111波瀾万丈、波浪、ハロー
黒人ラッパーの声が、コンクリートの壁にわれる程の音でぶつかる。
その後ろでは、マックス音量のオーディオにも負けない位の怒鳴り声をぶつけ合い低レベルな喧嘩が繰り広げられる。
既に皹いったガラス窓には廊下の向こうの通行人がガムを吐き付け、四六時中開け放しの扉からは人の出入りが堪えない。
こんな殺伐とした状況とはいえ、今は間違いなく、授業中。
ここ、仙山高校ではこれはまだ平穏な方の日常の絵である。
そんな中、争いにも騒音にも我関せず、机に伏せ雑誌を読みふける乙女が一人。
己の、少ない言葉のボキャブラリーを駆使して、熱心に占い特集ページを解読しているのは
仙山高校、一年
高柳れな
(名前は本名で平仮名表記、別に彼女が漢字を書けないわけではない事をご理解下さい)
「えー・・しし座のラッキーアイテムは・・マカロン・・マカロン?チッ、マカロンってなんだよチキショー・・」
「なーにブツブツ言ってんの、って、占い!?うはははー!お前占い読んでたんかよハハハハー!!」
そんなれなを、後ろから覗き込むクラスメートの男子は、同じく仙山高校一年
黒川民也
頭を後ろからわしづかみにされた衝撃でその存在に気が付いたれなは、雑誌を閉じ、机の下に隠して思い切り民也を睨み上げる。
「あんだテメエ!!触んじゃねえよタコんぞオラア!!!」
「アハハハハー!!キレ顔で舌打ちしながら何やってんだと思ったら、占い!占いて、やっぱおめーおもしれーわ!アハハー!」
乱された髪を直しながら、ギリギリと歯を噛み締め、馬鹿にしてくる民也にマウント体勢のれな。
そんなれなを見てちょっとからかい過ぎたと後悔し始めた民也は、本気の鉄拳を食らう前に、隙を見てヤンマガを腹に仕込む。
「用が無いならどっか行け!私のハッピーオーラが消えんだろ!」
「なんだよハッピーオーラって」
「男には関係ねえ話だよ!!制服燃やされてーのかオラ!」
「いちいち喧嘩腰になんなって、なあ、れな」
「あああ?!」
邪悪な気に満ちたものを周囲に置けばあなたのハッピーオーラが消えてしまいます、というB級占い雑誌の一文をまんまと鵜呑みにしていたれな。
オーラを守ろうと、民也を蹴散らそうとするが、そんな情報しるよしもない民也はそのままれなの真横の席に座る。
「オレとデートして」
「・・・はあ?」
【波瀾万丈、波浪、ハロー】
隣り合わせに座り見つめ合う男女。二人の世界を作り出しているにも関わらずそのムードには甘さのカケラもない。
特にれなは、突然の民也の発言に更に表情を渋くさせる。
薄ら笑う民也に対して、れなは再び雑誌を開きながら冷めた声で返事を返した。
「なんでそんな気色悪い事しなきゃいけないわけよ・・・」
「いーじゃん、あ、デートつってもダブルデートよ」
「更に寒みーよ・ ・あんた頭おかしくなったんじゃねーの」
民也から自分に対して出るには違和感のあり過ぎる言葉の数々に本気で引き始めたれなは、無意識で椅子ごと後ずさる。
ズズズと音をたてながら若干遠のいていく椅子の背を民也は待て待てというように姿勢を落として掴んだ。
「赤部の文化祭に男二人で行くのはキツイだろ、ケンくんもいんだから同伴してよれなちゃん」
「あ?ああ、あんた赤高の文化祭行くんだ」
「まーちょっと野暮用で、再会させるべき二人がいるわけよ、だから四人になっけど」
「ええ・・私あんまり団体でうろうろすんの好きじゃないんだよね・・つーかさあ、後の二人は誰なの?」
「一人は前鳩中に居た奴で、女はうちの一年の相沢、れな知ってっか?端っこのクラスのバービーみたいな女」
「ああ・・!あのニャンニャン女か・・私あいつ苦手なんだよなあ・・うーん、やっぱ、なんだかなあ・・」
詳細を聞いて、赤高の文化祭には少し興味を示したれなだが、やはりそれ以上のリスクを感じ申し出に頷けずにいる。
それでも民也の計画には、れなの存在が必要だった。断りを入れられる前に、さっきよりも低姿勢でもう一度れなに手を合わす。
