77ひと夏の経験(脱皮偏)
夏の夜は19時を過ぎてもまだ少し明るい、待ち合わせ場所で一人ぼんやりしていると、黒い単車がうるさい音を立ててこちらに向かってくる。
単車の音が遠くから少しづつ近づいてきた時から、オレはそれが先輩であると気が付いていた為、目の前に停車した時も大したリアクションをとらなかった。
「無免」
「や、もうとったよ」
出会い頭、 挨拶を省いて会話を始めるのはこの人とじゃ常識である。
それ程中学時代はこの人とよく一緒に居た。
大した思い出は無いけど、一緒に居た時間だけは長かった。
久しぶりに千羽先輩の顔をちゃんと見ながら
オレは何年か振りにそんな事を思い出した。
【ひと夏の経験(脱皮偏)】
単車から降りた先輩は、特に今後の予定を話す事も無く、オレの存在を無視してポケットに手を伸ばす。
ジーパンの後ろから、取り出した煙草は空。
ニコチン切れの先輩は苛つきながらそれをくしゃくしゃに丸めて地面に捨てた。
「せんぱい、あげようか?」
「セッターなんか吸えっか、買ってくるからケンちゃんここで待っといて」
なぜかキレ口調でそう言い捨てて、先輩はすぐ目の前にあるコンビニにだるそうに歩いて行った。
先輩は、平気で人を待たす。
指定時間より若干遅れてきたにも関わらず、またオレを待ちぼうけにする。
オレは他人の我が儘に寛大な方だと思っていたが、やっぱり特定の人物以外の我が儘は可愛くない。
急ごうともせずようやくコンビニに入っていく先輩の後ろ姿を眺めながら、やっぱり変わってねえなあとオレは思った。
「ケンちゃん彼女いんの?」
戻って、ようやくタバコが吸えた先輩の機嫌は戻っており、オレのすぐ隣に腰掛けて、携帯をいじりながら話掛けてくる。
またも、内容は今後の予定の事ではない。
自分から誘っておいてこの人はとことんノープランだ。
まあ、いつもの事であるけど。
「別にー」
「何別にて、じゃあ二人女適当に呼ぶから」
オレの答えになってない返しにも、先輩はさして興味を示さず携帯のアドレスの中を探し始めた。
その行動にオレは初めて先輩の方を向き、それを阻止する声を投げつける。
「嫌だ」
「は?なんで?」
「そんなテンションじゃない、飲み行こうよ」
知らない女の子と先輩と三人で遊ぶなど、オレの低迷しているテンションを更にささくれさすだけである。
乗りの悪いオレに対して、先輩は面倒くさそうにだるそうな目を向ける。
まあ、オレがうかつだったのではあるが。
先輩が怪訝な目を向けるのも無理は無い。
この人と遊ぶのに女が絡んで来ない事なんてあり得ないのだから。
そうでなかったら、先輩がオレ単体をわざわざ呼び出す訳が無い。
中学時代チャラチャラ絶頂期だった頃のオレは、この人と二人で死ぬ程ナンパした。
お互いの女遍歴は多分ほぼ知っている
「オレ単車で来てんのに面倒だべ、つーかケンちゃん酔っぱらったら泣くからお前とサシ飲みきついんだけど」
「んだよオレは今日超酔っぱらっいてーんだよ、先輩オレと遊びてーんだろーいーじゃん付き合ってよ」
そう、元々、オレを何度も誘って来たのは先輩の方である。
坂本の自己中以外には反論出来るんだなあ、と考えながらムカついてるはずの自分の声がなんだか泣き言みたいになってて、オレは少し情けなかった。
情緒不安定そうなオレの様子に気付いた先輩は、そこでようやく携帯を閉じる。
「ま、確かに今からどこそこ動くのだりいし、オレんちで飲むか」
「先輩んち?人いねーの?」
「いないいない、何?オレんちじゃ悪い?」
「別にどこでもいいっす、オレは酒が飲めれば」
「アル中かよ」
自分で言っておきながらだが、簡単に折れた先輩にオレは心の中で凄く拍子抜けしていた。
先輩の足は原付か単車、単車は人を運ぶ時用。
中学時代、先輩が単車で集まりにやって来たら、すぐに抜けて女の元に行くことは暗黙の了解だった。
無免時代から乗り回していたそれの運転はもうさすがに安定している。
オレは躊躇わずに先輩の後ろにまたがった。
「メット忘れてきたから死ぬなよケンちゃん。」
オレが返事を返す前に、先輩は単車を発射させる。
本当に、この人との間には、大した思い出も絆もねえわなと思いながらも
この時は、お互いに全く気を使わなくていいこの人といるのが、なんだか楽で、それ以上の事をオレに思い浮かばせてくれなかったのである。
