現世乱武小説 綱元の悩み(小十佐) 「ん…おい、鬼庭」 裏口から入るとちょうど事務所に入ろうとする綱元の姿を見つけて小十郎は声をかけた。 途端、綱元はドアノブから手を離して左向け左をするともと来た通路を引き返してしまう。 「あ、おいっ…、」 「来んなばかっ急用だ急用!」 野菜のカゴを抱えたままあとを追うこともできず、理解しがたい綱元の行動に小首を傾げる。 「……昼飯は丼でいいか確認したかっただけなんだが」 明らかに自分を避けていた。 …もし成実殿と事に及んでしまったのだとしても、そこで俺を敬遠する必要はないはず。 思い当たる節がなく、眉間にしわばかりが増えていく小十郎を見かねて斜め後ろに控えていた左近が困ったように笑った。 「気にしないほうがいいですよ。鬼庭さん自身の問題なんで」 「…何か悩み事か」 今朝、連絡もなしで来たこいつの相手をしていた綱元の様子がおかしかったことを思い出して半眼で訊ねると、すぐに否定が返ってくると思っていたが左近は顎に指をかけて思案げな顔をする。 「まあ…悩みといえば悩みですか。とりあえず俺、風呂行ってきます」 「おう、お疲れさん」 事務所に入ると風呂に向かう左近の背を見送って、小十郎は受話器を手にして出前を頼んだ。 適当に注文して受話器を置くと、ちょうど事務所のドアが開いた。 ふと顔を上げてドアを見やると、疲れたような面持ちの綱元が姿を見せた。 が、やはりこちらに気付くなり顔を強ばらせる。今回は逃げたりはしなかったが、様子がおかしいという点は変わらずだ。 …急用とか言っていたが、こんなに早く帰ってきたらその場しのぎで口走ったのがバレバレだぞ。 目も合わせようとしないまま綱元は自分の席に座りパソコンを立ち上げる。 本当は構わないでやったほうがお互いのためになるのかもしれない。 しかし連携する仕事である以上、しこりは解消しなくては旅館全体に影響してしまう。 …いや、あいつも判ってはいるのだろう。 ただ理由が理由なだけに、といったところか。 「……鬼庭」 「…なんだよ」 無視されることも予想していたが、さすがにそこまで子供じみた真似はしてこないか。 パソコンのディスプレイを見つめる相手の隣にキャリー付きの椅子を寄せて腰を下ろす。 途端に、綱元の空気が固いものになる。 「…お前、成実殿と何かあっただろ」 いきなり核心すぎただろうか。 生唾を飲んで真剣に綱元の横顔を見る。 しかし綱元はディスプレイに視線を向けたまま数度瞬きすると、話を飲み込めていないような顔でこちらに向き直った。 「…成実さん?……成実さんとは別に…あったかなかったかって訊かれたら特に何もねぇけど…」 「…何も、なのか?昨日の夜とかは?」 「ゆうべは……あぁ、いや、でも何ってほどじゃねぇからな。やっぱ特に――おぉうッ!?」 気がつけば、俺は無意識のうちに鬼庭の尻を掴んでいた。 「…ヤられたんじゃねぇのか?」 低い声音で鋭く囁くと、鬼庭は一瞬呆けたように固まっていたがすぐにこちらの腕を叩き落とした。 「な、なんで俺が成実さんとすんだよっ!しかもヤられてる側前提とかワケわかんねーぞテメェ!」 …このキレ方……嘘ではないらしい。 「俺ァゆうべあの人にマッサージしてもらっただけだ。…確かに最初はよくわかんねーこと色々言われたけどよ」 「なんだ…」 なんだか自分自身理由は判らないが、それを聞いてものすごく安心した。 やっぱりあの二人にそういう気があるはずがないのだ。 考えすぎにしてもほどがある、と肩の力を抜く。 「まぁ成実殿が言うことは大半がワケのわからねーことだ。気にするな」 本人が聞いたら猛反発されるであろうことを言って綱元の肩を軽く叩くと、綱元は目を伏せて自嘲気味に笑った。 「おかげでな……気付いちまったよ」 「…?何にだ」 「…気付かなくてもいいことにだよ」 どことなく切なげに聞こえた台詞に眉を潜めると、不意に綱元が声を出して笑った。 「ま、お前と話したら少しは楽になったわ。別に今となっちゃどうしようもねぇことだしな」 「…どうしようもない?」 「ん?んー…まあな。つーか独り言勝手に聞いてんじゃねえよ」 「あのデカいのが独り言か」 「あーあ、そうだよな……お前はこうだよな…。俺バカみてぇ」 諦観したような、吹っ切れたような。 そんな口調でそう言うと、綱元は一人よし、と頷いた。 「判った。やっぱ諦める。フツーにかわいい子見つける」 「…なぁ、さっきから何言ってんだ?」 「うるせぇな、気の迷いだったんだよ」 「はあ?」 結局それきりその話題について綱元が触れることもなく、何故様子がおかしかったのかも曖昧なまま気がつけば綱元はいつもの調子に戻っていた。 よく判らないが、普段どおりの会話ができるようになってよかった。 悪態に悪態で返しながら、小十郎は内心安堵した。 . [*前へ][次へ#] [戻る] |