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無双小説
 独り相撲・壱


橙が空を染め上げ、徐々に夕闇が侵食をはじめる頃。

城の外で木刀を手に鍛練に勤しんでいた隻眼の腹心に、曹操は声を投げた。


「夏侯惇。そろそろ陽が沈む、中に入れ」

「…ああ」


短く答えるが、こちらを見ようともしない。

最近はこういった反応が多い。

もちろん相槌は打つ。
訊ねたことにはちゃんと答えるし、政務や戦において別段支障はない。

しかし、日常の会話はめっきり少なくなった。
それどころか目すら合わせない。
日に日に距離を置かれているように思うのは気のせいではない。


…何かあったのか?
わしに言えぬようなことが…


少し考え込み、脇をすり抜けるように城に戻る夏侯惇を呼び止めた。


「夏侯惇、今宵はわしに付き合え。訊きたいことがある」

「……。判った、俺から向かおう」


やはり振り返ることもせず、それだけ言うと夏侯惇は足早に行ってしまった。


…おかしい。


曹操は確信して胸中で呟き、眉根を寄せた。

そういえばここ数日、名を呼ばれることもなくなった。
いよいよ不審に思いつつ、曹操も城へと引き返した。













「…入るぞ」


夕餉も終え、曹操も落ち着いたであろう時分になって夏侯惇はドアの前に立っていた。

入室を促す声がして一拍置いて中に入ると、文机に広げていた竹簡を片付けている曹操が目に入った。


「まぁ座れ。この酒はなかなかに上物でな、おぬしにも味わってもらいたい」


椅子を引いて座らされ、自らも相向かいに腰を下ろして杯に透き通った液体を注ぐ。
差し出された杯を受け取ると、見つめてくる曹操の視線に堪えられなくなって一気に煽った。


途端眉間にしわが寄る。
喉が熱くなるどころじゃない。
焼けそうなほどだった。


曹操がおかしそうに笑っているのに気付き、夏侯惇は若干涙を滲ませた右目を細めてぐっと口元を手の甲で拭った。


「なんだこの酒はっ…!」

「かなりの度であろう?わしも昨夜口にしてな。さすがに一杯でやめたわ」


笑いをこらえている曹操に舌打ちしてぷいと顔を背ける。

すると開いた距離を埋めるように曹操が机に肘を突き、声を低くして訊ねてきた。


「…ところで夏侯惇。何やら隠し事をしておるな?」


瞬間、意思に反して眉がぴくっと跳ねる。
確信犯の笑みを浮かべる曹操が気に食わなくて、嘲るように鼻で嗤って誤魔化した。


「そんなもの…してなんになる?」

「ならば何故わしの目を見ない?隠し事でないにしても、最近のおぬしはおかしい」

「………お前には関係のないことだ」


ぼそりと小さく言い、曹操を見遣る。

難しい顔でじっと見つめてくる主に、ちくりと胸が痛んだ。


心配をかけてしまっているのかもしれないが、これは自分の問題。
目は、見ないのではなく、見れないだけ。


長い沈黙と言及の視線に耐えかねて、夏侯惇はぽつりと漏らした。


「…言えば、お前の覇道の妨げになるかもしれん」

「なったところで、越えて行けばいい話だ」


躊躇いなく、そんなことを言う。
さも当たり前と言わんばかりの顔で言ってくるから…つい信じてみたくなってしまう。
ほぼ皆無の可能性に。


「……避けて通る気はないのか?」

「道を空けてやる義理などなかろう」


相変わらずの物言いに、思わず呆れた笑いが出てしまう。

それでこそ覇王。

だが――


「…それを聞いたからには余計お前には言えんな」


数少ない体現者だと己を認めてくれたのだ。
曹操が語る覇道の先遣隊、もしくは後詰として自分も編入されているはず。
そんな風に信頼を寄せられていながら、このような邪な思いを抱いていては隊が乱れるのは自明の解。

しかし曹操も身を引かず、寧ろ肘に体重をかけて乗り出してきた。


「言わせるために呼んだのよ」

「……」


こうなったら曹操は引かない。
我を通すと言えば聞こえはいいが、要するに頑固なのだ。

燭台に揺れる火が、真剣にこちらを見据える曹操の横顔に影を作っている。
まるで本人の不満を表しているかのように。


…が、言えないものは言えない。

いくら気持ちに気付いてほしいと心がむせぼうと、その行く末はどうせ互いへの気遣い。

そんなことなら今のままで……一方通行のままで構わない。


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