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115知られざる理由
一見にしては分からないが、嫌う、という行為にも結構な代償を払う事を人は無意識のうちに生活の中で感じ取る
それは、広げた手のひらを、これっぽっちだと眺める、思春期の中学生も同様である。
代償が何なのか、具体的な事は知らずとしても、否知らないからこそ形の無い、規模の分からないリスクに不安を覚え、嫌うという行為を無意識のうちに制限する。
ある程度真面目な価値観を持った人間なら、欲しい物があっても金貸しには手を出さず、欲しい、という気持ちの方を抑制する感覚だ。
その価値観から少し緩い感覚を持っている人ならば、5万位ならと欲しい物を買い、リスクと引き換えに満たす事を選ぶ場合もあるし、30万、100万と人によって限度額は違う。

そのように、何かを嫌えば嫌う程自らの背負う代償が、形を持たずとも、確実に己の健やかな心の面積を侵食していく。

それでも尚、「嫌う」感情に歯止めの効かなくなった場合、自分の安全や平穏、喜びを差し出して、「嫌う」事で快楽を得る場合も、ある。




【知られざる理由】



四年前、東鳩山中学校の放課後の教室。
黒川大一は机に伏せていた。
目は閉じていない。今の現状を早く把握したかったから。
じわじわと、暑さの中に湿度が混ざる。
机もベタつき、空は世界の終わりのような暗雲。

5月の終わり、梅雨の入り口。
白々しい程の昼間の晴天から見れば、凄い速さで黒く流れる雲は誰かの悪意のもとに出来上がった作り物みたいだった。

こんなにも天候はコロコロと変わるというのに。


瞑れない視界に浮かぶのは、ここ半月程の出来事だった。
今現在黒川は、普通に制服を着て普通に教室に入り授業を受けて今に至る。
しかし実際、今日の今日までは結構な怪我を負い5月の前半から約一週間と少し病院と自宅で療養していた。
その件で、怪我とは別に母にもひっぱたかれ叔父にも殴られ、結構殴られっぱなしでこの期間、自分のした事の重みを感じていた。
外に出ない分、自分とも長い時間向き合った。
衝動的な自分のしらなかった自分の事も知ってしまい、恐さも感じた。

それでも謹慎でもあり治療でもあるこの期間、やはりそれ以上に考えてしまうのは

固く拳を握って、荒々しく肩で息をしていた自分をまるで他人を眺めるように思い出す。
それは余りにも、計画的ではなくて、理性的ではなくて、誰の為でもなくて、強くも、うつくしくもない。
動物に近い衝動。決して、今まで持っていなかったわけでは無いが、あれほどまでに、コントロールの効かない所までボルテージが上がった事はかつて今まで経験した事が無かった。

けれど、今戸惑っているのは、そんな自分の精神情態の事ではなく。

この一週間で、急激に冷静になっていった思考はやはり謹慎が済んでからの、その後の事態へと向く。
一方的にでは無いが、それでも圧倒的に自分の方が相手に、浦松に重症を負わせた。
原因は浦松にあるにしろ、「だから」で、許される範囲を越えた事を黒やんは自覚していた。

一週間考えて、己と向き合って、ある程度覚悟して今日学校生活に復帰したのに

戸惑っているのは、今朝登校してから現在に至るまで、余りにも普通だという事だ。

不気味な位に何のおとがめも無い。


朝一番に担任の教師が声を掛けてきたものの、体調の心配と休んでいた分の授業の進行状況の話だけたで、余りにも例の件に触れないものだから、黒やんも聞けずにその時はそれで終わった。

入院中は外部からの情報が入って来ない。
周りに止められても尚、とことんまで報復した浦松の身体の状態は現在どうのか。

作戦を共有し、一緒に耐えてきた同級生達がどうなったのかも。
自分のせいで作戦がぶち壊しになったにも関わらず謝罪も出来ないまま、何日も居なかった事にも後ろめたさを感じる。

教室に入れば、周りは久々の登校に声を上げられたものの意外と普通で家を出た時に込めていた力が少しづつ抜けていくのを感じた。


当日現場は部室周りに結構な人が集まり割りと大きな騒ぎになったもんだから、クラスメートの誰かからでも最近の様子を聞けるかとも思ったが、その予想も裏腹、逆に好奇心の質問に囲まれた。





「わ、黒やん、まじ?もう復帰?」


「あー今日から」


「まじ?まじ骨とかちゃんとくっついてる?」


「や、おれはそんな無い。」


浦松は、あばらと顎の骨を骨折した。


「で、一体なんで、あんなんしたの」


そう、覗きこんでくる目の色を見ていたら、刺激のある返答を期待している事が黒やんには分かった。

何で、あんな事をしたのか。

それはこの期間、幾度なく尋ねられた質問だった。

親に、叔父に、教師に、まだ小学生の弟までにも呆れたように言われた言葉だったが
未だその詳細については誰にもはっきりとは語っていなかった。

自分は悪くない、と不貞腐れているような気持ちとは違う。

ただ、はっきりとした理由が、自分の中でも明確に出ていなかったのだ。


黒川はクラスメートの質問に、答えないまま、その日の映像を頭の中に映す。
それは、防犯カメラの映像で、事の真実を確かめるかのごとく。
自分で自分の芯を削り出したかった。


もう幾日か経っているというのに、べったりと肌にまとわりつく不快な湿度の感触が、昨日の事のようにリアルに残っている。


あの日は、酷い雨だった。





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あきゅろす。
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