無双小説 声・拾陸 「戻ったなら戻ったと云え!!おっ、お前はいつもそうやって…!」 うわぁ、かなり怒ってるな… 正確に同じ場所に平手を食らわされた頬を撫でる。 わなわなと肩を震わせて、高くなる声を必死に抑える殿を慶次殿が宥めてくれた。 「まあまあ、元に戻ったんだからいいじゃねえか。 それより…どうするよ、この御仁」 「ぐ…」 本格的に固め技に入った慶次殿の下から潰れかけた音が漏れた。 その妨げにならないよう義継の上から退いて顎に手をやる。 三好義継。 整理して彼とこちらの関係を考えてみると、それほど離れた縁でもないらしいことが判る。 義継本人と通じてはいないが、彼の伯父である三好長慶。 長慶とは筒井軍として畠山に与していたときに負かされたことがあるのでよく覚えている。 慶次殿のほうでも、長慶の友人だという連歌人、里村紹巴と知り合い。 長慶の重臣であった松永久秀と共に東大寺大仏殿を焼き払い、その後織田軍に包囲されてそのまま死んだとされていたが… どういうわけか逃げ延びて海賊の頭に身を落としていたようだ。 「三好の家紋をまだ背負ってるんだ、誇りはあるんだろうさ」 「転身できないほど落ちぶれてないってかい」 「ええ、腐っても三好ってね」 まだ矜持は残っているだろう。 …否、たとえ捨てていたとしても、この会話により強引に矜持を持たせるのだ。 「……」 黙り込んで目を伏せたままの義継に合わせて殿が膝を折る。 「せっかく長らえた命を物盗りで終わらせたくはないはずだ。 …困窮する民もいる。判るな」 「……」 義継はひたすら奥歯を噛むだけで何も答えない。 慶次殿が身体を起こすと、さすがに重かったのか軽く咳込みながらよろりと義継が立ち上がり、駆け寄って来た賊徒に両脇を抱えられる。 牽制するようにこちらをねめつける賊徒たちに連れられて距離を取ると、吐き捨てるようにしてようやく口を開いた。 「…俺は…俺のしたいようにするだけだっ」 「おーそうかい。真っ当になってくれることを祈るぜ」 「っ……、…行くぞ」 腰を摩りながら難儀そうに長刀を杖にして、男たちを促し義継は背を向けて去っていった。 「…もう来なければいいが」 「大丈夫じゃないですか?あの目、まだ死んでませんでしたし」 見送りながら会話を交わす中、慶次殿が煮え切らないような溜息をついた。 次いで地に折り重なった事切れた賊を見下ろし、愛槍を肩に引っ掛ける。 「…なんか不完全燃焼っつーか…もっとこう、ばーっと敵が押し寄せてきてだーっと対抗して…ぎりぎりで勝ちたかったんだけどなぁ」 「…日本語としてどうなんだ、その発言」 「要するに足りないと?」 「いや、だってよ、もっと涌いて出てもいい気するだろ?」 ふて腐れたように唇を尖らせている。 …子供かあんた。 「…あのー…お侍様方…」 不意に聞こえた声のほうを振り向くと、暖簾から顔を出した宿主がこちらを見ていた。 「悪かったな。店の前を汚した」 殿の控えめな謝罪に宿主は慌ててぶんぶんと頭を振った。 確かに店の前はすごい惨状になっている。 これでは来る客も来ないだろう。 しかし宿主は気にしていないようで、ふらふらと店から出てくると緩慢な動作で地に手を突いた。 「なんと御礼申し上げたらようございましょう…。本当に…本当に有難うございました…」 「よさぬか。俺たちとて得られたものがある……こちらこそ礼を云わせてもらおう」 相当迷惑を被っていたのだろう。 店が潰されてしまう前にお侍様方が来て下さって助かりましたと、地面に額を擦りつけんばかりに平伏する宿主は、殿の言葉を受けても顔を上げることはなかった。 「じゃ、そろそろお暇するかい?」 「そうだな。まだ奴らが来るようなら……佐和山に来い。何かしてやれるかもしれん」 口調は素っ気ないながらも、温度のある声音で殿が呟きつつ、馬を引き取ろうと店に踏み込んだとき、ようやく表を上げた宿主が声を張った。 「お、お待ちくだされっ!せめて湯にだけでもお浸かりください!」 「泊まるわけでもなし、湯だけ貰うわけにはいかん」 「気持ちは嬉しいがまだ昼間……っと、左近、あんたは入ったほうがよさそうだ」 「?なんで俺………ああ、そうだな」 先程顔に吹き掛かってきた返り血のことを思い出す。 自分では見えないが、おそらく右側にべっとり付いている。 「…その前に殿、腕の手当てしちゃいましょ」 「え…なっ、掠り傷だと云ったではないか!」 「掠り傷……へぇ、そんなに出血してて掠り傷ですか」 「そ…うだ」 見れば、右の肘から袖にかけて着物が血に塗れている。 生地が赤いため注意して見なければ血が滲んでいるか判らないのだから厄介だ。 しかしそんな苦し紛れの殿の肯定を破ったのは、 「掠り傷などではありませんぞ!早く見せてくだされっ、こう見えて私基礎的な医療なら心得てございます!」 「い、いい!大丈夫だっ」 「いいえ!貴方様たちのおかげでこの店を続けられるのです、このくらいは!」 宿主だった。 相手が民だけあって殿も強くは云えず、懸命に食い下がる宿主にたじたじのご様子。 「左近っ、なんとか云ってやれ!」 「えーと、湯借りますね」 「はい、どうぞどうぞ」 「そうではないだろうっ!この際慶次でも構わ、ぬ……?慶次はどこに行った?」 「慶次殿なら先程松風連れて行っちまいましたよ」 「なっ…」 さあ、と満面の笑みで宿主に肩を掴まれ、無下に振り払うことも出来ずにおのれぇぇえ!と叫ぶ殿に背を向け湯浴に向かった。 . [*前へ][次へ#] [戻る] |