95クライマックス編過去の蒸し返し地点
暗闇で携帯を眺める宗方を、なかがわはじっと見つめていた。
その顔は、無表情で、怒りも恐怖も、映していない。
宗方はそのうちに携帯を閉じ、ポケットから何かを探り出し、オレの目の前に落とした。
固い音を立ててコンクリートに叩き付けられたそれは、またもや携帯。
しかし、それは一方の物と比べボロボロで古い、オレはそれにどこか見覚えがあった。
「いやー、一日中鳴りっぱなし、本当ウザかったわ、ほとんどお前からだろ?」
そう宗方が呟いて、オレはそれがなかがわの携帯である事に気づく。
そうか、なかがわの携帯は宗方の手にあったのか
わずかな望みを賭けてなかがわの携帯を鳴らし続けていたオレの行為も、宗方に笑われるだけの事だったのだと知り、虚しさと絶望が込み上げて来た。
「お前、ついてないねえ、ダイナマイト前で、携帯鳴らしてる奴いるじゃん、こっちもずっと鳴りっぱなしだからすぐお前って分かったよ、なあ『ケンくん』」
宗方は横たわるオレの前に屈み、オレの名を呟きながらニヤつく。
その声を聞きながら、オレは思い出していた。
いつか、非通知で、坂本の事を尋ねて来た電話の声を。
案の定、宗方の声とその声は一致する。
「おい、坂本は今どこいんだよ」
微かに浮かべていた笑みを消し、宗方は低い声で、オレに尋ねる。
あの時と同じような内容に、オレは自虐的な可笑しさが込み上げてきた。
そんなの、オレだって知りたい。
お前なんかよりも、もっと、ずっと。
【クライマックス編過去の蒸し返し地点】
答えようの無い質問に、オレはただ無言で宗方を睨む。
こんな状態の奴に睨まれてもなんの迫力も無い故に、宗方はシラケた表情で舌打ちをしただけだった。
「まあ、どっちにしろ、もうゲームオーバーだ、今の時点で、間に合っててねえよ、なあ」
そう言った宗方の目線は、ボーッとオレ達を眺めていたなかがわに向けられる。
オレがここに来た時既に、なかがわは間に合ったとは言えない状況であった。
その姿に、宗方は坂本の事をオレに尋ねつつも、余裕に満ちた態度である。
オレは目の前で見ながら、立つ事さえ出来ない自分が歯痒くて、後ろに縛られた手首を地に叩き付けるも、頑丈な縄には付け焼き刃にもならずただ手首をそのまま痛めつけるだけだった。
オレがもがく脇で、宗方となかがわの視線が、初めて交わる。
ズタボロのなかがわを見る宗方の瞳は恐ろしい程凍りついていた。
「何笑ってんだよ」
宗方が息を吐くような小ささで呟いた言葉をオレは拾いぎょっとする
宗方を見るなかがわの顔は、無表情であって、別に笑ってない。
それでも宗方は、冷たい表情ねまま、なかがわ近づき前髪を掴んで上を向かせた。
「オレを覚えてるか?」
冷たい表情まま、口元だけに笑みを浮かべる宗方。
その口元の歪みには、笑顔という言葉の本来の意味を感じさせる物は何も無い。
見下ろす宗方の顔をじっと眺めた後のなかがわは、やはり淡々としたまま宗方の問い掛けに答えた。
「いや、覚えてねえよ」
「じゃあ思い出せよ」
宗方は前髪を離し、なかがわの顎を膝で蹴り上げる。
骨がぶつかる音は、狭い空間に鈍く響いて、宗方の狂気を感じさせた。
なかがわはそのまま少し後ろに飛ばされ、虚ろな目でもう一度宗方を見上げる。
「いやー、やっぱ、サッパリですわ、もう勘弁しろよ」
口の中を切ったのか、なかがわは血の混ざる唾液を地面に吐いた。
相変わらず怯える様子なく言葉を発するなかがわだが、その声は少し掠れて、身体的なダメージは伝わる。
「先月死んだ、武藤澄子知ってんだろ」
「え?」
「去年の今頃、武藤澄子が、契約打ち切った会社の事覚えるか?」
痺れを切らした宗方が、一呼吸溜めた後に出した名前に、なかがわは顔を歪める
ムトウスミコ、今まで出て来た事の無い名前に、聞き耳を立てるオレも混乱していた。
ただ、気になるのは、先月死んだ、というキーワード。
なかがわは、確かに先月、葬式に行ったと言っていた。
そのせいで、音信不通になっていた事、明るいヒマワリの色が昨日の事のように蘇る。
「お前はそこで俺に会ってんだよ、何て言ったか思い出せよ」
「あ」
「オレはなあ、ずっと納得いかねえんだよ」
宗方が語り出した話の内容は、横で聞いているオレには何がなんだか検討もつかない物だったが、なかがわは、そこでようやく何かが繋がったように反応する。
少し驚いたように目を開いて、小さく何回か頷いた。
その頃、赤高では、他に人っ子一人居なくなった校舎の中、ただ二人だけで閉じ込められている黒やんとらんが、教壇前に座り込み黄昏れつつ酒を飲んでいた。
体力も尽きて、抜け出す方法を考えるのにも疲れた二人は、このままここで夜を明かす事を決める。
