アソビの恋〜戸惑い編〜@
基哉への気持ちを自覚した劇的な夜も静かに明けて。
「で?急に落ち込んだと思ったら今度はケータイクラッシュか。馬鹿かオメー」
「・・・・すんません」
店の開店前、遊穂は古嶋にしこたま怒られていた。
ケータイを自ら粉々に粉砕した昨夜、古嶋は近々開催されるジュエリーショーについての出展品の変更を遊穂に知らせるという大事な用があったのだ。
パンフレットのレイアウトの変更もギリギリ間に合い、なんとか大事には至らなかったものの、一応は社会人である遊穂の無責任な行動に古嶋も怒らずにはいられなかった。
なにしろ事故でケータイが壊れてしまったならともかく、本人がすすんで壊したというのだから。
「しっかりしろや遊穂。最近おかしいぞ」
仕事だけは真面目にこなす遊穂の不調を古嶋も友人として心配はしていた。
いつも機嫌よさそうにニコニコとしている遊穂からは想像もつかないほど苛立ち、何かに焦っているような感じを受ける。
「いつまでも悩み引きずって仕事もできねぇだろ。優しいセンパイ様が今ならお前のお悩み聞いてやる」
「はぁ」
ほぼ条件反射のような返事をして、遊穂はぽつぽつと悩みを打ち明け始めた。
「俺・・・好きな人ができちゃって」
瞬間、古嶋が片眉を吊り上げる。
「は?だから?」
「いや、俺にとっては人生で一番の悩みなんですけど」
「まさか相手が人妻とか妹とか言うんじゃねぇだろうな」
それはいくら俺でも黙って見守るしかねぇぞ、と煙草に火をつける古嶋。
「そんなヤバい相手ではないんで。いや、ある意味ヤバいか」
ぶつぶつと呟く遊穂を見て古嶋が一歩後ずさった。
「・・・言っとくけど俺そういう趣味ねぇから。パス」
「・・・安心してください。なにがあっても古嶋さんには手ぇ出しませんから」
「あ、そう?マジビビった」
冗談めかして盛大に煙を吐く。店内を照らすライトに白が滲んだ。
「俺じゃねぇなら別にいいや。で?なんでそんなに悩んでんだよ。好きなら告って押し倒しゃいいだろうが」
「・・・そういう発言って人間性が出ますよ古嶋さん」
そう単純な話じゃないんだと大きな溜息をつく。
「だいたい、なんのために今まで女遊びやってきたんだっつーの。こんなときに役立てねぇでどうする」
「・・・」
それが通じれば何も悩む必要はないのだ。
ただ相手は完全に心も体も男で、さらに遊穂がどうしようもない遊び人だということを知っている。基哉に初めてあったとき、遊穂自身が直接バラしたのだから。
「いつもどおりにやれよな。オンナを落とすとき、お前ならまずどうする?」
「ヒマな時間訊いて集中的にメールと電話。そんですぐ引っ込みます」
大事なのは相手にプレッシャーを与えないことだ。
相手が眠るまでメールやらなんやらを送り続ければ、むこうがそのうち飽きる。
引き際が肝心だ。
「お前の今の本心は?」
「いますぐ会いに行って、相手が納得するまで好きだって言い続けたいです」
「・・・ダメだな、こりゃ」
ぷはー、と煙を吐き出し、古嶋が項垂れた。
しかし遊穂としても必至だった。
基哉は自分がからかわれていると思っている。
まずは本気で好きなのだということをわかってもらわないことには、なにも始まらない。
「俺、本気なんです。じっとしてられなくて」
胸にもやもやとわだかまる霧のようなもの。
昨夜、基哉のマンションを出たときから、なぜか嫌な予感が付きまとって離れなかった。
焦りにも似た感情が、遊穂を突き動かそうとする。
「なんか・・・早くしないと手遅れになる気がする」
「そんないいオンナ、俺も会ってみてぇわ」
手元に置いてあった灰皿にぎゅ、と煙草が押し付けられる。
残り火をチラチラと上げ、一筋の煙が白く濁った店内に溶けた。
