健多くんシリーズ。(短編)
抑えきれない。
不穏な黒い影を目撃してから一週間。
僕の周囲には何も変化がなく、穏やかな日常が流れていた。
―――――――抑えきれない。
「あれ、お前まだ帰ってなかったの?」
柔らかい日差しの差し込む放課後の教室。
その一番奥の席でうちのクラスの現国の提出物を確認している僕に、珍しく部活に顔を出していた友人の秋月が声をかけてきた。
秋月は美術部に所属しているがもう引退しているのでここ最近は僕と一緒に下校している。
それが今日は部活に行くというので僕も先に帰る予定だったのに。
「これ、現国の課題。今日委員長休みだろ。だから牧野先生がたまたま廊下ですれ違った僕にまだ提出されてないヤツのぶんを回収してもってこいってさ」
まったくいい迷惑だ。
こっちはあと1時間もしたら鳴人が家に来るからいろいろ忙しいというのに。
「そっか。そりゃ災難だったな」
たいして同情もしていなそうな秋月はスタスタと自分の席に向かうと、目当ての物を見つけたのか声を上げた。
「お、あったあった」
「忘れ物?」
「おお。家に持って帰ってた資料集を返そうと思ってたのにすっかり忘れてて」
「ふぅん・・・頑張れよ後輩指導」
「まかしとけって。お前もさっさと牧野に持って行って帰れよ」
「うん。じゃあな」
秋月がひらひらと資料集を振りながら教室を出ていくのを見送って、僕は手元の提出物に意識を戻した。
牧野先生から渡された未提出者の名前の一覧と僕が回収したプリントの名前はどうやら一緒のようだ。
さ、早く職員室に持って行って帰るか。
急いでカバンを拾い、僕は教室を出た。
「悪い松森。それ国語資料室に持って行ってくれるか」
「え」
職員室にはまだ数人の先生が残っていて、牧野先生も忙しそうに仕事をしている途中だった。
その先生に小声で声をかけて提出物を揃えてきたことを告げると、先生は申し訳なさそうにそう言ったのだ。
「いやぁ、本当は俺が採点したいんだが、なにしろ明日は教育委員会が来る大事な授業があってなぁ。だからほら、お前知ってるか・・・いま一年の国語を担当してる篠井先生。あの人に他のヤツの採点も任せてあるから、そっちに渡してくれ」
「え〜」
国語資料室といえば職員室から一番遠いところにあって、あまりの遠さに国語担当の教師さえよほど用がない限り近寄らないという場所だ。
そこで仕事をしているとしたら篠井先生とやらはよっぽど静かな場所が好きな人なんだと思う。
でもここで文句を言っていても仕方がない。
僕は仕方なく集めたプリントを持って国語資料室へ向かった。
「ヤバい・・・もうこんな時間だ」
1階の中央にある職員室から4階の一番は時にある国語資料室まで汗だくになりながらプリントの束を持って行って、やたらと話の長い篠井先生を振り切って学校を出てみたら、もう鳴人が家に来る時間まであと30分しかなかった。
学校から僕の家までは歩いて20分くらいかかる。
人通りのまばらなその道を僕は早足で帰った。
急いだおかげでなんとか鳴人より先に家に着けたようだ。
いつも駐車場代わりにしている空き地に鳴人の車はない。
強い西日に眉をしかめながらカバンから鍵を取り出すと、すぐ後ろで車の停まる音がした。
鳴人が来たんだろう。
夕飯の準備ができてないけど仕方ない。今日はなにか注文すればいいか。
とりあえず家に入ろうと鍵穴に鍵を差しこんだところで、背後の車のエンジンがいつまでも切れないことに気がついた。
なんで降りてこないんだろう。
不思議に思って振り返ると、僕の家の前には見慣れない赤い軽自動車が一台停まっていた。
そんな車の持ち主を僕は知らない。母さんの知り合いだろうか。
確かにその車はうちの玄関の前で停まっていて、僕に用事があるのは間違いなさそうだ。
もしかしたらこの辺りで誰かの家を探してるのかもしれない。
僕は家の鍵を開けると、もう一度玄関の階段を下りた。
するとかすかな音とともに助手席の窓が開き、中から一人の男が顔を出す。
やっぱり僕に用があったのか。
「あの・・・どうかしましたか?」
焼けつくような日差しの中、逆光になって影を落としたその唇はかすかに微笑んでいた。
「すみません。人を探してるんですが」
声の感じからしてけっこう若い人のようだ。
悪い人ではなさそうだし、さっさと知ってることを教えてあげて家に入ろう。
「この近所の人ですか?」
ミラーに反射する光がキラキラと眩しくて目を細める。
「ええ。この写真を見てくれます?」
オレンジ色に染まった助手席に無造作に置かれた黒いバッグ。
その中から一枚の写真を取り出す。
写真を持って人探しをしている男。
ドラマなんかではよく見るけどまさか自分がそんな場面に遭遇することになるとは思わなかったので、なぜか僕はちょっとドキドキした。
しかしそんな浮ついた気持ちは、一瞬で打ち砕かれたのだ。
男の手から写真を受け取り、光が反射して見えにくい車内から写真を窓の外に出すと、そこに何が写っているのかがわかった。
夜に撮影されたらしい真っ暗な背景に浮かび上がる二つの人影。
写真はその人影が強い光に照らされた一瞬を見事に捉えていて、そこになにが写っているか誰が見てもあきらかだった。
