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79言葉に出来ない気持ち共
坂井が嫌いだった、チャラチャラした軽薄そうな奴は嫌いだった

自分の理想とする人生を手に入れる為の努力を邪魔されるのが、何より大嫌いなのに

一体何でこんな事になってるんだ、と諸星は思う。


まだ高一と言えど、日々の積み重ねを怠ると、土台が崩れて行き、後から歪みが出て来てしまうという事は分かっている。
学校から、塾の講師から、親からいつも言われている事だ、いつだって正しいのは成功した大人の言葉

ちゃんと分かってるのに、ちゃんと分かってるはずの自分が、まだ午前中だというのに家を出、参考書も開かずに誰の家かも分からない場所居る事。

矛盾している自分の行動が、諸星の頭を悩ませた。


ここはどこ、私は誰?いや、僕は諸星千鶴。

じゃあ、あなたは誰?

あなたは


「オレ?」


気が付いたら、純白に主張された真っ黒な二つの瞳が諸星を覗き込んでいた。

スローな瞬きが二回、密集した濃い睫毛が動く。

考え事をまたも声に出していた事に諸星は気付いていない



「オレはアジト」


なかがわ、あじと、今の所はなー、と淡々と言葉を続けたなかがわだったが

その動く薄ピンクの口に目が離せない諸星の耳には一切届いていなかった。





【言葉に出来ないきもち共】




坂本から一方的に出動の指令が出たのは一夜明けた今朝の事だった。

時刻はまだ7時、辛うじて起きていた諸星だが、早朝の知らない番号からの着信にモチベーションが下がったのは確かである。



「お疲れ、オレオレ」


「昨日の奴だろ!なぜ僕の電話番号を知っている!?」

「ああ?昨日赤外線通信しただろが、しっかりしろや樫木」


呆れたような坂本の声に、苛立ちながらも諸星は段々と昨日の記憶を蘇らせる。
赤外線通信、したか?

正直、坂本の言葉が嘘だと言い切れる自信が無かった。

昨日アパートの前で坂本達と言い合ってた所までは自分の心情も含めてハッキリと覚えている。
問題はその後だ、突然の出来事によってシャットダウンされた自分の思考。

僅か5分程度の出来事、一カ所だけがクリアでそれ以外の景色がぼやけた。

その5分の間、そういえば坂本という男にされるがままのようだった気がする。
馬鹿な、手品でもあるまいし、そんな事が本当にあるのだろうか



「てわけで、昨日のアパートに9時から行って、初出勤ご苦労」


「何言ってんだ、僕は行かないとあれほど言っただろ」

「ふざけんな昨日するっつったべ、テメエ牛嶋くん寄越すぞオラ」 


「へ・・?する、って言った?僕がか?」


まさか、この僕が、あのヤンキーをまともに相手にしたというのか?

嘘だ、しかし思い出せない。
空白の5分間が、諸星を苦しめた、あの5分間で思い出せるのは白い光のオーラを纏った天使の顔だけ

まるでクリスマスイルミネーションのような、宝石のオーラ。


「で、あいつにも9時に来る言ってるから、あ、制服で行ってねこれ重要だから」


「あいつって・・?」


「昨日会わせたべ、んじゃオレはもう寝るバハハイ」


一方的に掛かってきて、一方的に切られた電話。

無音になった機械を見つめる諸星の心の中には今までに感じた事のないような物が渦巻いていた。



「誰が行くか、馬鹿が」





携帯を机の上に置き、頭をガシガシと掻きむしった後自室を出た諸星千鶴。


しっかりと制服に袖を通し、時間通り例のアパートに再び訪れてしまった二時間前の姿である。



アパートを訪れて一時間経過した現在、諸星は、まるで夢から覚めたような気分になっていた。

頭は次第に冷静さを取り戻し、いかに今自分が無駄な事をしているかを考え、心の底から後悔する。


そして、なぜ根本にある意思とは無関係に行動してしまったのか、原因を探る。

恐らく、原因だろうと思われる存在、今目の前で寝転びながらタバコを吸う男。
自分がここに来てから今までほとんど会話は無い、自分自身ここに寄越される意味が分からないのだ、チャイムを鳴らして出て来たなかがわに諸星は掛ける言葉が見つからなかった。

