85愛しのyou
オレがここ何日も、考えて考え抜いて、出て来た答え。
捕われている過去を克服する第一歩として、オレが決断した事は
もう一度、あの千羽の野郎に会って、この間言い逃した事を、言ってやるのだ。
もう、何て言うかも決めている、オレは言ってやるんだ、先輩に。
まさか先輩も、この前あんな事があって逃げ帰ったオレが、わざわざまた会いに行くとは思うまい、あいつがどんな顔で、この今までと違った全く新しいオレを見るのかと思うと、今から楽しみで楽しみで楽しみで
何故だ、こんな楽しみな事は他に無いはずなのに、開かれたケータイに向かい合い始めてから、もう一時間も経ってしまった。
決断した瞬間には、今にも飛び出していかんばかりの気迫だったオレなのに
やっぱりまず電話していかなければ、留守だったら格好悪いかも、なんて余計な考えが浮かばなければ、こんな状態には
気が付いたら弱気になっている、優柔不断な自分に喝を入れ、オレは今度こそ、と先輩に電話を掛けようとボタンに指を伸ばした。
その直前、奮え出すケータイ、いきなりの振動に驚いて着信表示を見てみるも、ディスプレイに映し出されているのは、非通知、の文字。
タイミングの悪い事に、先輩に掛ける為にボタンを押そうとしていた指の勢いは、止まらず、普段なら出たりしない非通知からの着信を取ってしまった。
仕方なしにケータイを当ててみるも、相手は無言
「誰だよ」
不信感満載の声色で尋ねてみたオレの問い掛けに、期待通り返って来たのは、全く聞いた事の無い冷たい声であった
【愛しのyou】
無言電話の犯人が一体何者なのか、ようやく発した最初の一言では、オレはまだ分からずにいた。
「坂本明男と、何話したの」
潜めているような声で話されて、初め何を言ってるか聞き取れず黙っていたら、もう一度、やはり小さいが今度はハッキリと聞こえる。
何だって?坂本?
「あん?だから、誰だよテメエ!何でオレのケータイ知ってんだよ」
「昨日、昼前、坂本明男が家に来てただろ、何話した」
「は?何で知ってんの?ていうか、こっちの質問答えろよ、マジで誰だよテメエ」
相手が一体誰なのか検討も着かないが、坂本の名前を出されただけで、何だか嫌な予感がする
意味不明な向こうの言葉になぜか焦りを感じるオレは無意識に口調が荒くなる
結局、数秒の無言の後、何も聞こえなくなり、向こうから切られたのだと知った。
何なんだ、今の。
後味の悪い、奇妙な出来事。ディスプレイは何事もなかったように暗くなるが、妙にひっかかる物を感じるオレの中は解決していなかった。
昨日、坂本が来たのは事実。
なぜか突然ベランダからやって来て、滞在したのは一時間にも満た無かった。
行きも帰りも、玄関を通らずに済ませた坂本。
家族だって、きっと坂本が来た事に気が付つかなかっただろう。
どうして、今の奴は、それを知っている。
オレと坂本が何を話したか、なぜそんな事聞いてくるのだろう
あまりにも不可解な点が多過ぎる出来事に、オレは先輩の事も忘れて、呆然とする
すると、また、掌に納まっている携帯から振動を感じ、オレは急いで画面を開いた。
表示されているのは、受信の文字、今度はメールだ。
受信完了と同時にすぐメールボックスを開き、確認する。
送信先のアドレスは、またも、知らないアドレス、見た感じから、おそらくパソコン用のメールアドレスだ。
オレは直感的に、先程の事に関係しているのではないだろうか、と感じ、意を決してメールを開く。
そこに記されている物に、オレの嫌な予感は、限界まで膨れ上がる。
見覚えのある、URLと、一緒に記載されているパスワード。
もう間違いない。
まるで呪いのメールのように、見た事の無いアドレスから送られて来たのは
まさか、もう一度、見る時が来るとは思わなかった、樫木高生のオアシス、おふざけ激裏サイト、グロリアス。
これなら、なぜオレのアドレスや番号を知っているか、なんて事はもう些細過ぎて問題ではない。
もう、オレは、大嫌いなんだよ、このサイトが。
以前に横須賀君から教えて貰い見た時、もう二度と開きたくないと思った因縁のサイト。
勿論オレは、すぐにパスワードを入力して、グロリアスに入った。
怪しい人物から送られてきた、怪しいサイト、そんなもん、踏み込むに決まっている。
坂本明男の名前を出されたのだ
警戒なんてしてる場合じゃない。
その頃、反対側の巻き添え人、諸星は、相当な気まずいさを感じていた。
目の前には、不機嫌顔の彼女。
一週間以上合わなかった所か、連絡さえも放置していたのだ。
仕方が無い状況である事は分かっているが、どうしてそうなってしまったのかを、諸星は彼女に説明出来ないでいた。
「諸星くんさあ、もう私の事好きじゃないの?」
「いや、好きだよ!好きに決まってるじゃないか」
「じゃあなんで、全然連絡してくれなかったの!?私達元々休み少ないのに、やっと会えたのが二連休二日目の夕方?本当有り得ない」
