現世乱武小説
Telephone(左三)
「きゅうそくはとらなくてよいのですか?」
声に振り返ると、風呂から上がった謙信が戸口に立っていた。
左近はにこりと笑って持っていた定規やシャープペンを机に置き、机に広げていた用紙を指先で摘みぴらりと広げて謙信に見せる。
「とりあえず案はまとまったんで。レプリカも行けるとこまで造っちまおうかと」
「これは……すばらしい。あなたをえらんでせいかいでした」
呈示された紙は下書き段階でだいぶ見づらくて汚いが、新しい図面。
それを相変わらず真っ白な寝間着を着た謙信がしげしげと眺めて感嘆の声を漏らした。
左近自身、前の図案もそこそこ気に入っていたが今しがた上がった図案のほうが満足いくものに仕上がったように思う。
あとは形にしていって、おかしいところがないか逐一確認していけば問題ないだろう。
一通り目を配った謙信は机の上の消しゴムの滓に目を留めて左近に視線を戻す。
「ずいぶんいそいだようですが……なにかあるのですか?」
その消しゴムの滓は試行錯誤を繰り返し、懊悩して奔走した証。
依頼してきた住宅会社と次に会うのは来週ということになったため時間はたっぷりある。
何も今日明日で完成させなくてはならないわけではない。
そんな現状に反して早すぎるほどのペースで書き上げたこちらに疑問を抱いているらしい。
紙を机の上に置き、苦笑して首の後ろに手をやった。
「待ってる人がいましてね。呼ばれてる気がして……まあ本人は誰が呼ぶかとかって怒るんでしょうけど」
「…そうでしたか。」
くすりと笑って謙信は背を向けながら続ける。
「でしたら、そのかたのためにもいそがなくでいけませんね」
「……ええ」
「レプリカのいっしきをおもちしましょう」
そう言い置いて謙信は部屋を出ていった。
深く椅子に背を預け、机上に放置されていた携帯を横目で見遣る。
一度もなんの受信も知らせることはなかったが、それもそうだろう。
あの人は電話というものを自らしようとしても手が出ない性格なのだから。
しかも今回はこちらを避けているときている。
あの人からの連絡を待とうというのが間違いだ。
今日はバイトの日だろうか。
あの人を付け狙っていた男たちはあれから姿を見せていないようだが、今夜は大丈夫だろうか。
変な虫はついたりしていないだろうか。
様々な心配が次々と頭に浮かんでくる。
顔を合わせていればこんなこと考えずに済むのに。
すべては、不器用さを受け止めてやれなかった己の器の小ささから招いたことが原因だ。
歳ばかり食って随分ガキ臭いことをしてしまった。
…寝る前にメールだけでも入れとくか。
まあ、これからレプリカ造りだから今日寝れるかどうか定かではないが。
そう思って視線を黒いばかりの空に移そうとしたとき。
ピリリリ、ピリリリ…
着信音が鼓膜を突いた。
一拍遅れて我に返って発信者を確認する。
疲れている故の幻覚では、と目を擦ってみるも、やはり視覚は同じ名前を映してくる。
この名前で電話がくることなど滅多にないのに…
信じられない。
フリップを開き、驚きを隠せず半ば呆然としながら電話に出た。
「…もしもし」
『………』
返答はなかったが、微かな雑音が電話が繋がっていることを教えてくる。
小さく鼻をすする音がしてずきんと胸が痛んだ。
まさか泣かせてしまっているとは…
「…まだ山形です。予想外に長引いちゃいまして…」
『……いつだ』
「え、はい?」
『……いつ帰ってくるのだ』
暗く沈んだ声は小さくて聞き取りにくく、相手の精神状態を顕しているようで痛々しい。
「明確な日取りは判りません…。一応出来る限り早くしますが――
『左近』
「――はい」
『……、…』
何か言いたいけど言い出せない。
そんな空気を感じて急かさずに待っていると、意を決したようにすぅっと息を吸う音がした。
『……すまなかった』
「…三成さん、」
『俺がっ……変な意地を張ったから…』
「……」
余程自身を追い込んでいたのか、涙ぐんだ相手の口調は切羽詰まったもので。
『……早く…帰って来てくれ…
お前がいないとお前のことで頭がいっぱいになって…ダメだ。
だから……早く…』
声が、怯えるように震えていた。
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