しかし、何も言わずに玄関に立つ諸星の訪問にも、一切感情を漂わせるリアクションを取らずに、ただどーぞとだけ告げたなかがわは、それから一切諸星に絡む事は無く、まるでこの部屋に居るのは自分一人とでもいうように悠々自適に過ごしている。


諸星のする事と言えば、本当にただの見張りだ。
先程からずっと寝転がってあまり動きもしない爬虫類のような奴を、何故貴重な時間を裂いて見張らなければいけないのだろうと諸星はこめかみが痛くなってくる。


そもそも、なぜ昨日はこの男が天使に見えたのか、諸星は謎だった。

今は目の前でタバコを吸う男はどう見ても自分と同い年位の男で、ただの頭の悪そうな奴だ。
派手に脱色した髪の毛先は痛んでいる、天使の髪はきっと人工的に加工なんてしていない。

次から次に火を付けるタバコ、天使は絶対タバコなんて吸わない。


まあ、ただ色は本当に白い、粉雪みたいにサラサラとした白だ。
その割に濃い睫毛は筆ペンでなぞってあるみたいだ。
眼球のほとんどを占める黒の端に見える白目は青みががってグラスに入れた牛乳みたいだ。



原因を探るはずが、気がついたらこんな事を考える流れになっている頭。
時計を見たら、知らないうちにそれで20分程経っている。
この一時間はずっとこれの繰り返しだ。

諸星は夏の暑さと勉強の詰め過ぎで自分はおかしくなってしまったのかと恐怖する。

カウンセリングを頼もうか、しかしここで負けてはきっと将来挫折する。


原因を探らねば、とリベンジに挑む諸星千鶴。



そして冒頭に戻る。



「ずっと喋らねえから、変な人なのかと思ってたわ」

「は?」


ピンク色から意識を覚醒させた時には、なかがわは起き上がって諸星から視線を外していた。

薄笑いを浮かべながら告げられたなかがわの言葉に、諸星は猛烈に反感を感じる。

変な人はどっちだ、家に入れておきながらずっと寝転んだまま起きないで
男のくせに変な顔しやがって

心の中では不満を撒き散らしたが、なぜか口には出せない。



「ま、坂本君の差し金なら変な人に決まってっしな、いいんだけど」


「おい!僕のどこが変なんだ!」


「何考えてんだ、あの人」


ようやく抗議出来たにも関わらず、会話が成立しない。
諸星は苛立ちを覚え、もう絶対自分から話掛けてやるかと再び仏頂面を続けた。

そんな諸星もお構い無しに、なかがわは部屋の隅まで膝立ちで移動し、小さな引き出しの三つ目を開けて何かを取り出す。

突然の気になる行動だったが、諸星は意地でも気にしてる素振りを見せてやるかと不自然に視線を反らしていた。


なかがわが引き出しから取り出したのは一冊の大学ノート。
随分ボロボロで、所々のページが色褪せている。
部屋の隅に移動したなかがわは角に背をもたれる形で座り、微妙に微笑んだままペラリとノートをめくった。


