69暗い所で煮込んだ昔話U
たえさんが、「らん」という男の子を初めて見掛けた場所は、黒やんのおじさんが経営するサーフショプの隣に設置された小さな小屋。
海に近いそこは、馴染みのサーファー達がボードを預かって貰える場所で、海から帰ってきた若者達の憩いの場ともなっていた
ある日、その小屋の外の壁に背中をくっつけ、しゃがみ込んで座る、細い体の男の子。
見るからに、サーファーではなさそうな今時の男の子が、海を眺めながら歌を口ずさんでいた
「かーみのけはー・・」
退屈そうな棒読みの歌、サーファー達で溢れるこの場所に、一人切り抜いて張り付けたような不思議な雰囲気の男の子に、たえさんは見入る。
「にじーむーぴんくー・・」
話し掛けるつもりではなかったのに、男の子の歌に耳を澄ませてしまった。
「ねえ、その歌詞間違ってるよ」
海から出て来たばかりで、髪が濡れたままのたえさんを、男の子はゆっくりと見上げる。
その目は、透き通っているのに、まるで熱を加えたオイルのように濃度が強い
それでも限りなく透明。
吸い込まれそうで、息を飲む。
「何見てんだよ、ガキ」
自分より明らかに年下だと分かる制服姿の男の子に初めて貰った言葉は失礼極まりない挨拶
この男の子が、黒やんや、黒やんのおじさんの話の中に必ずと言っていい程出てくる、マイペースで天真爛漫な「らん」だと気付く少し前の瞬間だった
【暗い所で煮込んだ昔話U】
その日を境に、らんはサーファー達の憩いの場によく姿を現すようになる。
たえさんはらんと初めて出う前かららんの存在は知っていたらしい。
黒やんの周りで毎日のように飛び交う名前、坂本、らん。
その二人の名前を覚えてしまうのは、黒やんとの距離が近けば近づく程、必然の物になる。
坂本とは、黒やんと付き合い始めた最初の頃に会ったと、たえさんはオレに教えてくれた。
「私が中学生の頃は、金髪の同級生なんて居なかったから、あきおの事外国人でも見てる気分だった」
たえさんは、初対面の時とのギャップを思い出し、楽しそうに坂本を語る。
黒やんを取り巻く二人の幼なじみの存在が気になっていたたえさんは、本物の坂本と対面出来た事を嬉しく思い、残されたもう一人にも会ってみたいと思うようになった。
残されたもう一人、それが、「らん」である。
らんを知る者の話を聞くだけでは、いつも楽しそうな笑い声を響かせ、自由に生きてるマイペースな男の子。
それが、たえさんの思い浮かべていたらんのイメージ。
きっと仲良くなれると、募らせていた期待を、あっさりと打ち砕いた初対面ではあったが、たえさんは、逆にその出会いによって前以上に、「らん」という人物に興味を持ったのだった。
たえさんが、らんを手なずけるまでは大変だったという。
初対面以降は、目が合っても逃げる、話し掛けても数秒固まったのちに逃げる。
らんがそんな態度を取るのはたえさんにだけだったらしい。
他のサーファー仲間には、らんの方からちょっかいをかけ、黒やんに至っては、姿を見つければしつこく付き纏い、ぼそぼそと延々に何か話し掛けていたという。
自分だけが、らんにとって、ただ一人周りと何か違う。
この時はまだ、自分の周りと違う何かが、何なのか、たえさんは分からなかった。
そんならんと、唯一交流が持てたのは、らんが一人であの小屋に居る時。
サーファー達が海に出ている間は、らんはただ一人あの小屋で帰りを待っていた。
みんなの帰りを、黒やんの帰りを。
そんならんの行動に気付いたたえさんは、らんとの距離を縮めるために、偶然を装い、よく一人で小屋に戻ったりしていたという。
長い時間一人で小屋に居る間、らんが何をしているのかたえさんは知りたかった。
「ドウー、ザ、ロコもーしょん・・・」
足音をたてぬよう、こっそり小屋に戻り、気付かれない程の隙間を開けて覗けば