先輩の家に最後に来たのは、随分昔の事だ。
先輩の家は母子家庭で、先輩のお母さんは夜働いているらしく会った事はほとんどない。
たまに居たお兄さんは、学校を卒業してとっくに家を出ていた。
久しぶりに来た先輩の家は、まるで先輩だけの家のようだった。
家に着いた途端、先輩は山のように、オレに酒を渡してきて、自分は着替えるためにジーパンから鍵やら携帯やらをガチャガチャ机の上に出し始めた。
スゥエット姿になった先輩はオレの隣に腰掛け、床に置かれた酒の中から自分も一本選びプルタブをあける。
「ケンちゃん赤高だべ」
「うん」
「まんま過ぎてまじうけるわ」
「うっせ、仙山も別に同じじゃ」
中学の頃、遊び過ぎた奴らの行く末は、大概仙山か赤高か、はたまた工業か金持ってる奴は馬鹿私立。
オレらの仲間は大体その辺に固まっていて、大学に進学する気の無い者は特に気にしない。
でも赤高だけはトップの馬鹿な上に男子高な為、赤高だけは避けときたいと皆受験1ヶ月前にはなんちゃって受験生を気取って付け焼き刃に勉強したりするものの
それも無駄で結局赤高に入っちゃった奴は、仲間内でちょっとネタにされる。
オレの場合は、受験1ヶ月前にも間に合わなかった故の結果なのだが。
「先輩の代の人達今何してんの?ユーヤ先輩は?」
「仙山居るよ、たまにDJやってて女くいまくってる」
「へーなつかし、ヒカル先輩は?」
「あいつは学校辞めて今ホストやってる」
「アハハハー!オレよりまんまじゃねーかよ、怖かったなーヒカルさん」
オレらの一個上の代に居た、その時の城中で一番凶悪で、城中を自分の思い通りにめちゃくちゃやっていた男。
千羽先輩達のグループで、いつも中心に居た、ヒカル先輩という人の存在を思い出す。
髪は、坂本の白金ブロンドとは違うブルネットかかった金髪
パーマで傷んだ長髪に、凶器のようなピアスをでかいピアスホールに通しいつもガチャガチャいじっていた。
後輩を奴隷のようにこきつかい、少しでも気にいらなければあっという間にハブにする。
ヒカル先輩のせいで精神的に病んでしまった奴をは何人も見ていたので、オレはなるべく距離を取りいつも当たり触りない態度で接していた。
本当、ちょっと病気なんじゃないかという位、ヒカル先輩はいつも突然癇癪を起こし、巻き込まれた人間はえらいなとばっちりを受ける。
そんな人だった故、オレら後輩からの評判は、生理的に受けつけない者と、それでもヒカル先輩に気に入られれば相当な後ろ楯が出来ると思う者賛否両論だった。
総スカンされてもおかしくない人格だったにも関わらず、その地位を保っていたのは、やはり先輩でなんだかんだ怖かったし、雑誌のモデルなんかもたまにしてて本当に派手にやっていた人だから、男として羨望を向けていた奴も居たと思う。
いつも一人か二人は引きつれていた、ヒカル先輩信者。
髪とか服とかもそいつらは全部ヒカルさん系。
同学年の極少数派に居たそいつらをオレらは理解出来ない思いで遠目で眺めていた。
「・・・ケンちゃんさあ、お前らのタメだった木ノ下て覚える?」
「ああ、うん。キノだろ、超ギャル男の」
先輩から、随分聞いてなかった名前が出て来て、オレは意外に思いながらも記憶を掘り起こして木ノ下の事を思い返す。
木ノ下とは特別仲が良かったとも一切絡みが無かったとも言えない微妙な関係だった。
木ノ下という男はとにかく目立ちたがりで、テンションが高く馬鹿に見せておいてわりかし計算する男。
特定のグループにはおらず、いろんな所を渡り歩いていたキノはたまにオレや手島の所にも来ていた。
あからさまな空テンションがオレらのノリと違って何回か遊んだ事はあるが、結局さほど仲が深まらないまま、今は携帯の番号も知らない。
そして、そんな木ノ下は、ヒカルさん信者で、口を開けば、ヒカルさんが、ヒカルさんに、と言っていた事を思い出す。
「覚えてる?あいつが一時期学校来なくなった時の事」
話の意図が掴めていないオレに、先輩は、含んだような笑い方でこっちを見た。
まるで、怖い話でもする前のようか先輩の口ぶりに、オレも無意識に無言になってしまう。
「覚えてねえの?うっさかったあいつが消えて城中静かになった時あったべ」
「わかんない、どうだろサボりだと思ってて気にして無かったのかも。」
