アソビの恋A
彼女は確かに綺麗だ。
適度に露出した肌も白くて甘そうだし、年下の男への接し方もよくわかってる。
ときどき遊穂の指に触れる体温の低い指先も隙がなく着飾られて。
まさしく今まで遊穂が遊んできた女性そのままだった。
(ダメだな)
しかしそう思ってしまう自分に遊穂は驚いた。
以前までは女とこうして遊ぶだけでもそれなりに楽しかったのに。
もしかしたらこうなることは電話をしたときからわかっていたのかもしれない。
だから酒の入る店ではなく、こんな場所をデートに選んだのだ。
「・・・ね、どうしたの?楽しくない?」
待ち合わせの場所に現れたときから気のない返事ばかりの遊穂をさすがに不思議に思ったのだろう、女性はちょっと不機嫌そうに言った。
「いやそんなことないけど」
ピリッとしたかすかな空気を敏感に感じ取った遊穂は慌てて笑顔を作る。
すると彼女も安心したようだ。車の行き来の激しい窓の外を眺めながら可笑しそうに言った。
「アタシの元カレも遊穂くんみたいな人だったら良かったのになぁ」
「元カレ?最近別れたの?」
「そう。ずっと付き合ってたけど最後の方なんか最悪。最初はおっきな会社の跡取りだっていうから付き合ったのにね、最近になって長男が実家を継ぐことになったから心配しなくていい、なんて言っちゃって。心配じゃないっての。アタシは別に嫁ぐのが嫌なわけじゃなかったのに」
その瞬間ちらりと脳裏に基哉の顔が蘇った。
いや、まさかそんな偶然があるわけない。
でもこの人の名前はなんていった?
確か・・・・笹川優子。
歳は聞いていないけど、こんな偶然ってありえるか?
遊穂の背中を嫌な汗が伝った。
自分は今とんでもない人といるんじゃないだろうか。
そしてこんなところを基哉に見られたら、彼はどう思うだろう。
(いや・・・そんなこと関係ないよな。だって俺もう忘れるって決めたし)
必死に平常心を保とうとしている遊穂を笹川優子は訝しげな顔で見ていたが、やがてそれにも飽きたのかまた視線を夜の街へ戻した。
「あ、サイアク。ほら、さっき言ってた元カレってアレ。あの向こう側歩いてる人」
さも嫌なものを見てしまったというその言葉に遊穂は慌てて窓の外を見る。
車のライトが眩しい国道沿いの信号。
遊穂たちのほうに向かって信号が変わるのを待っているあの顔は。
「あの不景気そうな顔。ホント見てるこっちが、」
気が付いたときには遊穂は席を立って走りだしていた。
驚いて声を上げたのは笹川優子だ。
「ちょっと、なに?どうしたの?」
机の上の伝票を慌てて掴み、レジへ向かう。
涼しげなヒールの音を振り切るように遊穂は店を飛び出した。
入口に入ってくる客とぶつかりそうになりながら歩道まで出ると、基哉はもう信号を渡りきってファミレスの横を通り過ぎようとしていた。
「基哉さん!」
どこか影を負ったその後ろ姿に声をかけるが、車の行きかう音にかき消されてしまう。
軽く舌打ちをして遊穂は走り、薄い肩に手をかけた。
「・・・、?」
突然背後から肩に手を置かれ、基哉がピクリと小さく跳ねて立ち止まる。
そしてゆっくりと振り返り、肩を叩いた人物の顔を確認して目を見開いた。
「・・・遊穂?」
「あ・・・・ひ、さしぶり」
(なにやってんだ、俺?)
わざわざ走ってきて声をかけてみたはいいものの、遊穂はなぜ自分がそんなことをしたのかまったくわからなかった。
特に話したいことがあったわけでもない。
むしろ笹川優子が後ろにいることを考えれば、声をかけるなんて絶対にしてはいけなかったのに。
「お前、なんで」
「・・・えっとー・・・あのさ、俺、こないだ基哉さんの家に忘れものとかしてない?ちょっと見つかんないものがあって」
墓穴。
自分からあのときのことを蒸し返すなんて基哉に警戒してくれと言ってるようなものだ。
遊穂は今さらながら自分の軽率な行動に腹が立った。
「いや、なにもなかった」
案の定基哉は顔をしかめ、目を反らしてしまう。
「あ、そう。ならよかったんだけど、」
「遊穂くん!」
後ろからのその呼び声に、遊穂の背筋は凍った。
「もう!急に走りだすから・・・・・・・」
そこまで言って笹川優子は遊穂の目の前に誰がいるのかを理解したのだろう。
言葉が止まり、三人の時間も止まった。
まさか遊穂が元カレを追って店を飛び出したとは思っていない彼女は遊穂の後をついてきてしまったのだ。
笹川優子の目が泳ぐ。
「・・・基哉」
「優子」
わけがわからない、と基哉は目を瞬かせる。
二人の間に流れる微妙な空気。
そしていくらか落ち着きを取り戻した基哉の視線は次に遊穂に向けられた。
「お前、なんで優子と一緒にいるんだよ」
「これは、その、ちがくて、」
「アタシたち今日デートしてたから」
必死に弁明の言葉を探していた遊穂の言葉を遮って、笹川優子が叫んだ。
基哉の視線が目に見えてキツくなり、痛みすら感じるほどの嫌悪の空気が遊穂に向けられる。
「・・・いったいなんなんだ。俺をからかってんのか?これもお前の『お遊び』なのかよ!?」
バン!とカバンがアスファルトに打ちつけられる。
「俺がフラれたって聞いてからかってたんだろ!それで優子までお前のお遊びに付き合わせたのか。ふざけんな!俺はお前のヒマ潰しじゃねえんだよ!!」
道行く人々が何事かと足を止める。
