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96宗方となかがわ
なかがわが思い出すのは、今から調度一年前位の頃、まだ学校にも行っておらず、フラフラ過ごしていた時期だった。


それでも野垂れ死なずにいたのは、なかがわには個人的な援助者がいたからだ。定住先以外、生活面での保障は全てされていた。


ホームレス生活を送っていたなかがわに差し伸べられたのは、宝石の指輪が沢山飾られた手。


そこには契約があった、それは真っ当な世界での公平な物とは勿論違っていたが、自分の未来が見えないなかがわにとっては、十分な甘い蜜であった。



「思い出した、あそこの社長の息子か」



なかがわは、ようやく、記憶の中に、目の前の宗方という男の顔を見つける。



「そうだ、死んだ武藤澄子に半殺しにされた馬鹿なオッサンの息子だよ」



全くと言っていい程、別の世界で生きていて、繋がるはずの無かった宗方となかがわは、確かに出会っていた。
その出会いが、こんな血濡れの再会をもたらす物だとは、思いもよらず
当時のなかがわは、自分という主観と、見えるだけの世界を認識しながら、ただ扉の前に座っていただけであった。





【宗方となかがわ】






武藤澄子という女性には謎が多かった。

表では、大きな会社を経営する女社長であったが、裏での明らかに堅気ではない組織との繋がりの方がよくなかがわの目についた。


彼女に関して、分からない事があったとしても、なかがわは尋ねる事はしない。
援助をして貰ってる以上それはしてはいけない行為だと分かっていたし、聞かない方が身の為である事も自覚していた。


だから、なかがわは武藤澄子から言われた事だけをやり、言われるふうに過ごしていた。


なかがわが、自分の「仕事」と認識してよくやっていた事の一つに、「見張り」という物があった

いつも何かトラブルが起こると、柄の悪い、彼女の取り巻きが出て来て、揉め事を片付ける。

トラブルの相手は、会社であったり個人であったり、様々だった。
どういう内容か詳しくは分から無かったが、大体は金絡みの問題。

取り巻きが相手方と話を付けている際、なかがわはいつもその付近で誰かが来ないかを見張っていた。


少しの話し合いで済む事もあれば、言葉だけでは解決しない事も多々、そんな危険な狭間にいたが、なかがわの役目だけはいつも、危険な事とは程遠く、いつも退屈であった。


「見張り」はなかがわの中では一番安全で楽な仕事であり、その日も退屈を予想して取り巻きの後についていった。





「誰か来たら、電話を鳴らせよ」




辿り着いた、コンクリート造りの建物は、隣接している大きな工場の事務所のようだがシンとして人の気配は無い。

磨りガラスに覆われて、中の様子が見えない扉の前に、なかがわは一人残された。


誰か来たら、電話を鳴らす、これはいつも言われる言葉で、見張り役の決められたルールだが、今まで一度も誰かが来た事など無い。
本当はいつだって、その辺の配慮は前々から済んでいる、見張り役は単なる念押し過ぎないもので、だから自分にも任せられる程度なのだ、と飽きたやり取りをなかがわは生返事で返す。

さっそく、なかがわは扉の横に座り込み、タバコを吸いながら、中の様子を音だけで探った。

最初は何の音も聞こえなかったが、しばらくすると罵声の飛ばし合いが始まり、次に誰かが苦しみの叫びを上げ、そしてまた静寂。


中の様子を目で確認した事は一度も無かったが、パーターンが決まったそれに見なくても大体予想がついた。


やっぱり今日も退屈だ、となかがわは自分の吐いたタバコの煙を見つめる。
エアコンの効かない建物の中は蒸し暑い上に湿度が高く、床がベタベタして座り心地が悪かった。





「誰だ?」





完全に気を抜いていたなかがわは、掛けられた声を一瞬空耳かと疑う。

顔を上げれば、どこかの学校の制服を着た男が、怪訝な眼差しでなかがわを見ていた。


見張り役中に、本当に誰かが来るなど初めての経験で、なかがわはいつも言われていたお決まりの言葉を忘れて、物珍し気に男を見上げた




「なんだお前?どうやって入ったんだよ、親父は?」



少し焦りを含ませた男の言葉に、なかがわは興味深く耳を傾けた。
そして悟る、ああ中にいる人の子供なんだろうな、と。
何も言わず、ただぼけっと、自分を見てくるなかがわを気味悪く感じ、男はなかがわの前を素通りしてドアノブに手を触れようとした。


