗方は、赤部の人間を見下している。樫木生の大部分はそうかもしれないが、宗方のそれはもはや憎悪の域に近かった。
一体何が、そこまで沸き上がらせるのか、なかがわとの話を聞いてオレもずっと考えていた。



「本当は自分以外、全員馬鹿でクズだと思ってっから、わざわざ他の奴ら呼ぶ前に一人でここに来てくれたんしょ、死んでも他のグロリアスの奴らには知られたくねーだろ自分の悲惨な昔話は」



坂本の言葉に、宗方は再び拳を握りしめるが、それは振り上げられずに爪が食い込んでいくだけだった。

言葉を発さない宗方に、坂本はゆっくりと近づいて、携帯を持った片手をパーカーのポケットに突っ込む。

「これがグロリアスに載ったら、宗方くんも人間なんだなーって樫木の奴ら親近感湧いちゃうね、意外と余裕無くて安心したわ、って友達増えんじゃん?」


そうか、坂本が欲しかったのは、なかがわの暴行現場の証拠ではなく宗方がなかがわに執着していた理由。
樫木の、グロリアスの皮を脱いだ宗方の本音だ。



「誰がんな事させるか!!調子こいてんじゃねえよ!」

「ああ?自分が見下してる奴らに見下されんのがそんな怖えーか」


掴みかかる宗方に、坂本も力を入れ押し返す。
二人の動きで、ごちゃごちゃとした室内は物と物がぶつかり合い揺れる。



「黙れ、てめえごときが勝手にオレの事語ってんなよ、何が悲惨な昔話だ!!」


「周りに自分より不幸でいてもらわないと正気が保てなくなっちゃったんだからさあ、十分悲惨だべ」



坂本は、宗方の衿元を両手で掴み、思いっきり自分に引き寄せた。
自分より5センチ程高い宗方を至近距離で見上げる。


「ねえ、赤部はさあ、オレのもんなのよ。入ってくんのはいいけどさ、勝手にレベル下げないでくれる?」


口元は笑っているが、瞳はギラギラといびつに輝いて宗方を食い殺しそうだった。
最初は、ふざけたような態度だった坂本の空気がここに来て少し変わる。

勢いよく坂本を威嚇していた宗方も初めて躊躇を見せ始めた。




「おい、ボタン一個よ、オレが押せば、これがグロリアスに載る、でも別にこんぐらいでお前の人生が180度変わりゃせん、ただお前が自意識で死にそうになるだけ、自分だけいい酸素吸って生きてっと思ってんかんな、笑えんじゃん」



「やってみろ・・殺すっつってんだよ・・」



「そんなにオレと心中してーのか、考えろや、別にオレ殺さなくても、グロリアス自体なきゃオレは載せたくても載せれねーんだわ」


「は」



「人に見られたくなきゃ、今グロリアス消せ」



そう言って坂本は、視線を宗方のポケットに落とした。ポケットの中にあるのは、宗方の携帯。
グロリアスのデータは全てその中に入っている。
今までの全てもの元凶になっていたそれは、勿論ボタン一つでグロリアスを跡形も無く消す事も可能である。

やけにあっさりとした提案に、宗方は勘繰るように表情を変えたが、坂本がそれ以上何も言わず宗方の動きを待ってるのを見て本気でそれで済まそうとしてるのだと知る。


宗方は、何も言わずおもむろに携帯を取り出す、宗方を掴んだまま坂本も、その様子を眺めていた。

携帯を開き、ゆっくりとボタンを動かしていく宗方、画面を覗き込んだ坂本は、グロリアスの管理画面を確認する。




「早く消せや」




管理画面を開いた後、指を進めずにいる宗方に坂本は追い込みの声をかける。
宗方は、無表情のまま何も答えない。
様子を伺おうと、坂本が覗き込むように宗方を見れば、微かに動いた唇が視界に入った。



「・・・ざけんなよ」


「ああ?」


「カス共の救世主のつもりか、コケにしやがって・・・」



一瞬の間、宗方が反対側のポケットに手を伸ばした。
取り出したのは折りたたみ式のナイフ。
宗方の目は、完全に正気を失っている。




「オレを揺すった気になんなや・・」



やばい、とオレは瞬時に感じ、肺に息が止まった感覚がした。
ナイフをちらつかせる宗方と坂本の距離は危ない。
オレはがむしゃらに腕に力を入れながら叫んだ。

ピクともしなかった腕の縄から微かに繊維のちぎれる音がする




「クソ・・!!テメエ!!坂本に触んじゃ ・・・」





オレの声が響いたと同時だった、空間の中に光と共にシルエットが表れる。

何が起こったなんて確認する暇は無かった。
シルエットは物凄い速さで、生身の人の形になっていく。


激しい足音は、オレの体にも響いて、坂本と宗方のいる中心に止まる。



吹っ飛んだのは、坂本だった。

強引に宗方から引きはがされ、背中から段ボールの上に崩れ落ちる。

坂本に代わって掴み掛かっていった腕の力には、錯乱していた宗方ですら動揺していた


鋭い眼差しが今度は宗方を上から見下ろす


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