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107十七年目の発熱
ヒコちゃんのアンケートに答え、そのままベンチでしばらくだべっていたら、教室に戻る途中で昼休みは終わってしまった。

午後の授業が始まる前の雑然とした教室の中、一人大人しく机に上半身を転がせ着席しているらんが妙に目立つ。
最近こいつは、昼休み終了後はいつもこんな感じだ。
新学期が始まって間もない頃に発生したとある問題。その問題を抱えてしまってからのらんは、毎日昼休みの時間を、黒やんと二人、人目につかない場所を選んで過ごしている。
らんにとっては、願ってもないような状況にも関わらず、日に日に精神的に参っているのが分かるこいつの姿。

その理由を知っているオレとしては、余りにも可哀相で俯いた頭に声を掛けずにはいれなかった。


「らん今日どうだったよ」


「相変わらず、でも多分まだ駄目だと思う」


「まだ治ってねーのか、あ、治ってないって、違うか、それじゃ病気みたいじゃんな」


「や、病気だよ・・」



オレが訂正した発言を、らんは肯定する。
らんが抱えた問題、それはらん自身の事ではなく、正確に言えば黒やんが抱えた問題である。
だからこそ、らんにとっては自身の事よりも深刻で



「は、黒やんは、オレアレルギーだ・・」


らんが自虐的に笑って言った黒やんの病名が、的を射すぎて冗談だとしてもオレは笑っていいのか分からない。

事の始まりは、夏休み明け初日にまで、遡るのである。




【十七年目の発熱】





夏休みの最後の日、先輩んちのアパートの前で再会して、オレと坂本はそのままらんの家に招かれた。
らんの家に到着した時は一瞬だけ起きた坂本だったが、ソファーを見た次の瞬間にはまた爆睡。
坂本の意識が無いうちにオレは冷蔵庫を開けて食べ物を探しているらんに昨夜の真相を聞き出したのである。


「え、慣れろって言って、それで終わり?」


「うん、それだけ」


「へえー、でも好かれてんのに慣れて下さいって、どうすればいいわけよ、オレが黒やんの立場だったら無理だわー意識しまくる」


「や、オレだってさあとっさに言ってしまったわけよ!だって、イエスかノーかで言ったらノーしかねえし、それを聞ける覚悟でぶっちゃけたわけじゃないし」

「事故だもんなー、ばれたのは」


「でもよ、オレが本当に不安なのは、黒やん、オレがそう言った傍から呑気にオレの横で寝ちゃった事よ」

「え!アハハハー!黒やん本当に了解しちゃってんじゃん!即効慣れて下さっとる!」


黒やんらしいと言えば黒やんらしいが、とんでもな展開に思わず爆笑してしまうオレ。
不謹慎な爆笑を静止したのは、らんによって振り落とされた、凍ったフランスパンだった。
冷たく固い感覚の隙間から不愉快そうならんの顔がオレを睨む。


「オレも、思ったよ。黒やんがこの調子なら今まで通りやってけんじゃないかって、でも段々違うような気がしてきた」


「え、何が違う?」


「黒やんさあ、多分、よく分かってねえんじゃないかな」



らんの顔が結構真剣なので、流石にオレも笑えず、頭に乗ったフランスパンを受け取り床に置く。
自分の気持ちを伝えたらんと、らんの気持ちを知った黒やん。
同じ出来事を共に体験したかのように見える二人だが、その事実をどう理解してるかについては、双方多少のズレがあるようで



「黒やん、オレが黒やんの事を好きっていうのは、ちゃんと分かってくれたと思うんだ。でも、男に好かれてる、っていうのはいまいち自覚してないような気がする」


「そ、そうかな・・・」



「オレが怖いのは、黒やんがちゃんとそれを自覚してしまった時よ・・」


らんのこの見解が、ばっちり当たっていたと分かるのはすぐ翌日の事で、皮肉にもその最後の箱を開けてしまったのは、らんの下心無しの何気ない行動だったというから、同情せずにはいられない。


件の翌日、夏休み明け初日の放課後の事である。
らんは自分が不安に思っている事について、さりげなく探ってみようと黒川家を訪れていた。
いつものようにチャイムを鳴らさずそのまま部屋の中に足を踏み入れれば、自室ではなくリビングで横たわって寝ている黒やんの後ろ姿を発見する。
表情は確認出来なかったが、ぴくりとも動かずにいるその背中に、らんは寝ているのだと思い込んでいた。
しかし、この時実は、黒やんは起きていたのである。それも具合を悪くして、胃のムカつきを抑える為に横になっていたのだった。

