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81ひと夏の経験(過去巡り編)
夏休みも中場に入ったその日、らんは赤高からは少し離れた大きな公園に、一人退屈を持て余していた

広い芝生があって、大きな噴水があって遊具は一つもないその公園は、どちらかと言うとらんの通っていた東鳩山中学校に近い


近頃、中学時代の事ばかりを思い出すらんは昔よく訪れていたこの場所になんとなく足を向けた。


足を向けたはいいが、何もないこの場所で、目的も持たずにやって来たらんは暇で、アイスキャンディーを口に加えたままぼーっと噴水の傍に腰掛けているだけだった。

移動車で販売していたのが珍しくて思わず買ってしまったこのアイスキャンディーにも最初の一口でもうとっくに飽きている


らんの座る石の椅子は半円形で、対極の端にはスーツ姿のサラリーマンが缶コーヒーを傍らに置き先程から携帯で会社の上司と思われる人物と難しい話をしていた。

サラリーマンの顔は休憩もまともにないと言った感じで、苦々しく、缶コーヒーは開けてから一度も口を付けてない。
らんは自分と正反対なサラリーマンの様子を何故か少し羨ましい気持ちで眺めていた

自分もあのくらい忙しかったら、無駄な事を考えてる暇もないんだろうなあ、と


そうぼんやりとサラリーマンを眺め続けていたら、いつの間にか彼は通話を終了し、自分をずっと凝視しているらんの存在に気がついてしまった

アイスキャンディーを口に加えて足を伸ばしているいかにも暇そうな若い男に通話中ずっと無言で見られていた事を不気味に感じ、元々対極に座っていたにも関わらず、更にらんがいる方向から30センチ体をずらす。

そこまで不快な態度を表されているというのに、馬鹿は口からアイスキャンディーを抜き、彼に向かって差し出す。



「いります?」


「いいです・・」



もう溶けかけの、ポタポタと地面に染みを作るこのアイスキャンディーのように

17歳の若さにとって、猶予の夏休みが過ぎ消えて行くのは、あっという間の事




【ひと夏の経験(過去巡り編)】





公園を出た足でらんが向かったのは、川を繋いでいる大きな橋の上。

歩道が広く取られたその橋は、車やトラックが横切る事も少なくないが、通過する振動があまり響かず、程よくのどかで、釣り好きには中々評判の良い場所である。


そんな場所で、らんも例に漏れず、橋の上から糸を垂らしてぼんやりと魚を待っていた


勿論この男、釣り具を自ら持参したわけではなく、らんより先にこの場所で釣りをしていたおじさんから、借りた物を使っている。

至近距離で、話し掛けてくる訳でもなく自分も釣りを始める訳でもなく、ただ自分のフィッシングを観察してくるらんの無言の威圧に負け、仕方なしにおじさんは余った餌と釣り具を貸してくれたというのが現在に至るまでの事の真相である。


この橋には幾度と無く、訪た事のあるらんだったが、釣りをして過ごす事は初めてであり
釣り自体が人生で初めての経験であった。


思ったよりもずっと、辛抱がいる遊びだと、らんは思う。

魚が釣れないどころか、釣り糸すらさっぱり揺れない。
釣り好きの人の精神は凄い、とらんは思う。

確実に釣れるという保障などないのに、餌とルアーを釣り糸の先に付けた後は、ただ待つだけという行為を楽しんでいるのである。


うとうとして来ても、この日差しじゃ寝たら最後脱水症状で死んじまう。

オレはハマれないかも、わずか数十分で、らんは釣りに対する期待を手放した

がしかし、諦めて帰るという決断をどうしても選べなかった。

耐え忍ぶという行為は元から苦手分野だ。

けれど、釣れるか釣れないか分からないまま待つ釣り人の気持ちは無駄だと知りつつも募らせていく自分の想いにどこか似ていた


ふとそう感じた瞬間から、どうしても竿を握る手を放す事が出来ない。


意地にも似た、そんな感情ただ一つで続けていた釣りに変化が起きたのはそれからしばらくしてである。


もう、釣りをしているという認識すら薄れかけていたその時、急に釣り針がぐんと重くなり、軽く添えていただけのらんの手から竿が動く。

まさかの反応に、何事か分からず、らんはうろたえた


「なんかかかったす!なんかいるっす!ねえ!どうするべき!?」


釣り初心者のらんは、予想以上の重みに動揺し、釣り具を貸してくれたおじさんにとにかく叫んで指示を求めた。


少し離れた場所からリールを回せと声を掛けてくるおじさんに従い、らんはがむしゃらにリールを回す。


それでも巨大な何かは中々上に上がってこず、らんは一体どんな大物がひっかかているのか気になった。

リールを回す手を止め、橋の下を覗く。

あまり綺麗とはいえない川の底は見えず、まだ何がいるのからんには見え無かった。


回せば回す程固くなるリールを諦めて、らんは橋の端にある階段を駆け降り、川に入る。


竿を離したら、駄目だというおじさんの声も聞かず、らんはその場所まで半分泳ぐように向かった。


なんで、こんな事をしているのか、らん自身は分かっていないようだったが、気付かないうちに、また自分の想いと重ねていたのである。


水の中も追い掛ける勢いで、逃したくなかった。
成就しそうにないと知ってても、ハッピーエンドの空想をしないわけではない。

らんのハッピーエンドは、恋愛と呼ぶには実はにちんけで、空想なのにやけに現実的で


光る水面を掻き分けながら、らんは頭の中に響く声に返事を返す事で祈りを捧げた。



らん


うん、居るよ


らん


こんなに近くだって気付いて


らん


うんずっとそう呼んで



高い場所から垂れ下がる釣り糸は、きらきらしてて、天から下がり揺れる蜘蛛の糸のよう





神様、オレは生涯、黒やんから一番多く名前を呼ばれた人間になりたいです




それがどういう事なのか、意味は別にいりません。






見上げた空は静かで、神様からの反応はない。

実際には釣り糸で、垂れ下がるのは天からではなく橋の上。

ずぶ濡れの全身を河原で乾かすらんの横にあるのはボロいラジカセだから仕方ない。


結局、らんが行水してまで手に入れたのは大魚ではなく、現代には似つかわしくない古いラジカセだった。
アンテナに釣り糸がぐるぐる絡まって、余計にみすぼらしい姿になっている

それでもらんは、満足気に笑っていた。

どうりで重いわけだ、でもこのサビついた赤色は嫌いじゃない。

傷付きまくりで、サビつきまくりで、それでも主張の激しいキツい赤色は、オレの愛そのものじゃん




「もちろんオレの味方よね」




壊れてる壊れてない関係無く、当然返事を返すはずのない、ラジカセに話し掛けるらんは、こう過去を振り返りつつ一人想いを馳せる時間は、あと少しだという事にどことなく気がついていたのかもしれない。

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あきゅろす。
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