やけくその心と酒の力で気まずさも麻痺してきた二人は、ぽつりぽつりと会話を交せていた。
「なんかよ〜、なーんでオレらはこんな所に居るんだろうねえ」
「ホント、超意味わかんねー」
「でも、なんか昔を思い出す、黒やん中一の頃、よく夜中にオレんち来てたべ、山のようにタバコ持って来てさあ」
「ああ、そーだったわな」
「ケロちゃんでは無敵だったのに、なんかスゲエ荒んだ顔で、勝ち取ったタバコ全部オレにくれたね」
らんは自分で呟きながら、当時を思い起こす。
黒やんは、野球部を退部した後、何故か目立つ三年に目を付けられ、ドロンコケロちゃんという謎のサークルに入れられていた。
その期間、学校では余り黒やんの姿を見かけなくなり、友人達は最近黒やんは付き合いが悪いと愚痴を零していたが、らんは同じような不安を抱える事は無かった。
学校では余り会えなかったものの、夜中になれば黒やんはやって来る。
ポケットからはいつも、大量のタバコ。
ドロンコケロちゃんはスポーツサークルという名目で、喧嘩に出来そうな物ならなんでもやった。
ボクシングもレスリングも、ただ薙ぎ倒せばいい事に、ルールなんて無い。
決まったルールはただ一つ、勝者は敗者からタバコが貰える。
誰が決めたという事では無かったので、ルールというよりは流行りだった。
黒やんは、いつも大量にタバコを持ち帰って来ては、らんのベッドにゴミのように捨てた。
そして、寝ているらんを起こして言うのだった、あげる、と。
「オレをヘビーにしたのは黒やんだぜ」
らんが笑いながら語る思い出話に、黒やんは目を伏せながら頷く。
その表情に、らんは少し胸が痛くなるのを感じた。
らんにはとっては、真夜中さえも輝ような一時であった。
学校には来ない黒やんが、自分にだけ会いに来てくれる事が嬉しかったから。
だから、黒やんにとっては、あまりいい思い出ではない事が、らんには辛かった。
同時に、明らかに荒んでいる黒やんに気づきながら、隣に居る幸せだけを噛み締めていた当時の自分が悔しかった。
黒やんはオレには救いを求めないよね、分かっているんだ。
それでも、何か聞いてみればよかった。
四方八方塞がれたみたいな黒やんが、いつも夜中に辿り着けたのは、自分の所だけだったと分かっていたなら。
「らん」
不意に名前を呟かれて、らんはハッとして顔を上げる。
そこに居るのは、いつもの黒やんには間違いないのだけれど、らんには何処か頼りなく見えた。
妙な感覚だけど、不自然ではない、今ようやく気付けたみたいな黒やんの姿。
中学に入ってしばらくしたら、意識しないままに黒やんより大きくなっていた自分の背
それでも、自分の中の黒やんのイメージは、いつも背中を見せて、自分の前を歩いて、たまにちゃんと着いて来ているか振り返って確認する。
それは物理的な物とは関係無く、黒やんを大きく見せた。
大きくというよりは、高い場所にいる気がしていた。
今、ようやく同じ高さで、黒やんを眺めている気分になる。
なんだか、小さいなあ
知っていたはずなのに、どうして今そう感じるのか
触れていた時にすら分からなかった事を、何故一定の距離を保っている今に、リアルに感じるのか
そう思うと、らんは無性に黒やんの手を引っ張って抱き寄せたくなった。
それが出来ない自分に、苛立ちを覚えながらも、反対側の心では冷静に、これでようやく報われるような気がしていた。
当時、ただ焦がれるだけだった自分が出来なかった事を今ならば
それは今でないといけない
黒やんは、じっと見つめてくるらんの視線を外し、再び前を向く、少し俯いて喉が絡まったような声で、言葉を続けた。
「ごめん」
それは何に対する謝罪であるのか、主語の無い、一方的な物に繋がる事を探る前に、らんはいつかの記憶を思い出していた。
今の黒やんは、あの時の黒やんによく似ている。
「黒やん、一個だけ聞いていい?」
「え?」
「中三の、二学期、教室で一人で居たオレにさ、黒やん同じように言ったんだ、ごめん、て」
「あ、れ」
「あの時、オレ寝たふりしてたけど、本当は起きてたんだ」
らんに、真実を告げられ、黒やんは固まる。
対称的にらんは、真剣な表情を一つも崩す事無く、言葉を続け、黒やんに問い掛けた。
「今の、ごめんの先に、教えて、あの時黒やんは、何でオレに謝ったの?」
過去に戻る事は出来なくても、自分の中で今もその気持ちが生きているのなら、触れずに抱き寄せてみよう。
それは、今になって、やっと実現される。
本当の事を、本当にした時に、初めて浮き上がる強さを、らんは怖がらずに受け入れた。
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