健多くんシリーズ。(短編)
治らない。
それは、まるで病。
―――――治らない。
『今日は中止。また明後日な』
「は!?」
『ちゃんと勉強しろよ』
ブツッ。
「ちょっと!」
家に帰り着いて鳴人の到着を待っていると、電話がかかってきていきなりそう告げられた。
二人分の夕食を用意して待っていたのに・・・・いや、仕方なく待っていたんだけど。
(僕にとっては)激動の週末が終わり、いつもどおりの平和な毎日がやってくるのだと思っていた。
すっかり冷めてしまった料理を見て、僕はよくわからないザワザワとした気持ちになる。
声・・・・そうだ。声がおかしかった。
いつもの声じゃなくて、ちょっと苦しそうな掠れた声。
「・・・・・ああ、もう!」
一度気になりだしたらきりがなくて、僕は家を飛び出した。
鳴人のマンションに着いたのは30分後。
そこまで来て初めて鳴人が家にいるのかどうかが心配になった。
しかしもうここまで来てしまったので、とりあえずチャイムを押してみる。
もしかしたら無駄足だったかもと思いながら扉の前で待っていると、中から女の人の返事がして扉が開いた。
「はいは〜い!・・・って、ああ!」
「え・・・・あ、あの、こんにちは」
歳は鳴人と同じくらいだろうか。
明るく染めた髪はふわふわで、女の人にしては高い僕と同じくらいの身長の人。
その人は玄関先で突っ立っている僕を見て、にっこりと笑った。
「健多くんでしょ?」
「・・・・はい」
その声をどこかで聞いた気がして、僕は必死に記憶を辿る。
『あ、はじめましてよね?私、』
確かそのときは電話越しで・・・・。
電話。そうだ、あのときの。
前に鳴人が鹿児島へ行ったとき、僕に電話をかけてきたあの女の人。
あのとき聞いた、彼女さんの声だ・・・・。
どうして今まで忘れていたんだろう。
この人の存在を。
「どうぞ、遠慮しないで入って」
チクリ、と少しだけ胸が痛んだ。
なんか全然悪気は感じられないけど、この人の家みたいに言われて。
「いえ、あの、な・・・藍崎さんは・・・」
「鳴人はいま寝てる。もー、倒れたって聞いたからすっ飛んできたのに、ただの風邪。心配して損した」
「風邪?」
「そう。本当は病院行けばすぐ治るんだけど、鳴人病院きらいだから。しかたないから寝かしつけて、いまやっと眠ったの。もうだいぶ落ち着いたんだけどもうしばらく安静にしてなきゃ」
風邪。だから今日休むって・・・。
またひとつ、胸がチクリと痛んだ。
「・・・そうですか・・・あの僕、帰ります。藍崎さんにお大事にって伝えといてもらえますか」
眠ってるのなら邪魔したくないし、きっと・・・この人がついてるから大丈夫だろう。
そう思って僕は彼女さんに頭を下げて帰ろうとした。
「待って!」
突然、ドアノブにかけた手をパッと掴まれる。
「はい?」
「私いまから出なくちゃなの!だから、悪いんだけど時間があったらでいいから彼、看ててくれない?たぶん起きて私がいなかったらまた仕事始めるだろうし・・・」
お願い、と優しく微笑まれて僕は少し戸惑う。
鳴人は僕に風邪だっていうことも伝えないでいたし、もし起きて彼女さんがいなかったら困ることもあるかもしれない。
それに。
(なんか・・・鳴人の顔みづらい)
僕はやんわりと断ろうとした。
それでも彼女さんは見た目に反して意外に強引な人だった。
「・・・ね?お願い!あ、もう時間〜ごめん、私もう行くね!鳴人のことよろしく!」
玄関先に置いてあったトートバッグを豪快に引っ掴むと、僕の制止の声も聞かずに彼女さんはバタバタと出て行ってしまった。
(どうしよう・・・)
ぽつんとひとり残された玄関で、僕は途方に暮れた。
