[携帯モード] [URL送信]
84憧れの大三角
夕暮れに染められた部屋、響くのは、湯が沸騰する音。

並ぶ大根、白菜、エノキ、豆腐、春菊、鶏肉。
どれも原形のまま、袋から開封さえせず陳列している。
台所に佇む二人、諸星となかがわは食材を前に呆然と立ち尽くしていた。


「どうしよう」


「知るか、お前が言い出したんだろ、鍋作るって」


「ホッシー作れねーのかよ」

「作る以前に、鍋なんかした事無いんだよ、僕は」


まるごとの野菜を前に、手も足も出ない世間知らずな二人。
材料を買い揃えて、湯を沸かしたまではいいが、それから一体どうしたらいいのかが分かっていなかった。
まず、大根は包丁より硬いと思っている、有り得ない。



「ホッシー、どうする、水が急かしてくるぜ」


「ああもう!大体何で、鍋なんだよ!こんな真夏に!」


この空間に、取りあえず火を止めろ、と二人に助言する者はいない。
湯気のせいで額に滲む汗を、指で払う諸星。
どうしても、鍋にこだわるなかがかわが何を思っているのか、諸星には謎であった。



「だって今日は三人だからよー」


豆腐のパッケージに、鍋の作り方が載ってないか(唯一、何か文字が書いてある物)試行錯誤するなかがわは
諸星の問いに、口を曲げながらぽつりと答えた。




【憧れの大三角】




夜にここへ来る、なかがわにそう約束した諸星は、本日初めて4時以降のこの部屋にいた。

調度、塾が盆休みに入り、二日だけ夕方の時間が空いた諸星は、なかがわが夜を奨める理由が気になり、数少ない丸一日の休みを裂いた。

ところが、現在もうすぐ7時になろうというのに、得た物は、なかがわは一切料理が出来ないという情報だけ。自分も同じだが、始め湯すらスムーズに沸かせなかったなかがわは、それ以上に酷いような気がする。


