現世乱武小説
大将の小さな気配り(小十佐)
担架から車に乗せる際、普通の救急車では俗にトランクと呼ばれる部分から搬入する。
しかし佐助は、座席を倒すのが面倒とばかりに後部座席から横に運び込まれた。
急ブレーキなんてやられたら抵抗する間もなく下に転がり落ちること間違いなしだ。
ちなみに小十郎の運転は決して安全運転ではない。
車がいいのか技術が優れているのか、発進と停止はほとんど振動はないが、信号無視でアクセルの踏み込みはしばしばある。
基本速度は80キロ。一般道でそれはないだろうと常々思うが、きっとそれも早く帰宅して野菜を愛でたい一心で、なのだろう。
「帰ったらまず風呂入れ」
夏に片足を突っ込んだ時期だけあって、朝方でも多少明るい。
念のためライトをつけて車を走らせながら小十郎が言った。
「判ってるー…。なんか、だいぶ復活してきたかも」
「腰か?」
「うん」
担架の上でのそりと起き上がってみると、沈澱したような核の痛みはあるものの動けないほどではない。
政宗に乱暴に扱われたおかげで、どこか大事なヵ所が蘇ったのかもしれない。感謝はしていないが。
「野菜、何種類くらい育ててんの?」
「今は…さっき話したキュウリやナス、…オクラなんかもまだ取れるな。あとは秋に向けてトウモロコシ、サツマイモ…色々やってる」
「へぇ…。」
趣味に合わせるつもりでした質問だったが、正直本当に驚いていた。
普通の農家がどれほどの品種を生産しているかは知らないが、同時にやるとしたら小十郎の畑もそこそこ充実していると思う。
「じゃあ秋はイモ掘りだね」
「ああ。毎年収穫期になると下のもん連れて手伝ってもらっててな」
なんだか容易に想像できる。
畑仕事に慣れていない人がうっかりイモを折ってしまい、目撃した小十郎がこめかみに血管を浮かせながら怒鳴る光景が。
「みんなでひとつのことやるっていいよねー」
「お前のところはねぇのか、そういうの」
「あー…まぁ餅つきとかなら昔やってたけどさ、それも俺や旦那が小さかったときの話だから。ちょっと羨ましいかな」
「…意外だな。あの棟梁なら年中行事に向けて張り切ってそうだが…」
「あははっ、うん、ガキの頃はよくやってくれてたよ。大将も…ほんとは今でもそういうのやりたいんじゃないかな」
「ほぉ…?なら今年はやったらどうだ、餅つき。忙しくはねえんだろ?」
話しているうちに家の前に到着した。
しかし下りずに、佐助は小十郎の言葉を考える。
久しぶりに、そういうイベントじみたものをやるのもいいかもしれない。
「……そうだね、ちょっと言ってみる」
仕事がいきなり舞い込んでも、一日くらい休んだところでたいして支障はないだろうし。
はにかみつつ言うと、ルームミラー越しに小十郎と目が合い、くすりと笑われた。
「熱苦しい餅つきになりそうだがな」
その言葉は外れないだろう。
武田家をよく理解できている小十郎に苦笑を返した。
「ただいま…っと」
極力音を立てないようにしながら玄関を開け、同じように閉める。
郵便受けに新聞が入っていなかったことから、信玄がすでに起きているであろうことが判った。
現在は6時をまわるかまわらないかといった時刻で、廊下を進んだ先の居間にはやはり丸い頭の信玄が新聞を広げている。
「帰ったか、佐助」
「た、ただいま戻りました…」
思いっきり朝帰りなのに突っ込んだことを聞いてくる様子もない。
これはこれで逆に居づらいというものだ。
「あ…飯……腹減ってますよね、大将!朝飯ぱぱっと準備しますんで…」
「佐助」
「は、はい?」
「湯は落としてしまったが…空いておるぞ」
「え…?」
「風呂じゃ。入って参れ」
「…………了解」
引き攣り笑いもそこそこに、佐助は居間を後にした。
……。
そして廊下を抜け、タオルや着替えを用意して風呂場の前にある洗面所に入って、何かに憑かれたように唐突に頭を抱えた。
うわああぁぁぁ!!!
大将やっぱ判ってるっ!
なにっ?俺様臭う?確かに同じ部屋に放置したままだったけどそれがバレちゃうくらい臭ってる!?
それとも顔になんか付いてるとか……
………あ?
嘘…だろ……?
……こ…これ…!
「まじかよぉぉぉおお!!!」
鏡を見て、作業着の開いた胸元からぎりぎり覗いていたそれを、
人はキスマークという。
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