「そんな事言わないで、頼むよ、ぜってえ普通の休日よりおもしれー事が起こるって保障するから」
大人びた外見をしておきながら、まるでおねだりをする子供のような民也に、れなは結局負けてようやく渋々頷いた。
民也が何を企んでいるのかは分からなかったが、一つ貸しを作ったと思えばいいと考えてれなはこの話を終わらせようとしたが、やはり一つだけ気になった事をなんとなく最後に尋ねてみる。
「ねえでもさあ、なんであんたの連れと相沢を再会させんのが赤部の文化祭なの?ゆっくり出来ないし、それは別の日に二人に勝手にしてもらった方がいいんじゃん?」
自分が相沢という同級生が苦手で、休日まで会うのを避けたいという理由を抜きにしても、間違った事を言っていない自信がれなにはあった。
見ず知らずの人間が一緒の時に、ましてや赤部なんて騒がしい所を、わざわざ再会の場に選ぶ必要がどこにあるのか、とれなは民也に問う。
「あー・・ちょとな、そこは色々事情があってさあ」
「何だよ事情って」
ぼかしてはぐらかすような民也の態度に、れなは、いい予感は感じず承諾を出した事をさっそく後悔し始める。
民也の目的は一体赤部のどこに
それは、れなの想像を遥かに上回る程もつれた現状の上にあるとは、この時民也以外は誰も知る事は無かった。
「ま、これでハッキリすんだろ」
頭を軽く叩かれ、呟かれた民也の言葉。
自分は深く知らない方がいいのだろうと本能的に悟ったれなは聞こえなかったふりをして民也から視線を外した。
場所は変わって、赤部中央高校。目前に控えた文化祭に、午後の授業は全てその準備に潰されていた。
いつも以上に自由化した準備期間中は、教室外の色んな場所を生徒がうろつき、完全な無人の場所を探す方が難しい。
そんな中、小松蘭太朗は孤独な者に長けた嗅覚を生かし、倉庫と部活生の足洗い場に挟まれた空間に一人ぼっち身を潜めていた。
随分遠くの方で、馬鹿笑いする生徒のやり取りが緩んだ弦のような音で頭に響く。
泣きじゃくったせいで、耳が詰まっているような感じがした。鼻と喉の境目がヒリヒリして、口の中は塩辛い味がした。
溜まっていた涙は大分出し切ったものの、締め付けられる胸の痛みは治まっていなかった。
らんはもう一度、夏休みが開けてからの自分達を振り返ってみた。
普通ではない、自分の感情を知ってからも黒やんはその気持ちを汲み取って、歩み寄ろうとしてくれて。
自惚れていたのかもしれない。
分かっていたはずなのに、馬鹿な勘違いを始めたのはいつから?
恋心は、しょうもない相手の言動で、簡単に期待して、また簡単に卑屈になる。
らんは足元を見下ろした、一口吸って直ぐに地面に擦り付けられた煙草の吸い殻が山のように落ちている。
無意識にまた胸ポケットの箱に手を伸ばすが、空。
一箱開けていた、気が付かなかった。
らんは口元だけの笑みが思わず零れる。明らかにまともじゃない精神状態の自分。
おかしいな、本当におかしい。
奥歯を噛み締めれば、また目頭が熱くなってくるのをらんは感じた。
黒やんオレは、やっぱりどこかおかしいよな。
そんな事、もうずっと昔から忘れた日なんて無かったのに、そう思われたくないから口に出せずにいたのに
自分でも分かってるんだよ、それでも黒やんにハッキリと言われる今日まで
昔より強くなったと勘違いして、図に乗ってた
「らんさん?」
雫が一粒、コンクリートに黒く零れ落ちたと同時、近い距離で自分の名前を呼ぶ声がするのをらんは聞いた。
気が反れ、思わず停止する涙腺。泣きじゃくった後のボロボロの自分の顔を思い、俯いた顔を上げられずにいる。
聞き慣れた穏やかな声、誰のものなのかは分かっていた。
けれど、今こんな自分を見られたくない。緊張感でうなだれた首筋が重くなる。
「らんさん、何してんですか?今暇ですかー?」
らんの様子に気づく事なく声の主はゆっくりとした足どりで近付いてくる。
