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無双小説
 説教・伍


とにかく、放っておいたら曹操が危険だ。
それこそ対呂布専用の抱擁力と云ってもいいであろう力強さに、見ているだけで息苦しさを覚える。


「張遼、そこにいるのは孟徳だ。呂布などではない」

「否、殿は呂布殿の化身…要するに呂布殿――」

「に、あらずと云っている。どうしてもと云うなら孟徳の身柄をかけて勝負といこう」

「ほぅ…、よろしい。手加減は一切なしですぞ?」


張遼の目が細められ、曹操から手が離れた瞬間曹操は盛大にむせた。

これで曹操の無事はひとまず確保できた。

気管を圧迫されていたようで、涙目になりかなり辛そうに息を整えていたが、おもむろに懐をまさぐっている。


とはいえ、本気になった張遼はなかなか止められるものではない。
あの呂布の隣を許された者の実力は侮れないのだ。

…無傷で終われるとは、思わない。


それにしても張遼の呂布への心酔度には正直驚いた。
孟徳だと云ったにも関わらず、迷いもへったくれもなく「否」と云い切った精神力には感服する。


お互い武器を手に、間合いを取って重心を低く取った。
精神を研ぎ澄ませ、相手の予備動作を見逃さないようにと目を据わらせる。

緊迫した空気が張り詰め、出方を探っているとき。
曹操の陽気な声がそれをぶち破った。


「張遼!わしを曹孟徳だと認めた暁には…この呂布のブロマイド写真をやるぞっ」

「……ブロマイド……呂布殿のっ?」


集中していたためか関心なさそうな顔をしていた張遼だったが、後半を頭が理解したときカッと瞳孔が開いたのが夏侯惇には判った。

構えを解き……というか戦闘自体を投げ打って、張遼は曹操がぴらぴらと振っている紙切れに釘付けになっている。

なんだかぐだぐだになった感を微妙に感じながら夏侯惇も麒麟牙を肩に預け、やれやれと溜息をついて緊張を解いた。


「呂布との戦で、もし水計が駄目だったときのための奥の手として取っておいたのだ」

「……真顔で云うな」


呆れるばかりの夏侯惇に、曹操はずいと写真を突き付けた。
一緒に張遼の顔もついてくる。

その写真には、呂布が何故か正座して貂蝉に説教をくらっている現場が納められていた。


「プライドの高い呂布のことだ。これを啓示すれば降伏するやもと思ってな」

「……すまん孟徳。俺は今覇道を見失いかけている…」

「え、駄目だった?」

「お前の脳内がな」

「むー……まあ、呂布はもうおらん。こいつも用無しだ」


こちらの会話を聞いていたのかいないのか、写真をじぃっと見ていた張遼は不意に曹操に視線を移し、再び写真を見遣る。

そして少しして、普段の落ち着いた雰囲気に戻って得心いったように頷いた。


「やはり呂布殿は呂布殿、殿は殿ですな」

「…そりゃそうだろ」

「夏侯惇殿、何か?」

「いや…」


夏侯惇が言葉を濁して顔を背けると、張遼は曹操に向き直り折り目正しく頭を下げた。


「…殿、先の無礼、どうかお赦しを」

「よいよい。主の腕の中、なかなかに心地よかったぞ」

「恐れ入ります。では、こちらをいただいて」


ぽんぽんと曹操に肩を叩かれ顔をあげた張遼は、極自然な動作で曹操の手から呂布の写真を受け取った。


「……貰うのかよ」

「夏侯惇殿、何か?」

「……いや…」


再度顔を背けると、張遼は写真を懐に忍ばせ一礼した。


「それでは、失礼」


青龍を拾い上げ、颯爽と歩む先には扉ではなく窓。

自分自身そこから出てきたので、さすがの夏侯惇も何も云えなかった。


「……で、どこに行く、孟徳?」

「ぎくぅっ!」


抜き足差し足で徐々に遠ざかろうとしている曹操を溜息混じりに呼び止める。

そのまま夏侯惇が振り返ると、フェードアウトしかけていた曹操が不承不承戻ってきた。


「……説教か。夕刻までは逃げる自信があったのだが…いやそもそも張遼が変な気を起こさなければもっと上手く…」


悔しそうにごにょごにょ云う曹操の背に手をまわし、夏侯惇は無言のまま抱き寄せた。


「……夏侯惇?」

「…説教する気など失せたわ。手間をかかせおって…」

「手間だと?わしの逃走劇に付き合うのは主の役目であろう」


くすくすと悪戯っぽく笑ってみせる曹操に、夏侯惇は本日何度目か知れない溜息をついた。
しかしその溜息はどこか優しさを含んだもので。


「……もっと抵抗してもよかっただろう」

「なんの話だ?」

「張遼に抱かれたときだ。いくら奴に腕力が劣るとはいえ…あれではされるがままだぞ」


夏侯惇の不満げな物言いに曹操はにやりと笑い顔をあげた。


「嫉妬か、惇。大人しく抱かれていたわしを見て張遼に妬いたのだな?」

「楽しそうに云うな。…俺の気も少しは察しろ」


いつになく張りのない声で云うと、夏侯惇は曹操の額に己の額を預けた。


「…そうだな、少しばかり行きすぎたかもしれん。なに、安心せい。わしにはどのみち主しかおらん」


夏侯惇の額に押し付けるように背伸びをしつつ曹操がぼやき、その腰に手を這わせながら夏侯惇が小さく笑う。


「…ふん、よく云うわ」

「まさかここでするつもりか?」

「いや、下が柔らかいほうが楽だろう」

「ほぅ、惇にも甲斐性があったか」

「腰を痛められたら政務に差し支えるしな」

「………前言撤回だ。この鬼!」

「なんとでも云え。政務のサボりと俺への心労の罰は寝台の上で償ってもらう」

「説教する気は失せたのだろう!ならば怒っていないことも同義ではないか!…って聞いておらんだろうっ、降ろせ……おーろーせー!!」


米俵の如く担がれた曹操の叫びも虚しく、夏侯惇は意気揚々と城へと足を向けるのだった。


fin.
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