現世乱武小説
手(左三)
ゆっくりと檜の香りに包まれた湯を堪能したが、さすがに出発を控えているということもあって三成に手を出したらぴしゃりと跳ね退けられた。
構わず攻め立てることも出来るが……というか普段はそうなのだが、今回は素直に引き下がってやった。
小十郎が予定を組めないと言っていたのも、種類は違くとも仕事を持っている者なら判るからだ。
…と、いうことで。
「明日、ちょっと山形まで行ってきます」
「……な、あ?」
こちらの仕事事情を湯上がりの脱衣所で話すと、身体の水滴を拭って服の袖に腕を通していた三成が目を点にしてフリーズしている。
さらりと言ったきり、固まる三成をおいてきぼりにしてさっさと着替えを済ませる左近に我に返った三成が掴みかかった。
「なっ、何を言うのだ、いきなり!」
「いや…前にも言ったことですが、終わった仕事を向こうに届けないと…」
「それはそうだが……書面での仕事なのだからファックスなりなんなり使えばよいではないか!」
「モノはそれで済むかもしれませんがね。色々直すところなんかも出てくるでしょうから…」
「………。…明日のいつ頃発つのだ」
苛々を隠そうともせず三成は乱暴に服を着る。
あー、目すら見てないね…
まぁ怒るのも当然か。
どう機嫌直すかな。
「確かな時間は決めていませんが、とりあえず早朝です」
「…そうか」
「……」
やれやれ。
本当は何時に帰ってくるかも知りたいくせに、強情さは抜けることはないか…
目に見えてぶすくれている三成の、放置されようとしている未だ濡れた髪をバスタオルで包んでやる。
よせ、と片手であしらわれたが構わず強行すると抵抗がやむ。
「…明日の夜には帰れると思いますから」
「お、俺は別に…お前がいようがいまいが関係ない」
「そう強がらないでください。出来るだけ早く帰れるよう――
「強がってなどいないっ!勝手にすればよかろうッ」
――…」
ぱんっ、という渇いた音がして、存外強くバスタオルを扱っていた手を払われた。
途端、すうっと何かが冷えて、半端に宙に浮かせていた手をゆっくり下ろす。
興奮している様子の三成は荒々しく肩で息をしていたが、こちらがなんの反応も返さないことに気付くとはっと凍り付いた。
「あ……さ、こ…その、」
「…そうですか。では勝手にさせていただきます」
「っ…、」
くっと息を詰める三成は、何か言いたげに顔を歪めたがそれ以上は何も言わなかった。
それを一瞥すると、左近は俯いてしまった三成を残して浴衣を腕にかけ、先に部屋へと戻っていった。
大人げない態度を返してしまったことは判っていた。
実際三成を脱衣所に残してきてすぐに悔恨の念が押し寄せてきたのだから。
いつもこっちが折れてやれば、すぐに元に戻るのだ。
三成は不器用だ。特にこと人間関係に至ってはそれが如実に顕れている。
それは彼の意思とは違って制御出来ない範囲のものだから、周りが先に気付いてやる必要があった。
それもひっくるめて愛したはずなのに…
「……」
はたき落とされた手を見遣る。
照れ隠しでも、ちょっとした冗談やノリでもなく、あの手には確かに拒否の意思があった。
…しかし。
その直後のまるで怯えるような表情は、先の己の行いを認識して表に出た三成の本当の顔だったのではないか。
「…ほんと、難儀だな」
ああやって、一体何人の友を手放してしまったのだろう。
ただ色々と一人で考えすぎて、感情を高ぶるままにぶつけてしまうほど真っすぐなだけなのに。
それを誰かが支えなければ、きっとあの人は壊れてしまう。
言動に難はあれど、性根はどこまでも清く他人を睥睨することを知らない。
俺が惚れたのは、そんな人物だ。
みてくれは単なるきっかけに過ぎず、自分にはない眩しい人柄に心を奪われた。
なのに、一瞬でも冷めるかななどと考えた自分は自分でありながら甚だ自分というものを理解していない。
三成が部屋に来たら、とりあえず謝ろう。
そうして、あの人の心に少しでも触れることが出来たら、それを支えるよう努めよう。
宛てがわれた部屋に先に入ってひたすら三成を待っていたが、結局待ち人が気まずそうな面持ちでおずおずと訪れることはなかった。
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