沈黙が流れる空間の中、さすがに諸星はそのノートが気になる。

ペラリペラリと一ページづつそのノートに視線を向けるなかがわ。
相変わらず、こっちの事を伺う様子は無い、思わず横目で見た。



「気になる?」



一瞬の視線に素早く気付いたなかがわは、にやりと悪戯っ子のような企み顔で、諸星に声を掛ける。

突然話し掛けられた諸星は、動揺して、なかがわから視線を遠くにやった。




「これは日記だー」



「日記?」



諸星の態度を気にせずマイペースに話を続けるなかがわに、諸星は不覚にも返事を返してしまった。


なんだか負けた気がして、諸星は悔しさで眉間に皺を寄せた顔をする。




「良樹の日記」


良樹?誰だ、というか自分のじゃないのか、人の日記を勝手に見ていいのか

諸星の頭には様々な疑問が浮かんだが、意地でなかがわに返事を返さなかった。
けれど好奇心には負け、また日記を読むなかがわの方にチラリと視線を流す。



「くくくっ、おもしれー」


何なんだ、あの笑顔は


不意打ち、自分の顔が熱くなっていくのを諸星は止める事が出来ない。


初めて見た、本当に可笑しそうに笑うなかがわの顔に、諸星の心臓はドクドクと脈打つ。


駄目だ、その言葉が心を横切った。
駄目だ、駄目だ、駄目だ


同じ言葉の点滅、紐でぎゅうぎゅうに縛っていた何かが、緩んで行くのを感じた。


心に隙が生まれた、その時、まるで計ったみたいなタイミングで諸星に視線を向けたなかかわは同じ笑顔のまま尋ねる。



「ねえ、そっちは、名前?」


「諸星千鶴・・・」



呆然となかがわの顔を見つめる諸星の耳には、またもモロボシモロボシと繰り返すなかがわのその後の声は届いていなかった。



その同じ日の午後、頭を悩ませる男がもう一人。


黒やんは、そろそろ限界に達そうとしていた。

自分の家にやってきて、もう随分経つ。
始めは、向こうから話してくるまで、ここに来た事情は聞かない。
自由にしておこうと思っていた。
そう思ったのは、きっと彼女は何かしら自分の中で決着を付け、いずれ絶対話してくれると思っていたからだ。