まずい、らんはそう思うが、いい考えも浮かばず、体も動かない。
声の主が自分の間近までたどり着いたのを空気で察した瞬間、らんはせめてもの抵抗で腫れた目を擦り、深呼吸して調子を作った。
「んん!ヒコ何やってんの!?オレ一服休憩中、一服じゃねーけど!もう行くけど!」
無理矢理出した明るめの声が、自分で聞いても死ぬ程わざとらしくて、らんはげんなりした。
付け焼き刃の抵抗はやっぱり全然無意味で、起き上がったらんの顔を見たヒコは、表情と動きが固まっていた。
それでも、何か必死のらんの様子から、突っ込むのを躊躇っているようで、口を小さく無音で動かしている。
嫌だ、気まずい、自己嫌悪の渦の中に居たらんはその場の空気がいたたまれなくなった。
自分の様子をヒコに突っ込まれる前に、適当な会話のシュミレーションを頭の中で作り上げ雑に切り出す。
「ひ、ヒコは何やってんだよ、こんな所でよくオレ見つけてんなあ!」
「あ、あいや、オレね、文化祭で使うアンケート集めてるんです、らんさん暇なら」
「あーそー!!いいよいいよ何?何のアンケート」
「いや、もう行くなら別に大丈夫ですよ!らんさん忙しいなら」
「やるって言ってんだろ!何のアンケート!?」
焦りから思わず強い口調で、ヒコが持っているアンケート用紙に手を伸ばすらん。
偶然鉢合わせただけなのに、ヒコに当たる形になってらんは益々己に対する嫌悪感が増していく。
早く、このやり取りを終わらせなければ、ヒコにまでおかしいと思われる。
必死の思いがらんを急かした。
「赤部ストアーの弁当で、何が人気か調べてるんですけど、今の所一位がすき焼き弁当ジャンボいなり付きで、二位が海老天丼ジャンボいなり付きで・・」
「何・・ジャンボいなりって」
「デカイいなり寿司です」
「そらそうだろうけど、まあいいや、オレはねー・・う〜ん・・」
文化祭で使うとは、何のアンケートなのかと思いきや、意外な素朴さにらんは少し気が抜けて、ボールペンを受け取り考え始めた。
考えるが、そういえば自分は赤部ストアーの弁当を買った事がない事に気付く。
本当にそうなのかは知らないが、日本一でかいというキャッチフレーズが付いていて有名だった赤部ストアーに、入学当初興味津々だったのは覚えている。
それでも結局その後、自分は余り赤部ストアーを利用しなかった。何故だったか、らんは思い出そうとする。
そうだ、記憶を遡ってらんは思い出した。その時の光景、その時の感情、さっきまでの事のように鮮明に。
入学当初、ほとんどのクラスがもぬけの殻になった日があった。
理由は、赤部ストアーで派手な喧嘩が起こり、何故か無関係の坂本がからかいでそれを煽り、一発触発の事態になっているのを一つのイベントとして全校生徒が見に行ったのだ。
例に漏れずらんも面白半分でその様子を見ようと黒やんの腕を引っ張った。
人がまばらもいい所の教室で頑なに椅子から立ち上がろうとしなかった黒やんは面倒くさそうな顔で高揚したらんを見上げた。
「嫌だし、赤部ストアー坂本に絡まれるしタチ悪く絡んでくる先輩もうようよいるからオレあんま好きじゃねーもん」
「ええええーいーじゃん見つかんねえって暇だし行くべ」
「オレとお前で行ったら見つかるに決まってっし無理無理無理無理」
全く頷こうとしない黒やんに、こりゃあ無理だとらんは半ば諦めていた。
どうしても行きたいわけでもないし、段々とらんも面倒になってきて黙った所で、拗ねたと勘違いした黒やんがこう言ってきたのだった。
「オレは絶対行かないけど、いいじゃんお前一人で見てこいよ、みんないんだし、坂本蹴ってこい」
既に頭を机の上に乗せ寝る体勢に入った黒やんは、らんの腰を軽く叩いて呟いた。
そんな様子がなんとなく微笑ましくて、らんは上がる口の端を指で弄りながら誰かの椅子を引き寄せ、黒やんの目の前に座る
「ううん、黒やんが行かないならオレも行かねー、と」