吐き出せば吐き出す程、どんどん怒りを増していく彼女の言葉。
彼女に不満をぶつけられ、諸星は頭に冷水をかけられたような気分であった
まるでこの一週間と少しが幻想だったかのように、現実に帰る。
言える訳がない、一週間以上連絡を取っていない間、ずっと見知らぬ男の世話をしていたなど。
言えば彼女を更に怒らせてしまうだろう事も勿論だが、自身のプライドに賭けても諸星はその事実を彼女に伝える事が出来無い。
この諸星千鶴が、人の思惑通りに動いているなんて
気が付いてはいるが、認める訳にはいかないのだ。
なかがわという男が、どうも気になって離れられない事を。
けれども、好奇心だけで、動ける程自分の抱えている物は少なくない。
現に、なかがわに出会うまでは上手くいっていた彼女との仲は、今にも崩壊寸前で
修復するには、もうあのアパートを訪ねない事以外に方法は無いと思う。
選べばいいのだ、簡単だ。
自分の未来にとって、大事なのは目の前の彼女。
彼女が居てくれれば、ほんの一時の気の迷いなど、すぐに忘れられる
あいつに出会う前の日常に、全て元通り
「諸星くん、なんか鳴ってる」
無意識に考え込んでいた諸星は、呆れたような彼女の声で、自分の携帯が鳴っている事に気が付いた。
真剣な話し合いの最中に鳴りだし自分の電話に、ばつ悪そうにしながらも、諸星は取り敢えず着信表示を確認する
坂本明男、表示されたその名前に、なかがわの姿を一瞬浮かべ躊躇うが、鳴り続けるそれを諸星はシャツの胸ポケットにしまった
「何?出ないの?」
「ああ、いいよ、後でかけ直すから」
「何で?出ればいいじゃん、私の前じゃ、出られないの?」
今回の件について、何も言わない諸星に、彼女は疑いの眼差しを向ける。
そういう言われ方をされてしまえば、もう出ない訳にはいかないじゃないか、と
諸星は気分が乗らないまま、仕方なしに携帯を開き、電話の向こうの相手にため息混じりの声で応答した
「何だよ、今忙しいんだ」
「あ、カシギちゃん、お前宗方って奴知ってる?」
迷惑そうな諸星の声には何も反応せず、いきなり質問を投げ掛けてくる坂本に、一度携帯を顔から離し舌打ちする諸星。
じっと自分を観察してくる彼女の視線も居心地悪く、とことん気は重い。
「はあ、何なんだいきなり、宗方さんがどうしたんだ」
「え、知ってんの?宗方」
「三年の学年トップだ、家も金持ち、樫木なら誰でも知ってる」
「へーえー」
愉快そうな坂本の声は、何かを含ませているようだが、諸星は何も聞こうとはしなかった。
ただ、彼女の機嫌がこれ以上悪くなる前に、電話を切りたいのである。
もう遅いかもしれないが。
「なあ、その宗方て奴と、アジトが、何か関連してそうな事てある?」
「は?なぜ、宗方さんと、あいつ」
「だよね、ま、別にいいわ」
「ちょっと待て、僕をあのアパートに通わせてる事に何か関係あるのか?言えよ!」
「無い無い、あ、そうだ、今から適当に買い物してあいつん家持ってってやって、アジトこれからしばらく本格的に篭るから」
「ふざけるな!もう沢山だ!一体何なんだよ!あいつは!なぜ僕とあいつと関わらせるんだ!」
初めから思っていたが、今まで黙っていた事を、勢いでついに口に出した。
今まで聞かなかったのは、どうせ真実なんて教えて貰えずにはぐらかされるだろうと思っていたし、なんとなく、なかがわの事を深く探らない方がいいと思っていたから。
でも、今は違う、知り尽くせる限り、なかがわの事が知りたくなった。
だって、あの場所から離れられないのは、疑問が膨れ上がり過ぎてるからだ、そうだろ。
「あいつが何なのか、その辺でちょっと調べればいくらでも分かんべ、でも情が湧いちゃったなら知らねー方がいーかもねー」
「は、情?そんなもんっ」
「とにかく、もう大分助かったから後はキミが決めなせー、正直こっちもここまで熱心にやってくれるとは思わなかったわ」
ここまで振り回しておいて、ここに来て何でそんな事を言うのだ。
引っ張り込む時は、こっちの意思なんて無視であんなに強引にやっておきながら
諸星は突然突き放すような坂本の言葉に、悔しくて、耳に届く声を今すぐ遮断したくなった。
それでも、電話を切る事が出来ないのは、どうしてだろうか、罵倒の言葉も浮かばない程真っ白になっている頭は、何のせいか
「ま、でも偶然にしてはいい人選だったわ、お礼にオレが一つは教えてやっか、あいつの正体は元ホームレスの身なし子じゃ」
「は?」
「それをあいつが言わなかったつーことは、お前に逃げられたくなかったんだろーね」
「ちょっと、待て、もっと詳しく!」
「いーやオレは忙しいつーねん、とにかくあいつは無償の施しを基本的に信用しない奴なのよ、じゃーに」
通話が途切れた後も、諸星はケータイを耳に当てたまま離せないでいた。
視界に見えるのは、電話が掛かって来る前と同じ景色。
人がまばらなファミレス店内と、頬杖をついて、こちらの様子を伺ってくる彼女。
今ので、終わったのか?