それくらい基哉の怒りは凄まじかった。
「も、とやさ」
「・・・・本当、最低だな」
汚いものを見るかのような冷たい瞳。
遊穂はその場を動けなかった。
基哉に本当のことを言う気力さえなくして、ただそこに立ち尽くしていた。
するといい加減に怒りが頂点に達したのか、基哉が足元のカバンを拾い上げて二人に背を向け歩き出した。
その背中を見て遊穂は思う。
違う。
こんなツラい想いは遊びなんかじゃない。
そして、基哉がタクシーを停めて乗り込んだときにはもう自然と身体が動いていた。
扉が閉まる直前のタクシー。それに向かって一直線に走り、締まる直前の扉に手を差し入れた。
「お客さんッ!?」
突然のことに運転手が慌てて声を上げ、扉を開く。
後ろのシートに座っていた基哉も遊穂の行動に言葉を失った。
「俺も乗せてください!」
「え!?あ、あの、お客さん、どうします?」
運転手が基哉にそう聞いている隙に車内に潜り込む。
「ふざけんな。降りろ」
その声は低く冷たかったが、遊穂はもう怯まなかった。
「嫌だ。降りない。運転手さん、出して下さい」
「え、でも・・・」
面倒ごとは勘弁してくれとその目が語っている。
これ以上ことを大きくしたくないと考えた基哉は仕方なく「・・・出してください」と呟いた。
安堵の溜息をついた運転手が車を発進させ、車内に重たい空気が流れる。
車はまっすぐ基哉の家に向かった。
マンションの目の前に停車したところで基哉が代金を払い、車を降りる。
その後を遊穂もすぐに続いたが、基哉は一度も振り返らずに歩きだしてしまう。
「基哉さん、待てよ」
エントランスに入ろうとしていた基哉の後ろ姿に声をかけるが、あっさり無視された。
遊穂は穏やかな性格ではあるが、はっきりしないことは好きではない。
だからこうして基哉との関係が誤解のまま終わることが我慢ならなかった。
「基哉さんッ」
自分よりいくぶん細い肩を掴む。
すると基哉はゆっくりと振り返り、遊穂に一瞥を投げた。
「俺はもうお前に用はない。これ以上つきまとうなら警察呼ぶぞ」
「呼べよ。俺なにも悪いことしてねえし」
遊穂は半分開き直っていた。
もう引き返す気もないし、基哉は警察を呼ばないだろうというかすかな自信があった。
「迷惑だってわかんねえのか」
他の住人に聞こえることを考えてだろう、基哉の声は小さかった。
その声はどこか不安そうに思えるほど小さく震えている。
戸惑っているのだ。遊穂の言動の意味がわからずに。
その姿を見て遊穂は不謹慎ながら基哉のことを可愛いと思った。
早く不安を取り除いてあげたい。
例え信じてもらえなくても、なぜ自分がここにいるのかを教えてやりたい。
遊穂は噛んで含めるようにゆっくりと自覚したばかりの想いを告げた。
「俺、基哉さんが好きだ」
基哉の目がわずかに開かれ、そしてまた冷たく細められる。
「また酔ってんのか、お前」
「酔ってねぇよ!俺は・・・俺だってわけわかんねぇ。男なんて絶対に好きじゃないし、基哉さんのことだって会ったばっかりだし。でもこんな気持ち初めてなんだよ。今までこんなに逃がしたくないって思った人なんていなかったんだ」
馬鹿みたいだった。
こんな姿は自分らしくない。
こんなに惨めで、捨てられた子供のような言葉が自分の口から出るなんて思ってもみなかった。
そうか、これが『恋』か、と遊穂は思った。
しかし基哉の方はそんな言葉を信じられるはずがない。
「寝ぼけてんじゃねえよ。帰れ」
冷たく言い放つと、踵を返してエレベーターのボタンを押す。
一階にあったエレベーターの扉がすぐに開き、その中に一歩足を踏み入れた。
その時。
「俺、全部やめる」
基哉の足元に、何かが飛んできた。
ガシャッ!という音とともに小さな破片をまき散らしたのはケータイ。
「お前・・・なにしてッ・・・!」
慌ててエレベーターから降り、破片を拾う。
完全に粉々になったケータイは画面まで粉々になり、修復は不可能なのは明らかだった。
「そんなのいらねぇよ。どうせオンナの名前しか入ってねぇし」
「だからって・・・」
遊穂は、なにも壊すことはないだろうと破片を拾い続ける基哉の手首を掴んだ。
そのあまりに強い力に基哉は眉をひそめて肩を強張らせる。
自分を見下ろす目は、こんなにも強かっただろうか。
ベッドの上で自分を見下ろしていた瀬野遊穂。
そのときの『男』の目がそこにはあった。
「・・・俺がオンナ全部切って基哉さんだけになったら、俺のこと好きになってくれる?」
冗談じゃない。
そんなことされたって遊穂のことを好きになるはずがない。
そう言い返してやりたいのに、基哉の口は引き結ばれたまま動かなかった。
「・・・黙ってんなら勝手にするから」
握りしめて白くなった男にしては細い手首を放すと、遊穂はそのままエントランスの自動ドアに向かって歩き出した。
広い背中。
その有無を言わせない空気を肌で感じながら、基哉は赤く手形のついた手首を撫でた。
「わけ、わかんねぇし・・・」
自動ドアが閉じ、やがて遊穂の姿が闇に消える。
冷たい床の上に一人残された基哉は、遊穂のあの熱く滾る目を思い出し、小さく震えた。
続く。
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