重要な部分は、黒やんは、何があって、具合が悪くなったのか、という所。

勿論この時のらんは、その原因を知るわけもなく、片腹を床に着けて寝そべる黒やんに近付く。
くったりとしたその身体を見れば、天井と向かう方の脇腹がくっきりと曲線のラインを作っているのが目についた。
今年の夏は色々あって、明らかにやつれたな、愛おしむ気持ちと罪悪感の入り混じった感情が沸き上がり、思わずらんは手を伸ばし、指を黒やんの脇腹のラインに滑らせた。

ほとんど無意識の行動、この時に限っては下心なんてまるで無かったという。

しかし最悪のタイミングが、運命のいたずらでぶつかって、パンドラの箱は開かれた。

らんが触れた直後、黒やんは振り返り、2メートル程飛び上がってビビっていたという。
流石にこれはらんが大袈裟に言っただけだと思うが、それでも、尋常じゃない程後ろから触れてきたらんに驚いていたらしい。

そんな黒やんを見て、らんも負けない位驚き、思いっきり伸ばしていた手を引いた。

青ざめた黒やんの顔、状況がよく分からず言葉が出ないらん。

しばし気まずい空気に包まれた二人だか、意を決したらんが大丈夫?と声を掛けながら黒やんの肩に手を乗せる。
その瞬間、黒やんの腕に、思いっきり鳥肌が立ち僅かに震えていたのを、らんは見逃す事が出来なかった。

不安要素の的中を、まさかこんな形で思い知らされるとは思っていなかったらん。
時間が経つにつれ、黒やんは自覚し初めていたのだ。自分は、男に好かれているのだという事実。
何がきっかけで、黒やんの中の解釈がそういうふうに変化していったのかはらんには分からなかったが、その葛藤の真っ只中に居た黒やんに不用意に触れてしまった事は、完全なるミス。
自分の事を好きらしい同性から、優しく脇腹を撫でられるという行為は、例え事実その行動に意味が無い物だったとしても、黒やんの拒絶を加速させるには十分ななまめかしさだったのだろう。

黒やんも、頭では分かっているのだと思う。
らんが、決して自分に危害は加えないという事を、自分の脇腹を撫でた指は、撫でたという意味のそれ以上でもそれ以下でもなかったという事も。

だから黒やんは、鳥肌を見てショックで固まっているらんに、必死で平静を装って、しどろもどろ、声を掛けた。


「違う、違うから、気にすんな」


「違わねーよ!気にするわ!」


まるで下手な言い訳でごまかそうとしてるみたいな黒やんの言葉に、らんは納得がいかなかった。
全身で示される拒否を目の当たりにしてるというのに、気にしないでいれるわけがない。


「黒やん、オレが気色悪い?」


「だから、そうじゃなくて」

「オレがおぞましい?」


「違げえ、つってんだろ」


不安を隠しきれない面持ちでらんが詰め寄れば、尚も黒やんは青い顔のまま強く否定する。
目に見えて、違わないだろう様子なのに頑として否定する黒やんを見て、らんは本当に何があったのかと益々不安が募っていった。



「違う、本当に我慢とか、してる訳じゃなくて、いやマジで、別に何ともないんだけど」


「頼むから落ちついて!」


「ただ、周りが煩くて、混乱してんだよ身体が、身体が勝手に反応する・・」


「身体が、混乱してる?」


「そう、身体が混乱してる・・」


混乱してる、何に、とはらんは聞かなかった。聞かなくても十年以上自分の想いを抱えてきた身として、嫌でも分かる。
幼なじみのという前提は無いにして、一般的な目線での、自分に恋愛感情を抱いている同性と同性に恋愛感情を向けられている自分。それは、黒やんの中で築かれていた常識の中では容易く融合出来ない「異物」。
心ではそうじゃないと分かっていても、身体はその「異物」に混乱して反応を示してしまう。

何かを皮切りに黒やんはそれを実感してしまったのだ。
実感してしまった以上、らんにしてみればその何かはさほど重要ではなかった。遅かれ早かれ、「こう」なるんじゃないか、という事は予測していたから。

予測してはいたものの、初めて目の前にしてみたら、やはり溜め息が出てしまう。無意識にもう一度伸ばそうとしてしまった手を自分の頭に持っていき掻き回す。

しかし、その手は再び黒やんの方に向けられた。らんの意思では無い、掴み直され引っ張られているのだ。
らんの想像とは裏腹に、黒やんは自らリベンジを仕掛けてきた。ギュッとらんの細い手首を掴み、難しそうな顔で考える