ちょうどそのとき、開店の時間を知らせるチャイムが鳴り響く。
「おら、仕事仕事。俺、今日はこっちいらんねぇから、あとは任せたからな。バイトのシフトも組んどけよ」
「・・・うっす」
換気のために空調の調節をして、古嶋が店を出ていく。
その背中を見送りながら、遊穂はまた溜息をついた。
それから一週間ほど過ぎた、ある日の昼ごろ。
どうしても基哉と接触を図りたい遊穂は、店の定休日を利用して基哉の会社の前まで来ていた。
近くの大型駐車場に車を止め、目の前にそびえたつ25階建てのビルを見上げる。
基哉の住んでいるマンションからして、かなりの大会社だとは思っていたが、小金井商事本社ビルは遊穂の想像をはるかに超える規模を誇っていた。
高校を卒業してそのまま古嶋の店で働きはじめた遊穂にとって、まさに縁もゆかりもない場所。
途中何度も入口の前を通り過ぎてみたが、4回迷って、5回目に勇気を振り絞った。
この会社に勤務しているのだろうサラリーマンをやり過ごし、玄関ホールに誰もいなくなったのを見計らって自動ドアを潜る。
入ってすぐ、受付の女性に呼び止められた。
「お客様、ご用の場合はこちらで承ります」
「あ・・・ども」
淡々と喋る受付嬢と目が合い、遊穂は気まずいながらも頭を下げる。
向こうもまさか、茶髪にピアスでレザーのパンツを穿いた人間がこの会社に来るとは思ってもなかったのだろう。遊穂の顔を見て、かすかにだが目を見張った。
しかしその笑顔はすぐ完璧な営業スマイルに戻る。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でらっしゃいますでしょうか」
ベテランと新人らしい女性社員が揃って遊穂に笑顔を向ける。
いつも接する女性とは一味違ったタイプだが、こと女性に関しては遊穂は大ベテランだった。
受付嬢に負けない爽やかスマイルでカウンターに歩み寄る。
「すんません。こちらで働いてる小金井さんって方をお願いしたいんですけど」
新人の方ににっこりと微笑みかけると、彼女の艶のある肌にさっと赤みが増した。
隣でベテランがかすかにこめかみを動かした気がする。
しかし口調はあくまで丁寧に、スラスラと遊穂に向かって言った。
「お客様、わが社には小金井が3名おりまして。それぞれ代表取締役、企画事業部、営業一課になりますが、どの部署にお繋ぎいたしましょう?」
そう言われればそうだった。
この会社は基哉の父親が起こした会社だ。家族が違う部署にいてもおかしくはない。
まず父親は社長だろう。しかし他の2つの部署はどちらがどちらかわからない。
怪しまれるのを承知で、仕方なく訊ねることにした。
「基哉さんの方をお願いできます?」
「アポイントメントはお済みでしょうか」
「えーっと・・・いえ、してないです。忘れてました」
これは半分嘘だ。
遊穂はあれから毎日、基哉にメールと電話をしているが、すっぱりと無視されていた。
今回会社に来るなんてことを事前にメールすれば、基哉が姿を隠すことなど一目瞭然だった。
予想通りベテランは取り次ぎを一瞬ためらったようだ。
しかし遊穂の人懐こい笑顔に押されたのか、しぶしぶといった表情で頷いた。
「・・・・承知いたしました。お客様のお名前をよろしいですか?」
「瀬野です。遊穂って言えばわかると思いますけど」
とりあえず確認だけはとってくれるようで、内線番号を押した。
「受付です。小金井さんをお願いします」
受話器の向こうで基哉の名前を呼ぶ声がする。
久しぶりの基哉との会話が叶うと思うと、遊穂の胸は自然と高鳴った。
電話が基哉に繋がったのか、ベテランがわずかに声のトーンを上げる。
「お疲れ様です。お客様がいらしてます。はい、お約束はされてらっしゃらないようです。お名前は・・・瀬野さまとおっしゃる方ですが」