思えば、いつも昼食は買った物だし、洗濯だってよく考えたら洗剤を入れて回すのも、干すのも自分だ。

なかがわは、ゆるーく皺を伸ばしながら、干す順に手渡してくるだけ


一体こいつは、今までどうやって生きてきたのだろう、なかがわという人物に、過去の背景が見えなかった。



調理を諦めた二人が、ベランダで夜風に当たっていた時であった。

ドアの鍵を開ける音が、玄関から聞こえる。

今までかつて無かった事に、諸星は反応して玄関を見た。

タバコを吸っていたなかがわの、目を少しだけパチリとさせた変化には、気付かないまま。





「何だこれ、誰か居るのか?」



ドアが開かれる音の後に、耳に届いてくるのは、見知らぬ靴を発見した低めの声
その声の元に、なかがわは狭い室内を走るような音を立てて向かった。



「良樹、今日は鍋だ」


「今日は鍋か」


「でも作り方わかんねーんだな、これが」


「作り方?そんなもんあるのか、切って煮るだけだと思ってた」


「おお、それだ、切って煮てくれ」




諸星の座るベランダの傍からはまだ見えない、なかがわと会話をする人物。

台所で足を止めているようで、中々顔を覗かせない。
声で男だというのは分かる、諸星は気になって、上半身を反らし覗いた。



「誰だ・・?」



ぶつかるのは、彫りの深い目元、諸星の顔を見て細められるそれに、何となく睨まれたように感じ、諸星は言葉を失った。


なんだこの恐ろしい目付きの男は、兄弟?
いや、全然似てない。

今まで、この家になかがわの他にも誰かが住んでいるんだろうという気配は察していたが、予想の範囲外過ぎて、諸星は戸惑う。



「誰?」


「ホッシーだよ、今日鍋だから」


「だから知らない靴があったのか」


「びっくりした?」


「びっくりしたじゃねーか」



なんかおかしい二人の会話に、諸星はあっけに取られながら聞いていたが、今のやり取りで、恐ろしい男は本当に納得しているようであった。


何なんだこの二人は、見た感じ歳はそう離れていないようだ、一体どんな関係でこの狭いアパートに二人で住んでいるのか


無言ながらも自分達の様子を観察する視線に気がついたなかがわは、諸星を振り返り見る

緩く孤を描く口元は、良樹の服の裾を引きながら諸星に告げた。




「ホッシー、良樹だよ、2時ですっていうカレー屋で働いてんの」


「カレー屋じゃねえインド料理屋だ」


「インド料理屋」



そんな、紹介、されても、ね。

職業はいい、まずどんな関係なのか教えて欲しいと、諸星は思いながら小さく頷く。

疑問をぶつけるタイミングを逃し、初対面同士の確認を終えた後はとっとと野菜を切り始める良樹と、それを横でじっと見るなかがわ

二人にはごく日常的な行動だが、諸星の視界に映るそれにはやはり、どうしても違和感がちらついていた。




「あ、そういえばうちにはぽん酢がない」



具材をあらかた切り終えて、鍋を煮つめている間、ぽつりと良樹が呟いた。

特に何も話していなかった静かな空間だった故、二人は良樹の言葉に反射的に反応する



「ぽん酢ってなんだっけ、聞いた事あるけど顔が浮かばねーや」


「お前は何の話をしてるんだ、鍋に味付けてないだろ?どうしようか」



適当過ぎるなかがわを流して、諸星が良樹にまともな返事を返す。

初めて交す言葉に若干緊張しながら良樹に視線を合わせた。



「仕方ねえ、買ってくるから、火から目を離すな」




諸星の問い掛けに、良樹は台所に視線をやりながら立ち上がる。

なかがわと二人で留守番をしてろという意の良樹の言葉。

しかし諸星は、それよりも瞬時に、考えが浮かんだ。

ポケットに小銭を入れて、今にも家を出ようとしている良樹の後ろ姿を急いで呼び止める




「待て、僕も行く」




諸星の突然の行動に、不思議な眼差しを向ける良樹には、諸星が何を思って些細な買い出しに着いていこうとしているのか、わからずにいたが、そのまま従って玄関に足を留めた。