「んー・・・」


「な、なんだよう・・」


「別に、なんともねーし」


「だって、オレ毒とかじゃないし・・」


「さっきみたいに、ざわつかない」


「ざわつかせて悪りーな・・」


黒やんの方かららんに触れても、黒やんの身体は反応しない。それを確認すれば、黒やんは少し安心したような表情を見せた。
らんからの一方的な接触でなければ、黒やんのざわつきは発症しない。
この法則を二人が知ったのは、もう少し後になってからだったのだが。


「ん、ただのらんだわ」


「ただのらんでえす・・」


「よっしゃ、全然大丈夫」


「・・・・分かったから、もうその辺で」


「全然大丈夫」


「大丈夫なのは分かったって、だからそろそろ!」


落ち着きを取り戻した黒やんは、手首から腕、肩へとポンポンらんに触れていく。
平常心に戻った黒やんとは逆に、今度はらんはその掌を目で追いながら困惑し始めた。らんの困惑を知らない黒やんは、らんがそろそろ触るのをやめてくれ、と言いたい事に気付かない。一心不乱に確認する黒やんに聞き取れるか取れないかくらいの小さな声で、らんは独り言のように呟いた。


「そろそろにしてくれないとー・・」


気持ちよくて、困る。
そう本音を言ってしまえば、また黒やんは引いてしまうだろうと思い、我慢して口をつぐむらん。

黒やんはずっと知る事はないだろうな、子供が手形を作るような、ペタペタとした色気のない触り方でも、その部分がジリジリと熱を持ち、緩い痛みにも似た錯覚を起こし敏感になる。
黒やんに触れられれば、全身どこでもそうなってしまう。
それがどんなに自分にとって心地好い事であるか、多分、この先もずっと知らないんだろうな。
そんな事を考えながららんは、結局黒やんが納得してやめるまではっきりとした制止の言葉が言えなかった。

意外にも、この突然の発作を認める事が出来ず、なんとか元に戻ろうとしたのは、らんではなく黒やん。
この日から、今日まで二人のリハビリという名の密会は続いている


発端からもう二週間が過ぎた今現在、未だにらんの表情はぼんやりとした薄曇り。
毎日昼休み、周囲に見られて怪しまれないよう空き教室のベランダで待ち合わせをするらんと黒やん。
リハビリを始めてから今までの間、黒やんの身体がらんに触れられる事に拒絶反応を示したのは、話に聞く限りじゃ三、四回。
拒絶反応が出た直後は、二人共同じような疲れた顔してテンションが低くなる。なんだか、二人の事情に詳し過ぎる、オレ。


しかし、肝心の部分は実の所まだ知らないでいる。こいつらが毎日昼休みを潰してまで行っている、リハビリ、とは一体何なのか。




「指相撲だよ」


「指相撲?」


「そう、昼休み中、ずっとやってんの。昼休み終わるまでは絶対離さないで、今のオレに、慣れてもらうんだわ」


「45分、指相撲って、結構キツイべ、他に無かったのか?」


「指相撲がいいんだって、掌って、動揺すると汗かくから言葉よりも結構分かんだよ、それに触ってる理由があった方が気が楽だ」

手と手を組まなければ出来ない指相撲は、意識してしまう気持ちに言い訳出来る、調度いい理由という意味だ。
今のらんと黒やんには、触る為の理由がいるらしい



「指相撲してる時は、黒やん普通?」


「指相撲の時が一番調子いいよ、終わった後も結構普通」


「ならもう大丈夫なんじゃねえ?」


「いいやー、やっぱ後ろから声掛けたりした時、一瞬身体強張るんだ、黒やんは気付かれてないと思ってるけど」


覇気がないらんの顔を見れば、このリハビリが効果的であるのかよく分からなくなってくる。
特効薬とは、いいがたい。

「結構、怖じけづきそうになるもんよ」


「え?」


「気持ちを受け入れてもらいながら、身体を拒絶されんの」


さっきまで戦っていたのであろう指先を、ぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟かれた言葉が妙に胸にズンときた


「まあとにかく、黒やん今情緒が安定してねーから絶対刺激与えちゃいけねえわけよ」


「前みたいにお前が肩に頭乗っけたり、膝にねっころがったりしたら発狂するかもな今は」


「ケンケンも、間違っても黒やんの目の前でキンパツの男いかがわしい事すんじゃねーよ」



いきなりオレを巻き込んでくる失礼ならんに、そんな恥知らずな事頼まれてもするか、と言い返そうとしたが、合コンの時の前科を思い出し大人しく頷いておいた。

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あきゅろす。
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