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無双小説
 声・伍


「もうよろしいでしょう。何か思い出すやもしれません、城をまわってみてはいかがです」


包帯を片付けながら云う軍医の口ぶりからは、記憶の回復を期待する色は窺えない。

自分としてもそんなに都合よくいくと思っていなかったが、とりあえずそうですねとだけ返しておいた。


「あ、左近殿…!もう動いてよろしいのですね!」

「お、幸村。今出歩きの許可を貰ってね」


軍医と入れ違いで部屋にちょうど入って来た幸村に笑いかける。

記憶を無くしてから二週間あまりが経過していたが、その間幸村たちはまめに見舞いに来てくれていた。
遠路遥々足を運ばせてしまい、何を返礼とすればいいかと考えると頭が痛くなる。


「では私も付き合いましょう。今の左近殿よりは判りますから」

「有り難い。何か覚えてるもんがあればいいんだが…」


身体を起こし、裾を払って立ち上がると凝り固まった身体をぐっと伸ばす。
長い髪が重く感じるのは、きっとずっと洗えていないからだ。


「幸村、悪いが先に風呂に案内してもらえるか?」

「判りました。着替え等はあとで私がお持ちしましょう。こちらです」

「世話かけるね」


面倒臭がったりすることなく丁寧に対応してくれる幸村には本当に頭が上がらない。


通された浴場で着流しを脱ぎ、鹿教湯をしてから肩まで浸かった。
熱いくらいの湯に、思わず歳を感じる感嘆の溜息を吐く。


結局この二週間、殿は一度も部屋を訪れなかった。
最初の必死さから鑑みて、ここを居城としているのなら頻繁に顔を出してもいいくらいだと思うのだが…

あの無表情へと切り替わった豹変っぷりも、思い返してみれば何かおかしい。

風呂から上がったらこちらから会いに行ってみよう。


兼続さんから聞いたところによると、俺は何かにつけて殿を庇っていたらしい。
あの過保護ぶりは見ていて恥ずかしかったぞなどと、冗談とも本気ともつかない顔で云われたのには参った。

主従というのはそんなにも近い立場だろうか。
……違う気がする。

ということは、殿は俺にとって主君以上の何かだったとか…?


うーんと一人で首を傾げていたが、判らない奴がどれだけ考えても判るはずがない。
さっさと洗おうと湯から出た。















用意してもらった着物に袖を通して帯を締める。
髪は先よりも水分を含み重たいもののさっぱりしていた。
欝陶しくも感じていたので切ってしまおうかとも考えたが、以前の自分との繋がりでもある気がして思いとどまったのだ。


幸村と合流して殿に謁見したい旨を伝えると、一瞬身体を強張らせたのが判った。
隠しごとの出来ない御仁だ。
今殿に会うのは何かまずいのだろうが、気付かないふりを通してぎこちない幸村のあとに続く。


ひとつの部屋の前に来ると、幸村はこちらに向き直った。
しかしどこか居心地悪そうに視線だけは外して。


「あの……私は行かないほうが…」


それは殿に会うと云ったときの反応とどう考えても関連することだったので、理由を追求することなく俺は頷いた。


「…そうか。ここまででいい」


礼を述べると、幸村は申し訳ございませんと苦しそうに頭を下げてくる。
この青年には敵いそうにないなと内心苦笑しつつ、襖の向こうへと声を投げた。


「殿、左近です。失礼します」


直後何かが転がり落ちる軽い音とぶつけたような鈍い音が立て続けに中から聞こえ、少ししてから入れと低い声が返ってきた。

それを聞くなり幸村もこちらに一礼して先程歩いてきた方向へと足を向ける。

気遣ってくれているのだろう。
俺と殿の――主従の会話を聞かないようにと。


すべてを拒絶するように閉め切られた部屋に向き直り、襖の窪みに指をかけた。


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