現世乱武小説
おあいこ(小十佐)
左近が座っていた席に座り、重い溜息を零す小十郎の斜め前に陣取った。
「今日忙しくなりそう?」
小十郎のデスクに散乱した小難しそうな書類を見ながら訊ねると、もう仕事を終えたのか投げ出したのか、回転椅子の背もたれに深く寄り掛かって気怠い声を寄越してきた。
「いや、日曜は帰る客が多いのが常だからな…。頼むのはほとんど掃除になっちまうかもしれん」
「そっか。ま、俺様掃除好きだからいいけど。お客さん何組?」
「昨日二組来て五組になった」
「お、珍しく儲けてるじゃん」
「庭が気に入ったんだとよ」
僅かに小十郎の強面が嬉しそうに緩んだ。
それもそうだ。
小十郎は畑に行かない朝は庭の手入れをしている。
それほど大切にしているものを客に気に入ってもらえるというのは名誉に値する。
しかし実際、庭師も雇わずによくもまあ素人があそこまでの庭を作ったものだと感心してしまう。
初めてここに来たときも、窓から見える庭に鮮烈な美しさを覚えた。
「…ああ、そうだ」
「ん?」
唐突に思い出したように小十郎が口を開く。
「お前、…」
続きを待っていると、小十郎が指を一本立てて何か言いかけた。
しかしそこで言葉をぶち切ってしまう。
言いたいけど言えないという沈黙ではなく、言わなければよかったという沈黙。
「……」
「なに?」
「……。…いや、いい」
「え、は?いやいや言ってよ!」
「あとにする」
ちらりと従業員二名の表情を窺ってみるが、平静を装ってはいるもののやはり何かを堪えている。
「…?」
「いいから厨房の手伝いでもしてこい」
「……」
「佐助」
ほほぅ、そうやって流そうって魂胆か…
促すように名を呼ばれ、佐助は不承不承立ち上がった。
しかし易々と引き下がるような安い男でいるつもりはない。
「…ねぇ、」
通路に向けていた足をそっと止めて、相手から顔が見えない角度で静かに声を紡ぐ。
小十郎が顔を上げる気配を背に感じながら。
「隠しごととか……寂しいな」
「っ、そういうつもりじゃっ…!」
小十郎の言葉を最後まで聞かずに、洗いものラッシュでごった返すであろう厨房に全力で走った。
にやける顔を必死に押さえ付ける。
切羽詰まった小十郎の声…
本人には悪いが、なかなか聞くことの叶わないそれに満足していた。
泣かれたと思われただろうか。
それとも、耐えられなくなった笑顔を隠すための演技だと判っただろうか。
どちらにしろあの狭い事務所の中だ。残された小十郎と従業員二名のあいだには気まずい空気が立ち込めていることだろう。
それを考えると些か不憫に思われたが、自分だって蚊帳の外にされたのだからおあいこだ。
エレベーターに乗り込んで地下へと向かう。
羽織を借りるのを忘れていたが、まず必要なのはエプロンだし別にいっかと割り切った。
「おはようございまーす」
扉が開くのと同時に声を張る。
"竜の住み処"の厨房はとにかく広い。
調理器具で不便することはないし、作業スペースは言わずもがなだ。
代わりに……というと釣り合いを重視することになってしまうが、厨房担当の人手が極端に足りない。
「待ってやしたぜ猿飛さんっ」
「猿飛さーん!昼飯の下準備のチェックお願いしていいっすか?」
「その前に洗いものにまわってください!」
「材料足りねぇぞ!発注ミス誰だよっ」
「猿飛さんっ、飾り切りの手本頼みやすっ」
…てんてこ舞いってこういうことを言うんだろうなぁ。
普段から家事をこなしているため、料理には通じている佐助は受け付けにいないときは大概ここにいる。
頼りにされるのは嬉しいことだが、こうも目まぐるしいと頭だって痛くなる。
だだっ広い作業場の四方八方から呼ばれながら、佐助は力無く微笑んだ。
「うん、うん、やるやる。…エプロン付けてからね」
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