無双小説 声・参 「軍医によると絶対安静だそうだ」 「斬撃のショック、と仰っていましたが……他人事ではありませんね」 「まさか油断してたわけでもねぇだろうしな…」 ……話し声が聞こえる。 そう認知すると、今まで沈んでいた意識がすぅっと浮上してきた。 重い瞼を少しだけ押し上げてみると、高い板張りの天井が見える。 室内であることを知ると同時に身体にかけられている掛け布の存在に気付き、どうやらどこかに寝かされているようだということだけなんとか把握した。 ゆっくり起き上がろうとしたが、何故か力が入らない。 そこでようやく、肩から胸にかけて包帯が巻かれていることに気付いた。 仕方ないので首だけを横に向けてみると、何やら物々しい武装をした三人の男が目に入る。 そのうちの一人、赤備えに身を包んだ誠実そうな青年と視線がぶつかった。 「さ…左近殿!気付かれたのですねっ!」 嬉しそうな青年の声に、白い羽織りに愛の一文字を背負った青年と、綺麗な金色の髪が印象的な大柄の男が振り返った。 「おお!目覚めたか左近!」 「一時はどうなることかと思ったぜ」 「私、三成殿を呼んで来ます!」 赤い青年が踵を返して廊下を駆けていく。 他の二人は俺の褥の横に腰を下ろした。 よく事態は飲み込めていなかったものの、礼節は弁えようと力の入らない身体をどうにか起こそうとしたが黒髪の青年に押しとどめられる。 「軍医から安静に、と云われている。三成もすぐに来るから寝ていろ」 慈愛の満ちた物云いに頭を下げて意を示し、結局また横になりながら先程から頭に浮かんでいる疑問を口にしてみた。 「あんた方が助けてくれたのか……礼を云いますよ。…ところで此処、どこです?」 「何を寝ぼけたことを云っている。ここは佐和山だ。私たちよりお前や三成のほうが詳しいだろう?まだ頭が寝ているのか?」 苦笑混じりにそう云われたが、佐和山という響きに心当たりがない。 加えて、明らかに自分のことを知っている口ぶりの青年にも疑問を抱く。 俺はこの人を知らない。 「えーと…その三成ってのは?そもそも…俺たちどこかで会いましたっけ?」 「……」 …息苦しいほどの重い沈黙。 青年は明らかに戸惑い、男は眉を潜めている。 いや、だが戸惑いたいのは俺のほうだ。 知らない単語が矢継ぎ早に繰り出されて思考回路がショートしている。 沈黙を破ったのは男だった。 「……左近、本気で云ってんのかい?」 「えーと……すみません、その左近って俺のことですか?」 「……」 再び降りる沈黙。 そういえば…俺はここに来る前は何をしていたんだ? というか左近という名前にすら覚えがない。彼等の反応を見るからに、それが俺の名前なのだろうが… 判らない。 判らなすぎて気味が悪い。 「…三成のことも、覚えていないのか…?」 「え、ええ……すみません」 控えめに青年に訊ねられた。 そしてそれに答えたとき、忙しそうに廊下をぱたぱたと走る二つの足音が聞こえ、室の前に先程の赤備えの青年と端正な顔立ちをした青年が現れた。 中性的な容姿は一見女性と見紛うほどで、長い距離を走ってきたのか肩を上下に揺らしている。 「さこんっ…!」 呼ばれてもいまいちぴんとこない。 白い羽織りの青年が期待を乗せた眼差しでこちらを見つめてくるが、やはりこの綺麗な人も判らなかった。 「……あの方は…?」 説明を求めて金髪の男に問うと、息も切れ切れにこちらへ歩み寄ろうとしていた、二人の足がぴたりと止まった。 そして男が軽く目を伏せて口を開く。 「あの御仁が石田三成。…左近、あんたの主君さ」 金髪の男の言は、主君である佳人にすべてを教えるのに十分だった。 今まですぐにでも泣いてしまいそうなほど嬉しそうだった整った顔が、曇っていく。 眉根を寄せて、重々しい足取りで俺のほうに歩み寄ってきたかと思うと、綺麗な人は褥の横でぺたんと座り込んでしまった。 「……さ、こん…お前…」 「慶次殿……まさか左近殿は…」 「…悪ふざけでもねぇ限りそうだろうな。軍医呼んでくる」 金髪の男が立ち上がり、廊下を曲がって行った。 皆が目を伏せて押し黙る中、三成さんだけはじっと俺を見つめていた。 しかし、彼の瞳に何か違和感を感じる。 若い主に仕えていたのだな、と思う反面、呆然とする相手の様子から自分が大切にされていたのであろうことが伺える。 きっといい主なのだろう。 ただの一人の家臣をここまで想うことが出来るのだから。 「……」 「……あのー、」 「無理はするな。…今は傷を癒すことに専念しろ」 そう告げる三成さんは、別人のように無表情だった。 …ああ、そうか。 さっき感じた違和感は、感情を殺した色のない瞳のせいだ。 「お前に怪我を負わせたのは……俺なのだからな」 「……え、いや怪我って云っても…それほど酷くなさそうですが…?」 未だ動いてはいないが、じっとしているぶんには別段どこも痛みはない。 「……程度の問題ではない」 吐き捨てるようにそれだけ云い残し、三成さんが立ち上がる。 何か云おうとしたが、向けられた背中が言葉を拒んでいるように見えて口を噤む。 三成さんはそのまま足早に部屋から退室した。 誰も寄せ付けない刺々しく冷たいオーラ。 ここに駆け付けたときとは全く異なる色を孕んだ双眸。 残された二人の青年と三人、なんとも形容しがたい居心地の悪い空気が流れた。 . [*前へ][次へ#] [戻る] |