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無双小説
 独り相撲・弐


小さく嘆息し、夏侯惇は席を立った。
曹操の眉が潜められる。


「どこへ行く」

「戻る。邪魔した」


部屋を出ようとすると、これまでの制止とは違い、鋭い声で名を呼ばれた。

そのまま振り切って部屋を後に出来なかった己にほとほと呆れ果てる。


後方で、曹操が立つ気配がした。
近寄ってほしくなくて不機嫌さ全開の声音でなんだ、と返すも、意味を成さず虚しく背後から腕を掴まれる。


「…言えばわしの妨げになる、と言ったな」

「……」


何も答えずに背中で聞いていると、静かな怒りすら含んだ曹操の声が続く。


「気付いておらんのか?…お前の変化に周りまで気負っているということに」

「…なに?」


予想外の指摘に、無意識に眉根が寄る。
僅かに顔を振り返らせるが、視界に曹操は入らず表情までは見えなかった。


「……皆心配なのだ…。言ってはくれぬか」


腕を掴む曹操の手に力が篭る。

まったく、どこまでも臣思いなことだ…
言わないと固く決めたことでも、相手が曹操だと揺らいでしまう。

そんなことでどうする、と夏侯惇は自分自身に溜息をついた。


「…とんだお笑い草だな」

「何がだ…?」

「いや、こっちの話だ。……もし、」

言うあいだも、夏侯惇は振り向くことはなかった。
曹操は小首を傾げて腕を離し続きを待つ。

「もし俺が誰かを慕っていると言ったら…どうする?」

「恋か?ふむ…」


曹操が何を考え込んでいるのか知らないが、その相手が己だと知ったらどんな顔をするだろう。

その先が容易に予想できてしまい、やはり言わなければよかったと目を伏せた。


しかし、その予想は根本から覆される。


「許さんだろうな」

「……な、あ?」


目も点である。
許す許さないを返されるとは思っていなかった。

好奇心の強い曹操のことだから、てっきり誰に思いを寄せているのか、とかそういうことを訊いてくるとばかり…


「他の者が誰を慕おうと別段どうとも思わんがな。おぬしはわしに尽くせ」

「…勝手なことばかり言う」


口ではそう言うも、自然と口元が綻ぶ。
それを隠すようにやれやれと言わんばかりの溜息を吐いて振り返った。


「そんなことを言ったら…俺はお前以外見れなくなる」

「いいではないか。わしを慕えば済む話よ」


かしゃん…と、気持ちを抑え込んでいた枷が外れた気がした。

もう気付かれているらしい。
奴の不敵な笑みを見れば判る。
いつバレたかは知らないが、曹操は確信しているだろう。

自分に惚れている、と。


「不器用だな、夏侯惇」

「…お前は器用だな…孟徳」


気付いているということをこちらに気付かせるための言葉に、そう思わざるを得ない。

本来曹操は、自分の意見ははっきり言うが、臣の言うことも拒んだりはしない。
許さないと言われた時点で気付いてもよかったのだ。


「久しぶりに名を呼ばれたな。それほど葛藤していたか?」


言われてみれば、確かに彼の名を口にしたのは久方ぶりだ。
言わないようにしていたわけではないが、話し相手が曹操であることを無意識に思考が除外していたのかもしれない。


「当然だ。どれだけ気持ちを認めるのに覚悟を要したことか…」

「……ほぅ?わしは覚悟なぞしなかったが…、人それぞれよな」

「は…?ま、待て……わしは、だと?どういう…」


頭がぐるぐるするとはまさにこれだ。
焦りばかりが先に立って、とにかく一言も聞き漏らすまいと曹操に詰め寄る。

しかし曹操は、血相を変える夏侯惇を余所に余裕の笑みを浮かべた。


「どうもこうもない。だいぶ前からわしは想い合っているとばかり思っておったが…独りよがりだったようだ」

「想い合って…って、俺はお前の気持ちを何も聞いてなかったぞ…?」

「ん?………そうだったか?」


……つまり。

孟徳はとうの昔に俺の想いに勘付いていたわけで。
自分もだと俺に言ったつもりで今までを過ごしてきたわけで。
ここ最近の俺の苦悩はただの独り相撲だったわけで。


「……頭痛くなってきた」

「だから度が強いと言っただろう」

「酒じゃなくてお前のせいだっ」


ずんずんと部屋の奥に戻り、乱暴に椅子に座り直した。
曹操も倣って相向かいに腰を下ろしたのをちらりと見ると、明らかに「この酒に挑戦する気になったか」という若干の期待を孕んだ瞳とぶつかる。


「……これはもう呑まんぞ」


念のためそう言っておくと、曹操は憮然とした面持ちになった。

…判りやすい奴だ。


「普通の酒もあるだろう?」

「ない」

「いやあるだろう」

「ない」

「…孟徳」

「ないと言っておろう」

「……」


曹操が、酒に弱いくせに好きという一番質の悪い酒好きであるということは知っている。
そんな男の室に限って、度が強すぎて本人も呑めないような酒一本しかないなどありえない。


どうしても出す気がないのなら…

夏侯惇は、すっとぼける曹操の手首を掴んで立ち上がった。


「ないなら仕方あるまい。俺の部屋にはあるからな、付き合ってもらう」

「なんだ、酒に弱いくせに持っているのか?」

「…お前にだけは言われたくない」


夜も更けて城内がしんと鎮まり返っている中、想いを確かめ合ったというのに普段通りのやり取りを交わしながら二つの背中はひとつの室へと消えた。


fin.

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あきゅろす。
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