今からやっと、彼女の機嫌を取り戻せるチャンスだというのに
頭の中は、先程の坂本の言葉と、今まで見たなかがわ様々な表情で破裂しそうだ
初めて会った時、あいつは眠そうな顔でこちらを覗いていた。
正直に言えば、その時のなかがわは、今まで見たどんな人間より美しい、そう思った。
翌日部屋で再会した時は、前日と同一人物とは思えない程、なんだか軽くて、無表情だし、こっちを見ないし
それからも、基本的には無表情だ、でもたまにゆっくりと動く口元が作る笑い顔は、ちょっと幼くて、自分に向けられると何だか得意になって
「諸星くん、何なの?今の」
鍋を囲んだ夜、生意気そうに笑って言った
家族みたいだ、と
馬鹿じゃねえの、それだけの為にこんなに暑い中、作れもしない鍋を作ろうとしたり、こっちはそんなあいつの思惑なんか、気付きもしないのに
家族ごっこがしたいなんて、正直に言えば、僕が逃げると思ったのか
馬鹿だ、あいつは、こっちの想いなんて全然わかっちゃいない
「徳永さん、ごめん、本当にごめん」
「何で謝るの?何があったの?」
「今から、すぐ、買い物に行かなきゃいけないんだ」
「諸星くん、何で、泣いてるの?」
不機嫌そのものだった彼女の顔は、諸星の頬を伝う涙に気付き、驚きへと変わる。
諸星は、自分を突き動かす物を説明する事が出来ず、立ち上がり勢いよく頭を下げた後、呆然とする彼女を残し、出口へと走っていった。
息を切らせながら、諸星が辿り着いたのは、例のアパートの近くにある商店街。
小さなスーパーに入った諸星は籠を手にした後、手当たり次第に商品を投げ込む。
選ぶ余裕もなく詰めこんだ商品には統一感が無く、急ぐ諸星の心情を表していた。
会計を済ませ、店を出た時に見上げた空からは、小さな雨粒。
夕立ちの時刻で、急変した天気を忌ま忌ましく想いながらも、諸星はアパートに足を進める
歩きながら、思うのは、今の自分の行動が、なかがわの正体を垣間見た事による同情か、それとも、事実を知って逃げたと思われない為の免罪符か、それともそれとも
雨は、どんどん激しさを増して行く、ジーパンに水分が染み渡り、重くなる足どり
突然に、座り込みたい気分になった。
頭の中の整理がつかなくて、涙も止まらない。
とにかくもう一度、あのアパートに行かなければ、ここで終えてしまったら、自分の気持ちも、何もかも、もう知る事が出来なくなってしまう。
道の真ん中で、棒立ちの諸星
ぶつかり続ける雨を、避けず受け止めていた背中に、影が重なる気配を感じたのは、不思議そうに自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた後だった。
「ホッシー?」
いつの間にか透明のビニール傘に守られている自分の体。
声に振り向けば、ずぶ濡れの諸星の姿を可笑しそうな瞳で見つめるなかがわが居た。
「なんで、お前ここにいるんだよ」
「坂本くんから、ホッシーが来るかもって電話があったんで、探しに来たんだわ、雨、急に降って来たから」
「そんな、僕は来るなんて、一言も言ってないのに、僕が、来なかったら、どうすんだ、第一お前が出歩かないように、僕が買い物に行かされたんだろ」
そもそも、この道を通っていなければ、完全に出会う事は無かったというのに、当てずっぽうで、危なっかしいなかがの行動
諸星は思わず買い物袋を持つ手の力が抜け、水浸しのアスファルトにそれを落とした。
同情じゃない、免罪符でもない、初めて出会った時から、分析する行動では、無かったのだ、本当は
「でも、ホッシーが、もし来てるなら、濡れてんじゃないかなて、思ったんだ」
小さく微笑んだ後、腰を曲げて落とした荷物を拾い上げるなかがわ
傘からはみ出して、濡れるアッシュの痛んだ髪の色は涙で滲んで、より輪郭を曖昧にする
何も言わず、黙ってアパートに通い続けた本当の理由は、ただ、こいつが、大事な存在になっていたから
それだけだったのだ。
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