らんがまた棒読みで歌をうたいながら、小屋に預けられた誰かのボードにマジック落書きしている
たくさんのハートだったハートに顔がついている
表情は様々だが、全部垂れ目、どことなく憎たらしい顔だ
思いもよらなかったらんの行動に、たえさんは思わずドアの外で吹き出してしまった。
「そのボードの持ち主、怒ると怖いよ」
完全に一人だと思って気を抜いていたらんは、突然掛けられた声に体をビクっと反応させる、ゆっくり振り向けばドアから顔を覗かせるたえさんの姿
更に驚いて目を見開いた。
「歌の趣味、私と合うかも」
「きかないでよ・・」
微笑みかけられて、一瞬顔の力が抜けたらんだったが、すぐに唇を突き出しぷいと背を向けた。
珍しいタイプの生き物、甘えんぼうで誰の肩にもすぐ触れようとするが、自分だけにはどうにも懐かない変わった野性動物。
近付けているのかどうかさえ分からなかったが、たえさんはこの一瞬の貴重な触れ合いが楽しかった。
距離を縮めようとすればまた同じ距離だけ警戒され、いつもより触れ合えたと思えば、また全然違う方向に飛んでいかれる。
らんとそんな関係を続けていたある日の事、練習の合間に一人浜辺で休憩していた、たえさんの隣に海から上がってきた黒やんが腰を下ろした。
少しの取り留めのない話の後に少し間をあけ、黒やんはたえさんに尋ねる
「らんがさあ、たえにはあんまり話し掛けないじゃん。らんの事やな奴だって思ってる?」
黒やんの話し口調が意外な程真剣で、思わずたえさんは、目線を夕方の波から、黒やんの顔に移した。
「え、なんで急に?私が不機嫌そうな顔してた?」
「らん、妙な態度とってるけどさー、あいつただ慣れなくてどうしていいか分からないだけだと思うんだわ、オレが付き合ってる人、に対して。」
真顔で少し躊躇しながら、たえさんの事を付き合ってる人と呼ぶ黒やんが可笑しくて、たえさんは微笑む
黒やんは、基本的にストレートに言葉を使うが、妙な所で照れる事を知っているたえさんは、付き合ってから一度もたえさんの事を彼女だと言った事がないのも、別に気にしていなかった。
「そうなんだー、かわいいね、らんって」
「あいつ本当はスゲー喋るから、喋るようになったら取り敢えず笑ってやって。喋るようになってもたまに黙り込む時あるから、そーゆう時は、頭触ってやって」
「あたま?」
「そー、あいつ偏頭痛持っててさあ、人に頭触られるのが好きなんだわ、痛いの少し治まるんだって」
「えー、いきなりそんな事したら、また逃げられちゃわないかなあー」
「大丈夫、ゆっくり両手使って、ゆっくり触ってやってよ、そうすればまた笑うから」
段々真剣にたえさんに語りかけるのが恥ずかしくなってきた黒やんは、我慢出来ずに立ち上がりながら呟いた。
らんとたえさんがぎこちない事に黒やんは気付いていて、ずっと気にしていた事を知ったたえさんは、黒やんの気持ちが嬉しくなって海に戻ろうとする背中に呼び掛ける
「ダイは、らんの事ならおてのものなんだね!」
浜辺に響いたたえさんの声に、黒やんはまだ恥ずかしいようで少しだけ振り向いてぶっきらぼうに返事を返した
「そりゃねー」
自分が言った言葉を思い返しながら後悔してるのか、それきり黒やんは早足で海に戻る。
少しづつ、少しづつ、自分の声に返事を返してくれるようになった
たえさんに慣れてくれようと自分なりに一生懸命ならんと
さりげなくを過剰な程意識しながら、らんの事を気にする黒やん
そんな二人が、たえさんは嬉しかった。
幼なじみという存在が居なかったたえさんは、二人を理想的な人間関係に当てはめて清々しく眺めた。
この時はまだ、複雑な混じりけのない、ただどこまでも透き通るような
そんな思いで、二人は繋がっているのだと思っていた。
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