現世乱武小説
太鼓判の意味(左三)
時間が中途半端だったため、湯の温度は三成にも入れるようなちょうどいいものだった。
檜の濃い香りが鼻孔いっぱいに詰まっている気がして、気持ちを発散させたい三成としてはなんとなくもどかしく感じる。
で、行き着く八つ当たり先は湯なのだった。
手で水面を叩いてみたり、足で大きなしぶきを上げてみたり。
しかし、いくらむしゃくしゃしているとはいえ水の抵抗というのは水中にいる限りついてくる。
悲しきかな、普段から運動もしていない三成は心のわだかまりに疲れが勝ってしまい、発散しきる前に大人しくなった。
「……なんなのだ、左近の奴…」
呼気に紛れる程度に呟く。
暴れると体力を消耗してしまうため、発散法を独り言に切り替えたようだ。
「知らない奴がいるときは欝陶しいほどに俺の味方なのに…」
佐助と話すのがそんなに楽しいのか?
俺より素直で、社会に慣れていて、大人びている佐助とのほうが接しやすいか?
「……まぁ、そうだろうな」
自虐的に言い、鼻から下を湯の中に沈める。
もっと素直になったほうがいいんだろうなとか、話を合わせて盛り上げたほうがいいんだろうなとか…
そんなことはとっくの昔に考え尽くした。
大阪の、もはや親と称しても過言ではない気さくな男は、俺のそういうところに頓着しなかった。
――なんじゃー三成、そんなこと考えとったんか?
それはおみゃーさんが無理してねえっちゅーことじゃろ?
あの人はいつでも味方だった。
そんな人だから、こちらも自嘲で返すことができなくて。
口篭る俺に対し、あの人は笑って頭を撫でてくれる。
――わしはなぁ、三成。えこ贔屓なしで、みんなに平等に出来る三成が自慢なんさ。
こちらからしたらあの人こそ己の自慢だったが、そう屈託なく言ってくれたのが当時すごく嬉しかった。
「自慢、か…」
左近のことは、当然自慢に思っている。
人生経験も豊富で、何より優しい。
……だが、あれはなんというか…
たらし癖、とでもいえばいいだろうか。
「……左近のバカ」
口に出すと、なんだか自分が負けたような気がして湯をぶくぶくと泡立てる。
そのとき、視界の隅から湯が波立った。
「…確かに。バカかもしれませんねぇ」
訝しむ前に湯の波紋は大きくなり、左近がよっこらせと入ってくる。
「なっ、さっ、さこん!来るなと…!」
いきなりのことに混乱し、あわあわと言うなり思いきり左近に背を向けた。
い、いつ来た…?
物音ひとつしなかったぞ。
「それが左近には来てほしいと聞こえまして」
「………ふん、でたらめを言うな」
にこにこと笑う左近に、いつもなら怒鳴るところが今回に限って弱々しく呟くだけに留まってしまう。
自分でもよく判らない感情を読み取った左近がおや、と首を傾げる。
「左近はでたらめなんて言いませんよ。三成さんの声が聞こえたまでです……左近の大事な三成さんの、ね」
「ッ……」
ほら、また信用出来なくなってる。
決めたのに。
左近を信じると……決めたのに。
誰にでもこんな甘い言葉を囁いているんじゃないか。
鵜呑みにしたら裏切られるんじゃないか。
そんな風に疑ってるんだ。
「……佐助はいいのか」
だからこんなことも訊いてしまう。
…もう、あの人が自慢としてくれた俺などではない。
「佐助?……あぁ、まあ一人にはしてきちまいましたが…」
そこで左近は言葉を切り、数秒の沈黙を経て穏やかな声音で言った。
「…ねぇ三成さん」
「……」
「何か不安にさせちまってるようですが…貴方が気に病むことなんて何もない。
…左近はここにいます」
だだっ広い大浴場に、左近の声が反響して直接脳に響いてくる。
くそ…
結局こうなるのか。
……ずるい奴だ。…本当に。
「…お前は色魔だ」
「は、はい?」
「前々から折り紙つきだったお前の色魔度に、俺が太鼓判を押してやる」
「…はぁ…」
曖昧な相槌を寄越す左近に、三成は思いきり向き直った。
「判っているのか?俺の太鼓判だぞ!」
「え、ええ…大変貴重ですな」
「そうではないっ」
かぁ…っと体中が熱くなる。
本当に湯の中かと思うくらいに、周りの温度を感知する余裕がない。
理不尽だとは思うが、ギロリと左近を睨み、今にも掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「太鼓判が俺のものなのだから……さ、左近も俺のものだろうが!!」
「…………。…ぶふっ」
「わらっ…笑うな阿呆っ!」
目を丸くして言葉を失った左近は、不謹慎なことに吹き出した。
それに対していつも通りの反応を返せている自分自身に、三成はばれないようこっそり安心する。
……左近には…勝てぬのかもしれんな。
ちょっとだけ悔しかったけれど、そう思うことが出来た。
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