けれども、そう願い続けた望みは未だ叶わず、まるで訳有りの逃亡者のように何かを隠してる節がある。


彼女、たえにそういう接し方をされる事に、黒やんは酷いストレスを感じていた。



たえを含む住人が皆留守中の自宅で、黒やんは一人テーブルの上を眺めた。

溜まった雑誌を片そうと思っていたら、まるで紛れさせてあるかのように出て来た、一冊の求人情報誌。

日付から見て、先週に発行された物だった。
長いバイトを続けている自分は買わない。
父や弟が未だかつてこんな物を読んでる姿を見た事があっただろうか。

例え読んでいたとしても、二人の性格からして、こんなふうに几帳面にカラフルなふせんを付けたりはしない。


何で、たえが仕事探してんだ、黒やんは求人情報誌を眺めながら痛む頭を押さえる。


アメリカで大学に進学したばかりだ、いいサーフチームに入って上に向かっていたはずのたえが、何でこんな所の求人情報誌なんて買う。


黒やんの中の不信感は、もう最後の一滴で溢れる所まで来ていた。

ここに来てから思い出話ばかりするたえ、大学の話を一切しないたえ
電話が掛かってくる度に怯えるような顔をするたえ


誰かに宛てようとしている手紙を、何回も途中で辞めて、便箋ばかりが減り、どんどん余っていく封筒。


不安要素は、もう既に数え切れない程だ。

これ以上黙ってここに置いておく事は出来ない。




目を閉じて、そう心の中で呟いた時に、玄関の扉を開く音がした。

帰宅したら真面目に内側から鍵を掛ける癖。
静かな足音で、もう人物は特定される。


背後に人の気配を感じた時、黒やんは振り向かないまま後ろに立つ人物に話し掛けた。



「なあ、なんで日本に帰って来たんだよ」



静かな部屋に、その質問はハッキリと全体に響く、求人情報誌を目の前に座る黒やんの背中に、明らかな戸惑いの雰囲気が後ろの人物から伝わった。



「なんでオレん所に来たわけ?実家に、行かなくていいんかよ」



後ろに立つたえさんは、一見落ちついているように聞こえる黒やんの声が微かに震えている事に気付く。

その震えが、怒りに似た物である事も、突然押しかけて来た自分の強引さに苛立たれている訳ではなく、本当の事を隠し通したままでいる事にだというのも。


たえは黒やんに返事を返す前に、静かに黒やんの隣まで歩き、音を立てずに腰を降ろした。

二人共目を合わせないまま、お互いに視線は前の壁。

静寂に包まれた狭い二人の距離で、たえは深呼吸を皮切りに壁に向かって口を開いた。



「半年前位にね、手術したのね」


特別、明るいわけでも暗いわけでもないトーンのたえの声、黒やんは首を捻り、言葉を続ける隣の横顔を見つめた。



「ほんの少しだけど、膝に後遺症が残ったの、普通に生活するには全然問題無い、凄くラッキーな後遺症、でもサーファーにとっては致命的」



顔色一つ変えずに話すたえに、黒やんは息が止まりそうになった。
余りの驚きに顔がマネキンのように硬直して動かせない。



「私もうサーフィン出来ないから、大学も辞めてこっちに戻るの」


「・・・」


「帰って来たのは、親にこの事を話して向こうから持って来た退学届けにサインを貰うため、本当はそれだけ貰ったら早く向こうに戻って寮の部屋を片付けなきゃ」



悲しみや、絶望などまるで匂わせず、淡々と告げるたえの言葉は、泣きながら話されるより、黒やんの胸に深くつき刺さった。

本当は、早く戻って、片付けなくてはいけない雑務が山のようにある、にも関わらず、黒川家で遅い時の流れを過ごすたえの心情が、黒やんには痛い程分かって。



「もう、随分前に決まってたのよ、大学を辞める事。飛行機に乗った時には蹴りが着いてたはずなのに、こっちに着いた時、家に帰ってサインを貰えば、もう本当に終わりなんだなって思ったら急に、勇気が出なくなって家に帰れなくなって」



「もう、分かった」




「昔を思い出したの、ダイの事、らんの事、みんなの事、私のが終わる前にどうしても会いたくてサーフィンを忘れる前に」




黒川家に来たたえは、家に戻れない代わりに手紙でこの事を伝えようと、何度も何度も書き表せない自分の気持ちを丸めて捨てた。

求人情報誌は、こっちに戻って来た時、生きる目的に迷わないようにする為の保険。


隠されていた事実が、繋がっていく度に、やるせない現実は黒やんを叩く




「ダイごめんね自分勝手な事ばっかりして」



「そんな事、どうでもいいから・・何で早く言わねえんだよ」




黒やんはたえさんの顔がまともに見れず、額を膝に付けて弱い声で呟く。


まるで自分の事のように、体を丸めてへこむ黒やんを見て、たえは少しだけ微笑んで心の中で今までの感謝を込めた



「ねえ、ダイ、ダイのカモメ見せてよ」



小さく弾ませたたえさんの声に、黒やんは数秒経った後に反応し、酷く遅い動作で後ろ髪を上げ、露出したうなじをたえに向ける。



「あ、三羽、すごい一羽増えてる」



先程の会話がまるで無かったかのような楽し気な口調で、黒やんの首筋に飛ぶ小さな三つのカモメのマークをたえは喜ぶ


そんなたえとは対象的に、黒やんの顔はまだ膝に押し付けられたまま上がる事は無かった。



「こんなの、たえの方が全然多いじゃんか・・」



黒やんの首に印されたカモメは、この辺りのアマチュアサーファーの大会で一つ優勝したら記念に黒やんの叔父から貰えるサーファー仲間の間で有名なタトゥーだった。

彫士ではない素人の叔父が彫る落書きみたいなタトゥーでも、この辺りのサーファーは皆出来るだけ多く手に入れたいと願う。


黒やんが、サーフィンを初めるずっと前から、たえの体のあちこちにこのカモメは飛んでいた。


たえが目標だった、たえに追い付きたかった。


その昔、自分はずっとそんなふうに思っていた。



あまりにも突然の、残酷な時の流れの実感に黒やんは、ただやるせなくて、振り切るようにきつく目を閉じた

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