「ッ・・・!?」
写真に写っているものを頭が理解した瞬間、焼けるように暑い日差しの中で僕一人だけが極寒の中に立たされたように背筋が凍った。
無言の悲鳴を上げる僕を見て、車中の男が楽しそうに笑う。
「さて。この二人の顔知ってるならさっさと車に乗ってくれるかな・・・松森健多クン?」
「・・・・」
カタカタと小刻みに震える手の中で、あの花火大会の夜の、繋がったまま快楽を貪る僕と鳴人の姿が激しく揺れた。
「いやぁ、こんなにあっさりついてきてくれるとは思わなかったなぁ。話が早くて助かるよ」
エアコンが効き過ぎているのか、それとも僕のカラダから血の気が引いているのか。
どちらかはわからないけど、僕は助手席でただ震えていた。
男の車はどんどん僕の家から遠ざかって、窓の外には見慣れない景色が広がる。
あれから15分ほど走った。
きっと今頃鳴人が僕の家に着いた頃だろう。
鳴人ならおかしいと思ってくれるかもしれない。僕の家は鍵が開いたままなのだ。
でも僕にはいま走っている場所がどこかもわからないし、僕を脅して車に乗せたこの男の名前もわからない。
いくら願っても鳴人が助けに来れるはずがなかった。
「あれ?キンチョーしてる?ほら、リラックスして。もうすぐ俺の仕事場につくからさぁ」
男のねっとりとした甘ったるい声。
この口が車に乗りたがらない僕を脅した。
『一緒に写ってるの・・・木頭ショウスケだよね?バレたらまずいんじゃないの?』
木頭ショウスケは今いろんな人に知られ始めてる作家だから。今の時期のゴシップは命取りだろう。
そう囁かれて、絶望的な気持ちのまま僕はこの男の言葉に従った。
男はゴシップ専門誌のフリーカメラマンだという。
よくネタを売っているゴシップ誌はかなりの知名度があって、その雑誌に載った記事は8割が真実だと世間では思われてる、なんて言われたら僕は言うことをきくしかなかった。
そんな雑誌にあの写真が載ったりしたら鳴人はおしまいだ。
それだけは・・・それだけは、絶対にダメだ。
「ほら、着いた。いい子にしてればすぐに帰してあげるからね」
男の茶色く染めた髪が夕陽に透けて眩しかった。
僕はこれからどうなるんだろう。
ひどいことをされるんだろうか。
お金をとられるんだろうか。
僕は・・・僕はなにをすれば鳴人を助けられるんだろうか。
「行くよ」
男の促す言葉に僕はのろのろと車から降りた。
そこは小さな廃工場のような場所だった。
周りには家もなくて、大きな窓ガラスには黒いカーテンでも張ってあるのか中の様子は見えない。
カメラマンということはここを暗室がわりにでもしてるのかもしれない。
俯いたままの僕のことなど構いもせず、男は工場の入口に入っていく。
その足取りはどこか楽しげで、軽快な靴音が聞こえるたびに僕の心にはひとつ錘がぶら下がった。
「よ、っこらせ」
ギ、ギギギギギ・・・・
ゆっくりと重い扉が開かれる。
工場の中は簡単なスタジオになっていた。
僕には名前もわからない機械がたくさん並べてあって、撮影に使うためかいろんな小道具が無造作に部屋の一角に積み重なっている。
「早く入って。誰かに見られちゃうかもしれないからさ」
ぐ、と腰を掴まれ、僕は思わずその手を払いのけた。
「触るなッ!」
一歩飛びのいて男を睨みつけると、ソイツは怒った様子もなく僕の腕をとる。
「・・・逆らったらどんな目にあうかわからないほど子供じゃないよね?」
「やッ」
乱暴に腕を引かれ、工場の中に突き飛ばされる。
恐怖と不安で力の入らないカラダはあっさりとコンクリートの床に転がった。
とっさについた手のひらにすり切れるような痛みを感じて目を閉じる。
・・・・ダメだ。怖い。
でも泣いちゃいけない。
こんなヤツに負けるわけにはいかないんだ。
鳴人のところへ帰るために。
「あーあー。せっかくの綺麗なお肌に傷がついちゃったじゃん。もったいな」
錆びた鉄のこすれる音がして工場が完全に外の世界と切り離される。
今は天井からぶらさがる大きなライトだけがこの地獄の唯一の灯りだった。
僕に恐怖心を与えようとしているのか、静かに大股で近づいてくる男。
その距離があと2メートルに差し掛かったとき、僕は無機質な床に力なく突っ伏した。
怖くて、悔しくて、もうどうしていいかわからなかった。
「立ちなよ。可愛い顔見せてごらん」
「・・・ッ!」
顎を掴まれて上向かされる。
仰け反った首筋に男の熱い息がかかって気持ち悪い。
「その目だよ・・・そういう嫌そうな目が男心をくすぐるんだってわからないかなぁ・・・キミはいい被写体になるよ」
「ひ・・・しゃ、たい・・・?」
息が苦しくて上半身を持ち上げると、男が僕のシャツの襟を掴んだ。
「そう。取引だ」
ブツッ!
「なッ!?・・・やめッ・・・!」
シャツのボタンが弾け飛び、慌てて男の腕を掴むがもう遅かった。
力任せに前を肌蹴させられて僕は立ち上がって逃げようとする。
でもそんな抵抗も虚しく、足首を掴まれてまた硬い床に倒れた。
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