良樹のアパートから、商店街までは歩いて数分。

社宅や一戸建ての多いこの辺りは、コンビニよりも断絶商店街が近い。


街頭と街路樹が続く安全な歩道を二人並んで歩く。

しばらくは無言で歩いていた諸星だが、ようやく、買い出しに着いて来た本来の目的の元に、良樹に意を決して語りかけた。



「なあ、あいつ、なかがわアジトって、何者なんだ?」


「あ?」


「あ、だから、その、あいつと会ったのはつい最近だけど、なんか普通と違う、て感覚が接する度に、増していくんだよ」


「ああ、普通と、違う」


「やっぱ、何かあるのか?」


「さあな、そう、思うか?」



自分が投げ掛けた疑問に、同じく疑問で返され、諸星は困惑する

先程、あれだけ親し気に会話を交わしていた二人の様子に、今の良樹の言葉は、不自然だ。



「オレはあいつの事をそんなに知ってる訳じゃねえ」


「え?」



「名前知ったのもつい最近だ」




淡々とした口調で告げられる衝撃の事実に、諸星は、呆然となり思わずつまずきそうになった。

頭に浮かべるなかがわの様々な言動が、益々疑問に包まれる

なかがわという人物が、また、自分の居る日常から少し離れていくようで、心がざわついた。



「じゃあなんで、一緒に住んでるんだよ、二人」


「あいつがあそこに居たいらしい」


「そんな、それだけで、あいつの事、よく知らないまま、一緒に住んでるのか?」



良樹となかがわの感覚が、諸星には理解出来ない。

自分なら、良樹の立場だったらどうしていただろうか。

良樹は、同じ部屋で過ごして、あの何を考えてるかわからない男を前に、その素性を知りたいとは思わないのだろうか




「バイトじゃないから、履歴書はいらねえ」



少し高い位置でハッキリと聞こえた良樹の言葉は、
諸星の歯痒い葛藤を無意識に否定していた。

何か言いたげに、見つめてくる諸星に、良樹は不思議そうな視線を返す。




「何で今日は鍋なんだ?」



「知るか・・だから、こっちが聞きたいんだよ、そういう事」



何気無しな会話だと思っていたのに、ふて腐れたように顔を背ける諸星の行動が、理解出来ない良樹は、それ以上何も返さないまま、商店街への道を歩いた。







「レシートのお返しです、そうそう、福引き今日までだから帰りにやっていくといいよ」



ぽん酢を無事購入し、会計を済ませた後で、思い出したように店員が、諸星と良樹に一枚ずつ薄黄色のチケットを手渡す


紙に書かれているのは、スイカの絵と、昨日今日の日付、そして抽選会の文字。

自分の日常ではあまり見慣れないそれを、初めて手にした諸星は興味深く眺める。



「場所は商店街の反対の入口、もう遅いから大分出てしまっちゃったと思うけど、捨てるよりはいいわ」



初老の女性店員は、ずっとチケットから目を反らさない諸星に、微笑みながら言う。

店員に声を掛けられ、自分の行動が、まるで子供のようだと恥ずかしくなった諸星は、チケットをポケットの中に隠し、無言で軽く会釈だけをして早足に店を出た。




「三等だ」



抽選所は、最終日な上もう夜という事で人はほとんどおらず、お世辞にも賑わっているとは言え無かったが、初めて聞く福引き玉が転がり落ちる音に、諸星はひそかに興奮した。


先に抽選用のガラガラを回してきた良樹が手に持って来たのは、少し多めに入っている、花火のセット。



「それが三等?八等ぐらいじゃないのか?」


「そうか?買ったら多分千円以上するぞ」


「まあ、商店街の福引きだしな・・」



物心つく頃にはもう、高い建物ばかりになっていたこの辺で、一昔前から時が止まっているようなこの商店街。

近くを通った事は何度もあるが、中に入ったのは諸星にとって初めてだった。
花火だって、購入した記憶がないから、相場なんて知らない。

この夏は、諸星が今までの人生で経験した事のない事ばかりが起こる。




「頑張ってね、一等まだ出てないから、チャンスだよ」



抽選所の中年に声を掛けられ、福引きをどう頑張ればいいのだ、と心の中で吐きながらも、ガラガラを回す諸星の手は、力が入っていた

二、三回の回転の後に、筒から零れる赤玉は、抽選所の電灯に当てられ、諸星の瞳に飛び込む。



「お兄さん、この夏は、最高にツイてるね」



中年は、盛大な笑顔を諸星に向けながら、祝福のベルを商店街に響くように鳴らす。

たかが、商店街の福引きで、大袈裟な事を言う、と諸星は曖昧なリアクションで一等の品を受け取るも、心の中には叫び出したいような歓喜が満ちていた。






