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86幼なじみ
らんが立つのは黒川家の玄関前。
午前中の静けさはらんの緊張に拍車を掛ける。

やはり、何もかも割り切れた訳ではないが、らんはもう心に決めていた。

本当はどこかで分かっていたのかも知れない、いつかこんな日がくる事を


チャイムを押す指に躊躇いはない、小さく深呼吸しながら、らんは目的の人物が出てくるのを待っていた。

わざわざ、早起きして今の時間に押しかけたのは


この時間に、この家に居るはずだろう住人のは、たえ、ただ一人だから

十数秒もしないうちに、玄関のドアは外開きに開かれ、らんの軽い前髪を僅かに揺らした



「らん・・」


「よ」



玄関前の日蔭に佇むらんを、たえはきょとんとした表情で眺めた。

自分が帰って来てから、会うのは二回目

ぎこちないまま、過ごした一度目の再会から黒川家に現れる事の無かったらんと、もう一度話しがしたいと、たえは思っていたが

らんが自らまたここを訪ねて来てくれるとは思っていなかった。



「久しぶり、や、いらっしゃっい、じゃなくて」


「はは」


動揺を隠そうとしているが、隠し切れていないたえの様子に、らんは下を向いて少し笑う。

その顔には陰が当たり、どんな表情をしているか、たえは確認出ない



「何見てんだよ、チビ」


頭を上げたらんが、たえに向けた顔は、一生懸命に自然を装った不器用な微笑み

向けられた失礼な挨拶は、いつかの、そう、忘れ掛けていた、海色の空の下を思い出させた。





【幼なじみ】




グラスに入ったアイスコーヒーの氷を、ガラスの棒でカラカラと回す

そんならん様子を、たえはじっくりと眺めた。

長い前髪の間から遠くを見つめる瞳は変わらず、横顔の顎のラインは昔よりもしっかりとしている



「大人っぽくなったね」


「そう?」


たえの呟きに、らんは窓の外から視線を外し、声の方に顔を向ける

今日のらんは、前に会った時よりもずっと落ち着いていて、たえの目からはよりそう思わせた

自分ではその数年の変化がよく解らないらんは、軽いリアクションで、たえの言葉をあまり理解せずに返す。



「背が、伸びた」


「うん、少し伸びてるね」

「体重は、あんまり増えてない」


「らんは本当痩せ過ぎよ」

「羨ましい?ダイエット方法教えようか」


「ダイエットしてるの?」

「俺実は、全身にラップ巻き付けてて、雑草しか食べないんだよ」


「相変わらず真顔で嘘つくね」



たえは何気ないふうにしてても、言葉を発するのに緊張している。

以前の再会の時から、らんの心がどのように変化して、ここへやって来たのかたえには分からなかった。

らんと同じ位、たえもまた、過去の出来事が忘れられずに引っ掛かている

ほんの短い一時ではあったが、たえとらんは今みたいにたわいもない話をしていた時があった。

そして、その後、たえはらんの導火線に火をつけた。

自分の言葉が、どのようにらんの逆鱗に触れたのか、たえの中には今でも正確な答えが見つかっていない


見つけてもいいものかも、たえには分からなかった。

初めて出会った時から、らんとの間にあった距離。

きっと自分は踏み込んではいけない部分に踏み込んでしまったのだ。


あの日、ひどく傷ついた顔で、小屋を飛び出し、暗い雨空の夜に消えていったらんを、本当は追い掛けていきたかった。


怒らせてしまった理由は分からなかったが、追い掛けて、とにかく、謝りたかった


でも、それが出来なかったのは、あの場には、もう一人同じ位傷付いた顔をしていた人が居て


らしくない、震えた声で、頼まれたのは、おそらく彼の最初で最後の自分の為だけの我が儘



お願いだから、らんに謝ったりしないで



勿論言う通りにする、だからそんなに悲しそうな顔しないで


ねえダイ、もしあの時私が、無視してらんを追い掛けていたら、あなたは一生私の事を許さなかったんじゃないのかな



「どーした」



物思いに更けていたたえの顔を、らんは不思議そうに覗き込む

視線が合わさり、我に返るたえは、曖昧な笑みを作った後、悟られぬよう目を反らした。


そんなたえの反応を見たらんは、親指を拳の中に入れ、真面目な顔をする



「オレが怖いか」


「違うよ」


「ううん、たえはオレを怖がってるよ」



二人はまるで、犬を怖がる人間と、人間を怖がる犬。
がらんとした部屋に縮こまる二つの背中は、尻尾を踏まないように、噛み付いてしまわないように、永遠の距離を取ってよけあっているようだ。