「あいつを来なくさせたのはヒカルだよ」
最後の言葉が、なんだか悪魔の囁きみたいでぞっとする。
顔面が硬直するオレに先輩は吹き出して笑い出した。
言われてみれば、あったかもしれない。
付き人のようにいつもいつもヒカル先輩の取り巻きをしていた木ノ下。
いつからか、そんな木ノ下がヒカル先輩の傍から消えた。
でも、すぐにまた変わりの誰かがいてオレらはそんなに気にならなかった。
言われてみれば、それからあんなに目立ちたがりでうるさかった木ノ下が少しおとなしくなっていたかもしれない。
「何それ、どういう意味?」
「オレもヒカルは、木ノ下の事気に入ってる方だと思ってたんだけど、あいつあんまり騒がしいじゃん、ヒカルも若干そこが苛ついてたみてー自分より目立とうとする奴嫌いだし」
先輩は笑いながら話しているが、オレはまだこの話が面白い話だとは決められなかった
何せ登場人物がヒカルさん、嫌な予感がまとわりついて堪らない。
「ヒカルがいつものごとく、突然キレて、木ノ下にうざいから寄るなつったんだわ、言われた木ノ下はもう青ざめて、ヒカルの機嫌を取るのに必死、それが益々ヒカルを苛つかせたみてーで」
「ハブにした?」
「なら良かったのにな、ヒカルは何があったのかしんねえけど、その時いつになく機嫌が悪かったんだわ」
一体何があったのか、予想もつかないが、オレはもう続きを聞きたく無かった。
ヒカルさんの凶悪ぶりはオレもよく分かっている。
一回は気に入らない女の子の制服をズタズタに切り裂いて、布の切りクズになったそれを学校中いたる所にばらまいた。
女の子に対してすら、その仕打ち。
乱暴さが恐ろしいのでなく、陰湿さがおぞましいのである。
そんなオレの望みは受け入れられず、先輩は当然続きを話し出す。
オレは身が固くなった。
「次の日、木ノ下が消えてたから、まさかヒカル殺したんじゃねーかと思って、聞いたんだわ、あいつは本当やばい」
「・・・何を」
「あいつ木ノ下をやっちゃったんだって」
言葉を理解する前に、オレは全身に鳥肌が立ち、言葉を理解した瞬間にオレは勢いよく先輩から身を引いた。
先輩はそんなオレのリアクションに期待通りと笑い、酒一口飲んだ後、話しを続ける
「オレも初めて聞いた時はこいつ人間じゃねーてマジ引いたわ、でもその後のヒカルが木ノ下は消えたわ、予想外に気持ちかったらしーわでえらいご機嫌でねー」
「もういい、聞きたくねー」
「で仲間内で、ネタになった時何人かと話してた訳よ」
聞きたくないって言ってるだろ、と先輩を睨めば、先輩は薄笑いのままオレと向かい合っていた。
その薄笑いが恐ろしくて、からからに乾いていく喉を、オレは思わず鳴らす。
「ヒカルみたいに手え出すなら、誰だったらいける?て」
先輩はオレの肩に手を置き、オレの首元に視線を這わせた、オレは無言のままズルズルと身体を反らそと後退したが、先輩もそれに合わせて動き、掴まれる手から逃れる事が出来ない。
「オレはさあ、絶対ケンちゃんがいいって言ったわ」
何笑ってるんだ、ふざけんな、頭に血が登ってオレは気が付いたら先輩を軽く殴っていた。
そこでやっと、自分が物凄い汗びっしょりで、尋常じゃない程荒い息をしているという事に気付く。
「ってえな・・おい」
オレに殴られた頬を押さえ、睨みつける先輩が今度は勢い良くオレに飛びかかり、押し倒されて押さえ込まれた。
なんだ、やばいのか、オレはボコられんのか、殺されんのか、それとも
狂ったみたいに思考が回らない、オレは一体何やってんだ。
何でこんな所で、こんな事やってんだ
訳がわからない胃が気持ち悪い。
「怖がんなて、オイ、ケンちゃんならいけるって」
「しね!どけ!」
「なあ、オレら何でもやってきたじゃん」
「しらん!どけ!」
言ってやりたい事は山ほどあるのに、喉がつっかえて、出てくる言葉はちゃちな物ばかり
ああ、今日の昼まで、オレは坂本からの連絡を待ってたんだ
期待はしてなかったけど、気合いを入れて待ってた
いつからこんな事になったなか、何からおかしくなったんだろう
先輩は、何でオレを誘ったのか。
よりにもよって、現在坂本が好きであるオレを
オレなら大丈夫て、何が先輩をそう思わせた。
タイムリーに樫木の事もなかがわの事もいっぱいあって、オレの頭ん中はぐちゃぐちゃ。