「うわ、何それ、無駄使いしたのか、いーね」



アパートに戻ると、本当に、台所の前に座り込み、ガス台から目を離さずに居たなかがわが、二人が抱えて来たぽん酢以外の荷物に注目してくる


良樹の手には、花火。諸星の両手には、まるごと一玉の大きなスイカである。


あまりにも夏らし過ぎる二人の格好に、なかがわは笑い、諸星が玄関先に転がしたスイカを叩いた。



「あ、良樹、トーフ切り忘れてんよ、どうする?」


「あ忘れてた、切ってくれ」

「オレ切れない」


「じゃあ切らなくていいか」



存在を忘れられていたトーフを、そのまま、一丁溢れそうな鍋にぶち込もうとしている良樹となかがわ。

そんな二人のやり取りを聞き逃さ無かった諸星は靴紐を解くのを急ぎ、慌てて部屋の中に上がる。



「おい!どこの世界に、トーフがそのまま入ってる鍋があるんだ!貸せ!僕が切る!」



「え、ホッシーやめとけよ、絶対指無くなるぜ」



「うるさい!お前は黙ってろ!僕は出来ないんじゃない!やった事がないだけだ、やれば出来る!」



二人から豆腐を奪い取り、諸星は恐る恐る包丁を握る。

包丁と指の位置睨み付ける諸星は、今からたかが豆腐を切るだけとは思えない程真剣な表情をする。


一ミリ一ミリゆっくりと包丁を豆腐に差し込んでいく諸星。声を掛けられない二人は、仕方なしに、氷を入れた桶にスイカを移動させながらその様子を見守る。


切り込みが深くなっていく度、諸星は思う

今まで、相当な勉強をして来た、自分の将来の為に必要な事は、きっとあとごく僅か。

大学受験までに、全てを埋められる、そう思っていたけど


豆腐を切る為に入れる力の量、福引きを引く前に沸き上がる微かな緊張、何を考えているか分からない人間の素性。


知る必要のない、と思っていた事に触れるのが、なぜ、こんなにも新鮮なのだろうと。





鍋が仕上がったのは、もう夜の9時を回っていた。
煮込み過ぎで、野菜が崩れ始めた鍋を、小さなテーブルに置き、三人で囲む。


鍋の暑さを柔げる為に、開け放しの窓からは、遠くを走る車の音と、数限りない星。

立ち上がり窓へ逃げていく湯気につられ、良樹は紺色の夜空を見上げる。



「夏の大三角だ」


「何だそれ」


「アルタイルとベガの天の川をデネブで結んで出来る、夏の星座だ。」



なかがわの疑問に、良樹より先に返事を返したのは諸星だった。

子供の頃から、テストはクラスで一番だった。
それを褒めて貰おうと、親に報告した事はない。
立派な両親の間に生まれた自分は、それで当たり前だと思っていたから。

だが小学校高学年ある日、部屋に天体望遠鏡が置いてあった。

なぜ、こんな物が自分の部屋にあるのか分からず、両親に聞いてみると、勉強を頑張っているご褒美に諸星に買って来た、と言われた。

諸星は元々星が好きだったわけではないが、両親は子供なら誰でも喜ぶだろうと思い諸星の反応を期待していた。

思いも寄らずに部屋に登場した、大きな天体望遠鏡。
バスケ部だった諸星は、もし欲しい物を聞かれていたなら、どちらかいうと、天体観測の道具よりボールやシューズと答えていたかも知れない。

でも両親は、普段何かをねだる事のない諸星に、内緒でご褒美を与えたかったのだ。


今はもう布を被せて、顔を出す期会は滅多に無くなったが、その年の夏は、毎晩それで星を見た


中々忙しく、ゆっくり話せる機会が少ない両親は諸星の好みをあまり知らない、真面目で流行に疎い二人の選択した物は、少し的外れだったのかも知れない。


それでもその時の事が、諸星には、どんなに嬉しかったか。


そんな事を思い出した。



「ホッシー、これはマーボードーフじゃないんだぜ」

「うるさい!トーフなんて初めて切ったんだ!少し小さくなってしまっただけだ!」


「形は正方形だ、凄いな」

「ホッシー、サイコロ作る人になったら」


「なるか!」




真夏の夜に囲む鍋は、予想通りの不器用な仕上がり、三人揃う初めての夜は、端から見れば、何でもない風景で特別な物でもない。

それでも、諸星にとっては、手作りの鍋を誰かと囲む事など初めてであった。


そんな事、今まで求めた事もなく、それがどんなに、自分の心を揺さぶるとも、考えた事もなく




「なんか、家族みたいだね」



狭いテーブルを囲む三角を見回すなかがわが、満足そうに笑い、呟いた言葉に、どれ程焦がれた想いがあるのか、諸星は知らないまま、その夜は更けていった。

[前へ][次へ]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!