「もう怒鳴ったりしねえよ」


らんは真剣な眼差しで、たえに訴える。

触れてはいけないと思っていた事に関する直接的な言葉をらんの方から言われて、たえは固まった。



「本当の事、話すから、聞いてよ」



あの時と同じよう、らんはたえを掴む。
今度は、手首をそっと。

たえの手首にすっぽり回る指からは温度が伝わる。

平熱より少し冷たい、低体温。

たえは気付く、怖がってるのはらんの方



「覚えてるしょ、二年前のタエの誕生日」


「覚え、てるよ」


「オレの言った事、タエには一つも意味が分からなかったしょ」



そう、分からなかった、その後必死で考えていた、ずっと。

色んな仮説を立てて、黒やんに相談していた。

けれども、自分の考えを黒やんに話す度に、黒やんの表情は雲ってゆき、いつしか、らんの事を尋ねるのも避けられるようになっていった。



「きっと誰が聞いても分からないんだ、オレは黒やんの幼なじみだからね」


「どういう事?」


「誰からの目にも、オレは黒やんの幼なじみで、男で」


段々と弱くなっていくらんの声、たえを掴む指から震えが伝わった。

泣きそうな、らんの顔は当時の面影と重なるが、そこに昔のような怒りや冷たさは無く、感じるのは、握るたえの手首だけを杖にして起き上がっているような脆さ。



「誰も、オレが黒やんの事を好きだなんて、思いもしない」




消えそうな程小さな語尾

二人の間に生まれたのは外の音さえも消し去る静寂


たえの頭は言葉が消え真っ白になる。
今まで感じて来た事の感覚を全て失うような錯覚に襲われた



「タエが羨ましいんだよ」



自分では一生かかっても手に入らない物を、たえは初めから持っていた。

黒やんに見つめられるのも、黒やんに愛されるのも、たえの方が似合っていた


それをいつも遠くから眺める、どんなに近くでも、らんにとってはいつでもそれは遠くであった。



「今もあの時も、オレはこの世でタエだけが羨ましい」



らんの知っているただ一人の黒やんが好き人だった人だから

たえと別れて以降、黒やんは誰とも付き合っていない事に、らんはほっとしている心半分と不安な心半分の二つを抱えていた。


黒やんは、たえしか好きにならないのかもしれない、それならば、他にどんな人が現れたとしても黒やんはなびく事はないだろう

けれども、もしたえが黒やんの前にもう一度やって来たとすれば、今度はもうオレは





「だから、タエにだけは言われたくなかった」



刺さった言葉は深すぎて、抜く事が出来ずに、傷痕を残してもう膜が被ってしまった。


ぐっすりと眠れるようになった今も、笑えても、怒れても、刺は確かに心の中に残っている




「冗談でも、オレが女だったらなんて勝ち目がないなんて言われるのが、許せなかった」



とめどなく、溢れ出てくるらんの言葉に、たえは何一つ言葉を返す事が出来ない

かわりに零れる涙、遠回りして遠回りして、やっと合わさったつじつまが、涙腺を心の奥を容赦なく破壊する。




「もうオレが分かったしょ、今まで怖がらせてごめん」




一人遊びが好きで、マイペース、濃度の強い瞳は自分にだけは懐かない、不思議に感じていた部分の中身に居たのは



恋をしている男の子



たえは、見つける、それが、色んな人の話に出て来ていた、本当の「らん」






「なんで、話してくれたの?」



「オレはいい加減タエを許さないといけないんだよ、その為には、今まで繋がってなかった事を繋げて、タエに納得してもらわないといけない」




言わないと、誰も気付けない。

本当の事は、本当にしないと、損するのは自分



エースケと再会したときに言われた言葉。


教えて貰った、許すという事。

