現世乱武小説
救いのキス(左三)
運転席に左近が乗って、そこでようやく今朝の気まずい空気を思い出した。
明らかに挙動不審だった己を左近はどう思っただろう。今現在の言動からして特に気にしている様子は見受けられないが…
「どうかしました?」
「あ、いやっ…なんでもない」
無意識に左近をじっと見つめていたらしい。
ぱっと顔を正面に向かせて居住まいを正す。不思議そうな視線が頬に突き刺さっているが、今根負けしたら今朝自身の胸のうちに渦巻いていた不安を説明しなくてはならなくなる。
そんなことをしたら、せっかく気にせずにいてくれた左近にまで微妙な空気を味わわせてしまうだろう。
「…明日も出してくれるのか、車」
とりあえず話題を振らねばと必死に頭を回転させ、ぼそりと小さく訊ねてみた。
「ええ、もちろんいいですよ。時間さえ教えてくれればいつでも出しましょう」
あえて無理矢理話を逸らした点には触れず、左近はにこりと微笑を返してくれた。
車が発進して学校を出る。
そのスムーズな動きに反して三成の胸中は暗澹としていた。
…訊けるわけがない。
何故触れてこないのか、なんて…
一番の理由は自分だって判っているのだ。
外ならぬ俺自身が拒んだのだから。
…まあ、厳密にいえば完全に指一本触れてこないわけではない。マッサージを頼むこともあるし、日常の中で何気ない接触ならちらほらある。
ないのは性的な触れ合いだ。
求めているわけではないが、今までが今までだっただけに落ち着かない。
もしかして、左近は俺に飽きてしまったのかもしれない――
ふとそんな考えが浮かび、すぐに頭を振って疑念を振り払った。
黙り込んでしまったかと思えば急な話題転換。
何か考え事をしているであろうことは明白で、しかしそこに俺を巻き込みたくないという思いが滲み出ていた。
…今度はふるふると頭を振っている。
本当に、どうしたというのか。
俺に言えない悩みとなると……三成さんのことだから口にするのが恥ずかしいこととか、そのへんが有力だ。
ほかにあるとすれば…俺が怒りそうだと思っていることか。
この人は世渡りが下手という自覚があるおかげで、人の負の感情に触れることに怯えている節がある。
「……」
せめてテストが終わるまでは無理に詮索せずに見守るのが一番だろう。
一杯一杯な様子の相手にこれ以上心を乱す要素を与えてはいけない。
「三成さん、」
「ッ…!」
視界の隅で、びくりと細い肩が跳ねたのが判った。
明らかに怖がっている。…怯えている。
だがその原因が思い当たらない。
俺が呼びかけてああなるということは、やはり俺が何かしたのだろうか。
そこでふと今朝のことを思い出した。
なんの前触れもなく、唐突にキスをしてきた三成さん。
俺が引き離したらまるで捨てられた犬のような瞳で寂しそうに俯いた…
あれと関係があるとすれば。
「……」
いつもは曲がらないような薄暗い路地裏へとハンドルをきる。
周りに気を配る余裕もないのか、三成さんはぼうっと窓を眺めるのみ。
やがて左近は、人の気配もない閉塞した道の端に車を寄せ、サイドブレーキを引いた。
「…?左近?なんだここは…」
ようやく道がおかしいことに気付いたようだが、左近は構わずシートベルトを外してエンジンを止める。
不意に車内が静まり返る。
夏も本番に入ろうという季節だが、コンクリートに囲まれ日陰になっているここはそれを感じさせないほど涼しい。ほんの数センチばかり窓を開ければクーラーもいらなかった。
「…おい、さこ
「三成さん、ひとつ知っといてほしいことがあります」
「……な、なんだ」
戸惑うように揺れる瞳。
そっと手を伸ばし、白い頬に触れ、柔らかな唇を親指で軽くつついて小さく笑った。
「心配せずとも、俺にはもう三成さんだけです」
強張る体を無視して、隙間を埋めるように相手の唇を覆う口付けを見舞った。
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