冗談だとしても、これじゃあ全然笑えない。
「ケンちゃんなら、もう何されても怖くないしょ」
完全に負けの姿勢のオレの耳に囁かれた先輩の言葉。
それは一番オレの心をえぐる物であり、唯一オレを正気に返す物だった。
怒り、怒りは時に最も強力なエネルギーを湧き上がらせる。
伸しかかられているとは思えない程の強さでオレは先輩を飛ばし置き上がった。
何も考えられない位ムカついて、酒の空き缶を先輩に投げつける
なんだこいつ、腹立つ腹立つ腹立つ、もし法律が無かったら、オレは迷わず先輩を殺していたかもしれない程、激情が押さえられない。
悔しくて泣きそうだけど、死んでも泣きたくなんかないオレは顔面に力を入れて思い切り先輩を睨み付けた。
「なあ、先輩は知ってんの?」
「は」
「まだ駄目なの!?もう二年だよ!?オレはもうマイちゃんとは会ってねえし仙山とも関わりたくねえ!」
「ケンちゃん、落ち着け」
我を忘れたように怒鳴るオレに先輩は目を丸くする
オレは高校入って最初、なるべく中学時代を思い出さないようにしていた。
それは物凄く嫌な事で中学時代の最後を締めたから、一番新しい記憶はそれでどうしても強烈に蘇ってくるものだったから。
でも、ここ最近になって
オレは、ふと思うのだ。
「ねえ、確かに昔人生のどん底はあったよ」
「とにかく、座れ」
「それが強すぎて、周りが思うオレの印象てそれだけかもしれないけど、オレにとってはそれだけじゃねーんだよ」
当たり前だ、オレの人生だ、他の誰が覚えていなくとも、オレはちゃんと覚えている
悪い事も、いい事も。
高校に入った当初、自分ですらその記憶を消そうとしようとしていたオレを、色んな物を棒に振ろうとしていたオレを更正させたのは
ゆっくり治癒していったのは
「赤高、けっこ楽しんだよ・・」
震えるオレの声に先輩が驚いているのが分かる。
オレの言っている事を半分も理解出来てないだろうが、こんなオレの姿だけでも先輩にとっては珍しいだろうから。
無言で玄関に向かうオレに先輩は慌てて立ち上がり力強くベルトを掴んで来た。
オレは体勢を崩しそうになりながらも、勢い良く振り払い、靴を爪先に引っ掛けただけのまま玄関を飛び出して走ったのだった。
どれだけ走ったか、気が付いたら、辺りの景色は住宅街から交通の多い道路添いに変わっていた。
どうやってここまで来たか、オレは全く思い出せない。
手は震え、真っ白だ、脈も全然正常じゃない、恐怖はまだ体に残っていたと思い知ったオレは、さっき先輩に物申した自分には一瞬の魔法がかかっていたと気付く。
走れなくなって、ゆっくりガードレール添いを歩いた。
歩きながら感じる携帯の振動に体はびくっと震え、恐る恐る着信を確認すると、今の状況にちぐはぐな相手からの名前が表示されていて、なんだか無性に声が聞きたくなってしまった。
オレは迷わず通話ボタンを押す。
「ケンケン!!今何やってんの?」
「知らない道を、歩いています、お前はー?」
「オレさあ今彼女とボーリングやってんだけど超高スコア出しちゃってーケンケン近くにいんなら見て欲しくてー、つーかどこ?知らない道てどこ?」
知らない道なら知らないに決まってんだろ、と突っ込みながら、今日初めっから手島がオレに電話を掛けて来てくれていたら、オレはきっと楽しかっただろうになと思った。
本当に空気読めねえなあ、才能だよこいつは
手島と言葉を交す度に、オレの足取りはどんどん緩やかになって呼吸も落ちつく。
懐かしい、とオレはなぜかそんな気持ちになった。
最近、ここ最近は赤高に居てふと思うんだ。
「ねえ、てしまー」
「何?」
中学三年の半ば、オレの人生は間違い無くどん底だった。
中々辛かった、正直もう生きたくねーと思ってしまった瞬間もあったかもしれない
けど、それでも
「オレら中学の頃、めっちゃ楽しかったよなあ」
嫌な事ばかりが思い出されても、忘れちゃ駄目なんだ。
赤高に入って、なんだか楽しい時、ふと思うのだ。
昔みたいだなあと
「本当楽しかった」
一秒の間隔も空かずに返っってきた手島の返事を聞いて、心底安心してしまったオレは、車ばかりとすれ違う人通りの無い道で、不覚にも涙がこぼれた。
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