許す事が出来た後は、喧嘩した相手の気持ちを考えられるような人間に変わっていく

らんは思う、たえを許す、呪っていた自分の運命を許す、この先自分の理想とする道から逸れて進んでいくとしても、許し続けると誓う。


今度、黒やんに会わせてな

エースケから思い出させて貰った事。

その昔、いやそんなに昔じゃない。

黒やんからエースケを紹介して貰った、恐持てのエースケを前に、その時のらんは余り愛想よく出来なかった記憶がある

それでも黒やんを信頼するエースケは当たり前のように、黒やんの幼なじみであるらんを信頼した


思い出す、黒やんの幼なじみである自分は幸福の中に生きていたと


戻りたいと思った、たえが帰って来て以来、避けているような今のままじゃ、あの頃のようになれない


黒やんは世界一好きな人である前に、もっともっと昔から自分の世界一大切な幼なじみである


エースケと黒やんを会わせよう


そして、こいつらは、今も相変わらず仲のいい、幼なじみやってんだな、と思ってもらいたい



「らん、ひどい事言って、本当にごめんなさい」



鳴咽混じりのたえの声がらんに届いた時

一つの鎖が外れる音がした。


「ううん」


それはらんが、ずっと聞きたかった言葉なのかもしれない


はぐれてしまった迷子が、叱られると思っていた親に抱きしめられて言われた言葉のように




「もう大丈夫だよ」




いつからか、らんに繋がっていた、重かった鎖


一つはずっと前に黒やんに外して貰った


もう、両足は軽い


もう、歩ける






たえの手を掴んでいたらんの指は、先程より少し温かくなっていた


初めは大人びて見えていたらんの顔が、今は昔よりもずっと幼くたえの目に映る。

らんの頭をなぜようと、たえはもう一方の腕を伸ばし、触れようとしたその時




何かが、床に落ちる音が、二人の背後から聞こえる


音の方に反射的に視線をやった、二人が見た物は

床にぶつかり、電池の蓋が外れた携帯


その後ろには携帯を拾う事が出来ずに佇む、黒やんが、居た




「や、バイト、顔色悪いから・・・帰れって言われて」



驚きを隠しきれず、呆然と黒やんを見るらんとたえに視線を合わせないまま、黒やんはしどろもどろに言葉を発する


自分で言うように、黒やんの顔は真っ白で、様子がおかしい。


嫌な予感がらんの胸を、稲妻のように走った。




「黒やん、いつから居た?」



震えるらんの声に、黒やんはピクリと肩を揺らし、口を開け何か言おうとするも、声になって出て来ない。

らんと視線を合わせない


嫌な予感の確信を掴み、らんは目の前が、真っ暗になる



「話、聞いてた?」



消えそうならんの呟きに、黒やんは益々青白くなり、石のように固まった。


その瞬間、らんは立ち上がり、ベランダから外に飛び出す、玄関に靴を残して、裸足のまま何も言わず部屋から逃げた



「らん!待って!」



たえが大声で叫ぶが、ベランダにもうらんの姿はない

焦って携帯で電話を掛けるが、当然らんは出ない



「ダイ!らんを追い掛けなさい!あんな状態で一人にしたら危険よ!・・ダイ!?」



たえが焦って、黒やんに駆け寄れば、肩を触った瞬間に、床に崩れ落ちる黒やんの体


額は汗ばんで、瞳は朦朧と下を向いている



「悪い、頭が、痛くて」



「大丈夫!?ダイ、うそ、どうしよう」



「頭が、いたい」



小さく呟いた後、黒やんは完全に倒れ込み、そのまま瞼を閉じた


意識を失う直前まで、黒やんの目に焼きついていたのは、走って消えたらんの、ベランダに伸びる黒い陰

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