その時、ようやくなかがわは、口を開き、淡々とした様子で男に忠告する




「入んない方がいいよ」




突然呟かれた言葉に、男は動きを止めてなかがわに視線をやる。

男の目に映るなかがわはうっすらと笑みを浮かべ、その顔は、中の様子を知っているにしては緊張感の無い物だった。




「あんたの人生変わっちゃってると思うから、見ねえ方がいいよ」




なかがわの言葉に、男は呆然と立ち尽くしたまま、ドアノブから手を離した。

そんな男を余所に、なかがわは携帯でワンコール鳴らす。
なかがわが携帯を切った後すぐ、閉ざされていた扉は開きゾロゾロとチンピラのような格好をした男が数名出て来た。


一人の男が、なかがわの他にその場にいる制服姿の少年に気づき、顔を覗き込む。



「あ、お前宗方の息子か?」


男の言葉に、返事は返ってこない、制服姿の少年、当時高校二年生の宗方はただ無表情でなかがわを見ていた。



「お前の親父が悪いんだよ、絶対にやっちゃいけない事やっちゃったみたいだからな」



すれ違い様に、男は宗方に呟いた。
男達が居なくなった後、なかがわと宗方だけになったその場所は再び静まる。

開かれた扉の奥も静かで、何が起こっていたのか、宗方にはまだ確認出来なかった。




「すげえな、人の人生って、一瞬で、180度変わる」




立ち上がると同時、なかがわは宗方に呟いて、その場を去った。


なかがわの足音が聞こえなくなるまで、宗方は振り返らなかったが、最後に見た、なかがわの感情の浮かばない黒い瞳は、強く脳裏に焼き付いていったのだった。








「思い出したわ、でも、何がそこまで、気に食わねえのよ」



宗方との過去の関わり合いを振り返ったなかがわだが、自分に対して向けられる執着心にまだ腑に落ちない物があった。

宗方の父親に直接手を降したのは自分では無く、あの件での自分はただの見張り役で、恨みを集中的に受ける覚えはない


そもそも、あの後の結末は



「会社同士の取引きとかは打ち切られたかもしんねえけど、結局スミコさんがお前の父親に金払ったんじゃん、そんで会社も潰れねえでそっちの作戦上手くいったんしょ、一体何がそんなに不満なのよ」



当時、その事実にはなかがわも驚いた故、偶然にもその内容を思い出していた。
わざわざ出向いて、脅しを掛けるまでしたのに、後日、武藤澄子は宗方の父親に多額の金を送金した。

事の発端は、武藤澄子の会社が宗方の父親の会社との取り引きを停止し、経営が危うくなった事だった。

宗方の父親は何とか、取り引きを再開するよう武藤澄子に頼み込んでいたようだが、武藤澄子にその気は起きず、一切の面会を断っていた。

それに逆上した宗方の父親が、武藤澄子のスキャンダルをネタに脅しを掛け、取り引きを続けなければ世間に公表すると、武藤澄子の会社に何かのファイルを送って来た

その内容は、なかがわどころか、誰にも知らされる事は無く、澄子自身が自分で厳重に保管していた。


表向きに言えない秘密など、澄子には星の数程あったに違いないが、それが何よりも重大な事だったのだとなかがわが知ったのは、結局澄子が折れて、宗方の父親に送金していた事実を聞かされた後だった。




「教えてやろうか、親父が握ってた、武藤澄子のネタ」




疑問を投げ掛けるなかがわに、宗方は鼻で笑いながら、にじり寄る。
宗方の父親が澄子に、何と言って脅しを掛けていたのか、なかがわ自身も気になっていた事だった。
宗方の口の動きを目で追いながら、出て来る言葉を待つ。




「武藤澄子は、不法入国のアメリカ人に育てられた、出生も不明な子供を警察にも保健所にも届けず、隠して育ててる」




口の動きに合わせ、揺れるように動いていたなかがわの瞳は、いつしか固まって、視線は宙に留まっていた。




「お前の事だろ」




宗方の最後の言葉に、なかがわは呆然となる、不思議な事に、なぜ自分が呆然としているのか、その理由がよく分からない。

ただ、頭に浮かぶのは、武藤澄子の姿だった。

いつも言われたのは、これは契約であって、ボランティアや慈悲でなかがわに生活を与えているのではないという事。


ふとした時に、思い出させるようにいつも言い聞かされ、武藤澄子に何かがあれば自分は命を差し出す事をなかがわはいつも覚悟していた。

その言葉が建前だったのかもしれないと思い始めたのは、先月、彼女が亡くなってからだ。

契約は建前だったのかもしれないが、やはりボランティアや慈悲とは違うような気がしていた。
それは、やはり彼女はなかがわに何か見返りを求めていたからだ。

なかがわが彼女に与えていた物を、なかがわ自身は気づく事は無い。

何気ないメールであったり、交わす言葉であったり、与えている側はそれに意味があるなんて気付けない物ばかり


宗方の父親に、送金などしなくても、元々自身を証明する物がないなかがわが武藤澄子の傍に存在していた証拠を消す事など、武藤澄子には容易いはずだ。

なかがわが一人が消えれば済む話。


それでも、武藤澄子はなかがわを傍に置いた。


本当の契約は、武藤澄子の知る所で、なかがわは生きていなくてはいけない、という事だったのかもしれない。




「はは、そんな、オレ、今更言われても」



時を越えて知らされた事実に、なかがわは力無く呟く。
無意識に、笑いにも似た声が出るのは、余りにも噛み合ていなかった自分と武藤澄子の想いが可笑しくて、馬鹿馬鹿しかったからだ。