この時は、黒やんは「自分の事は気にしないで行けばいい」とか、そういう風な事を言ってくるだろうな、とらんは思っていた。
そう言われたとしても、とっくにらんの中で行く気は消沈していたのだけど。
けれども、自分の目の前に同じように机に頭を乗せてきたらんに対して、黒やんの反応は予想とは違っていた。
突然意見を変えたらんに少し目を丸くして、ほんの少し嬉しそうな声で黒やんは呟く。
「おー、行くな行くな、お前だって、絶対変な奴に絡まれんべ」
そうか、そうだったのか、知らぬ間に自分自身にかけていた暗示。
懐かしい声は忘れたように感じていても、確実に記憶の中に残っていて今までの自分を操っていたのだ。
特別な意味など何もない、ありふれた日常の一コマ。次の瞬間には忘れてしまうような、退屈な一日の更にその一つの短い会話。
それでも黒やんが
「行くな」と言ったから
行かないと決めたらんに嬉しそうにしたから
まだらんの気持ちを知ら無かった頃の黒やんは、傍らに残るらんに、嬉しそうにしていた。
思い出してしまえば、せきをきったように溢れ返る、懐かしい日の匂い。
「悪りい、やっぱ」
「え?」
「やっぱ、今は、思いつかねーわあ」
「らんさん、大丈夫ですか?」
「ハハ、大丈夫って何だよ」
「だって」
「思いつかねえだけだって、思いついたら言いに行くから」
不安そうに自分の顔を覗くヒコを見て、アンケートに答えてる途中だとらんは思い出す。
しかし、頭の中はぐちゃぐちゃで、もう呑気にアンケートの事を考える余裕は残って無かった。
自分が今どんな顔をしているのか想像出来て、ヒコの前に晒しているのがらんには堪えられない。
顔を反らして突き放すような態度をとった。
引いた態度をとれば、ヒコの性格上それ以上追求してこない事は分かっている。例え相手に明らかに何かあるような状態でも。
ヒコはらんに言われ、素直に用紙を回収して立ち上がった。踵を返すヒコの背中を、らんは俯いた状態で微かに視界に入れる。
整理のつかない頭を抱えながら、引き返すヒコの足音をらんはずっと聞いていた。
来た時と同じよう、ゆっくりとした足取り。砂の地面を擦る靴底の音が段々と遠くなっていく。
再び涙腺が緩み出した。それが分かって痛いくらいに目を閉じれば、顔全体が熱くなっていくのをらんは感じる。
感じたと同時だった、遠ざかっていた足音がピタリと止まる。突然の出来事に反射的に顔を上げれば、少しだけ距離が開いた場所で再び振り返ってこっちを見ているヒコが居た。
「らんさん、泣いてるじゃないですか」
なんだそれ、今言うかそれ、お前の方が、なんでだよ泣きそうな声で。
「う、うわあああああああああああああん!!!!!」
「ええええー!ああ、もうらんさんはもう!」
今度は格好つける余裕もなく、見せつけてるみたいに、バラバラと垂れ流す涙。そんならんを見て、ヒコも今度は走って戻って来る。押さえのきかなくなった涙腺、滲む視界がヒコの焦った顔をぼやけて映した。
十七歳の男の泣き方じゃない。遠慮の無い自分の涙にらんはもうどうにでもなれと止める事を諦めた。
けれども、さっき一人で泣いた時よりも、心なしか暖かいと、頬に伝う水分を、余裕を失った心の反対側でそう感じた。
「はあ、らんさん、喉渇きません?オレ何か買ってくるけどらんさんも何かいります?」
「わああああああん!!い、いるに決まってんだろ!うわわわわわ!!」
「ああ、ああ、もうもう」
自分らしくない様を見られたくないのは、それは、そんな自分がばれて嫌われたくなかったから。
嫌われたくなかった、おかしい奴と思われたくなかった。
好きな人に好きな人達に離れて欲しくなかった。
でも
「はは、じゃあ、ちょっと待っててらんさん」
本当はずっと、ずっと
一人ぼっちで怖かった。
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