途端に、電話の向こうが沈黙した。
「・・・どうかされましたか?あ、はい。ええ。わかりました。お伝えいたします」
見えない相手に一礼すると、ベテランは静かに受話器を置いた。
そして遊穂をまっすぐ見、お得意の営業スマイルを浮かべる。
「瀬野さま、申し訳ございません。ただいま小金井は手が離せない状況にありまして、本日お会いすることはできないとのことです。また後日、小金井の方から連絡をさせますので、よろしいでしょうか?」
「・・・そうですか」
たぶん、基哉は連絡をしてこないだろう。
直接会うことすら拒まれた遊穂は、もう打つ手なしかとも思われた。
しかし、ふと会社の真向かいにファミレスがあるのを発見し、目を輝かせる。
「すみません。ここの昼休みって何時ですか?」
遊穂の質問にベテランが怪訝そうな顔をする。
「昼休みですか?部署と作業の進み具合によって変わりますが、たいていは午後1時から2時の間です」
「なら小金井さんに伝えてください。昼休み、あのファミレスで待ってます。来てくれるまで待ってますから、いつでもいいですって。お願いします」
「承知しました。お待ちください」
もう一度内線番号を押す。
今度は直接、基哉が電話をとったようだ。
ベテランがさっき遊穂に言われたことをそのまま伝える。
「・・・とのことです。はい。わかりました。お伝えいたします」
受話器を置き、少し不思議そうな顔をしながら顔を上げた。
「小金井から伝言です。今日の7時、江崎町の居酒屋『こもり』で会う、とのことです」
「ホントですか!?っしゃッ!・・・あ、すんません。お忙しいのにお時間とらせてしまって」
照れ笑いを浮かべる遊穂に、ベテランは苦笑ながらも、やっと本当の笑顔を向けた。
「いえ。お気をつけてお帰り下さいませ」
受話器を置き、基哉は頭を抱えてデスクに突っ伏した。
「ぅあぁああぁ・・・」
「ちょ、センパイ。ただでさえ不景気なのにやめてくださいよ」
隣のデスクから咎めるような声が聞こえる。
チラリと視線だけ向けると、後輩がこちらを覗き込んでいた。
「なんだったんですか、さっきの電話。なんかすごい嫌そうでしたけど」
「・・・別に、なんでもない」
まさか、男に迫られて必死に逃げている途中だなんて言えるはずがない。
ただでさえ大好きだった元カノに偶然再会してしまって落ち込んでいるのに、そこをさらに遊穂が引っかき回している。
なのに自分は、会社近くのファミレスでいつまでも待ち伏せされて社内に変な噂が流れるのを恐れるあまり、ついうっかり今夜会う約束をしてしまったのだ。
それもこれも、受付があのお局様、佐伯嬢であったがため。
いつまでも待つ遊穂。いつまでも行かない基哉。そんな三流ゴシップのようなネタが佐伯嬢を通過して社内に広がらないわけがない。
ただでさえ小金井である基哉を、この会社で知らないものはいないのだから。
それならいっそ、仕事上の関係だということをアピールしておいたほうが、後々面倒なことにならずに済む。
「だとしても・・・どうすれば・・・」
あれだけワケのわからない人間は初めてで、いったいどうしていいかわからなかった。
それでも一度約束してしまった以上、とりあえず待ち合わせの場所に行かないことには後で気が咎めるだろう。
一言だけ、もうつきまとうなと言ってやればいい。
それでさっさと帰って、諦めないようならそれなりの手段を・・・
「・・・・・はぁ」
「先輩、やめてくださいってば」
眉間にしわを寄せて睨んでくる後輩に声だけでスマンと謝り、基哉は突っ伏したまままた溜息をついた。
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