「今更って、後悔でもしてんのか、でもオレにとっては、そんなもんはどーでもいいんだわ、オレが不満なのは、オレの人生を狂わせようとした武藤澄子が、簡単に手の平返した理由がお前だったって事」



「意味わかんねえよ」



「存在する資格さえ持ってねえような、周りに寄生してその日繋いでるみたいな底辺に、どうしてオレの人生左右されなきゃいけねーんだよ」




宗方は再び足を振り上げ、なかがわの胴体に横から蹴りを入れる。

その衝撃に、なかがわは思いっ切り咳込んだ




「一瞬で、人生が180度変わる?それは、今ここで死体になってもおかしくないようなテメエの事だろ、一緒にすんな!」



「っは・・!」



「テメエみてえな奴に笑われる程、オレの人生は安くねえんだよ!」




終始淡々としていたなかがわはも流石に、直接的な暴力に息が荒くなっていく

しばらく大袈裟に呼吸を繰り返して、整える肺。


ようやく、落ち着いた後に、なかがわは、表情を戻し、ゆっくりと宗方を見上げた。




「じゃあ、オレはどうすればいいの?」



機械のように感情の無いなかがわの声に、宗方は見下ろしたまま、口の端を上げる。

冷えた声は、狂気と侮蔑に満ちていた。




「オレの目の前で朽ち果てろよ、お前みたいな奴の人生はそういうふうになるのが普通なんだよ、オレみたいな人間、お前みたいな人間必ずその間には差をつくる」



「はは、なんだそれ、舌でも噛んで死ねってか」




「死ぬ時は勝手に死ね、その前にオレに証明させろよ、お前がどんなにヘラついてようが、一瞬で変えられるって」





宗方はそう言って、再びポケットから携帯を取り出し、起動したカメラをなかがわに向ける。

シャッター音が響いたと同時に、宗方は酷く愉快そうに笑みを深くさせた





「グロリアスにこれが載ったら、もう、終わりだ。」



ボロボロの姿のなかがわの写真を納めた携帯を、宗方はなかがわの方に向ける

なかがわはただ無言で、それを見つめた。


携帯画面の白い光だけが丸く光る静寂の中




空間を壊すような、突然の物音が部屋の隅から立ち上がる







プラスチックが割れるような音、崩れるダンボールが一斉に流れる。

床に陳列していた瓶は倒れ、今までにない衝撃音が室内に響き渡った。

一体、何が起こったのか

その場で息を潜めていた者は皆振り返り、釘付けになる。






「はー・・・ムシブロ、ムシブロ」




薄暗闇でも浮かび上がる、目立つ色素
異常な光景は、部屋の隅々までの空気を変え、今ただ一つ主張される




「ねえ、誰かオレの事呼ばなかった?」




今まで、誰も存在すら認識していなかったかも知れない程、ガラクタにまみれた室内の風景に溶け込んでいた、大きめのゴミバケツ

さっきの衝撃音は、ダンボールの山に埋もれ、ガラクタの一部になって部屋の隅に置かれていたそれが突然開いた音だと、辛うじて伝わる

いや、開いたのでは無い、開けられたのだ



「テメッ・・」



深いバケツから抜き出される片足、もう片足はそのままバケツを蹴って顔を覗かせる。

目を疑うような登場に、宗方すらまともな声が出ない。




「なかがわアジトを捕まえた奴には10万」



微かに掠れた声が、宗方に近付いてくる。
乱れた金髪は揺れて、色素の薄い瞳は、暗闇の中で赤く光っていた。




「動画残した奴には15万」



室内の中心までやって来た人影は、宗方を素通りし、そのまましゃがみ込み床に横たわった髪を撫でる




「さかも、と・・・?」



「なんでお前がいるかね!」



バケツの中から突然に現れて、急激に場の空気を掻き乱したのは、消息不明だったはずの坂本明男


坂本は、頭に手を置いたまま、硬直してその姿見つめる宗方に、小さなデジカメを差し出した




「どうしよう、オレの優勝だ」



大きく歯を除かせて、笑みを向ける坂本明男に、宗方は、動揺と嫌悪の混ざる眼差しで見つめる。


その様子を確認したなかがわは、大きく息を吐いた後に、思わず噴きだしていた。

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あきゅろす。
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