それでもでもとりあえずは頼まれたので、様子を見てから帰ろうと寝室に向かう。
途中のリビングにはたぶん仕事の資料らしき紙の束が散乱していて、足の踏み場もない。
今日の家庭教師が休みになったから仕事をしようとしたんだろう。そしてその途中で倒れたってところか。
(自分のこと大事にしそうなのに、けっこう無茶したりするんだ)
鳴人の意外な一面を見た気がして、少し驚いた。
寝ている鳴人を起こさないように寝室のドアをゆっくり開けると、西日の射しこんだ部屋の端っこ、あのムダに大きいベッドに鳴人が大人しく眠っていた。
足音をたてないように近付いて、そっと横に立ってみる。
顔に直接当たっている光が眩しいのか、その眉間には皺が寄せられていた。
静かに移動してブラインドを閉めてやると、すうっと穏やかな寝顔になった。
(・・・こんな顔して寝るんだ)
そういえば鳴人が寝てるところを見たのは初めてかもしれない。いつもアノ後は僕が先に寝るし、起きた時も鳴人は僕より先に着替えてる。
「なんだよ、僕・・・こんなときにまで」
ひとりで想像してしまったことを打ち消すように、寝室を慌てて出ようとした。カチャッとドアノブの音が響いて、ふと背中の方から小さな声が聞こえた気がした。
「・・・鳴人?」
もしかしたら目を覚ましてしまったのかも、と振り返ってみると、暗闇の中で何か手を動かしているようだ。
「起きたの?」
近づいて覗き込むと、目は開いていない。
「もしかして、寝ぼけてる?」
だとしたらなんというはっきりとした寝ぼけっぷりだ。
まるで夢の中で何かを探しているような動作に、薄闇の中でそのかすかに動いている口元に耳を寄せると。
「・・・け・・・た・・・」
ふっと熱い息と一緒にそんな声を耳にかけられ、とたんに顔が熱くなった。
(僕の夢・・・?)
いやもしかしたら、僕の後ろ姿を見たのかもしれない。じゃなきゃ。
(こんなの・・・彼女さんが聞いたらビックリするって)
自分の彼氏がまさか男子高生の夢を見て、しかも寝言で名前まで呼んでるなんて。
でもそのあまりに必死そうな顔を見ると、笑いがこみ上げてきた。
しかたない。
ぴく、と小さく動く指をそっと握ってやる。
「ほら、ここにいるから。大人しく寝てろって」
安心させるように優しく言ってやると、鳴人は静かになった。
また寝息を立て始めたのを確認して、そっと手をどける。
今度こそ起こさないように寝室の扉を開けると、なぜかふいに胸がぎゅっと痛んだ。
結局、僕は鳴人が目を覚ますまでマンションにいることにした。
様子を見てるように頼まれたし、なんだか後味が悪かったからだ。
しばらくは鳴人の家にある本を読んでいたが、一時間もするとそれにもだんだん飽きてきた。
ヒマだし、鳴人もそろそろお腹が空くかもと思い、とりあえず卵粥でも作ろうかとキッチンに入る。
鳴人の家には料理の材料らしきものはほとんどないが、卵粥くらいなら作れそうだった。
キッチンにいい匂いがしてきた頃、寝室の扉が開いて鳴人が頭を抱えながら出てきた。
眩しそうな目でキッチンにいる僕を確認して、珍しく小さくビクッとした。
「おー・・・ビビった・・・お前なにしてんだ、こんなところで」
「なにしてんだとは失礼な。せっかくお粥作ってやったのに」
「いや、だから・・・なんでここにいるんだ」
鳴人にしてみれば僕に風邪をひいたことを教えていないのだから、僕がここでお粥を作ってるのは不思議なことだろう。
いわれてみれば不思議な光景だ。
「電話の、声が変だったから。なにかあったのかと思って」
深い意味はないから、とボソッと呟く。
それでも鳴人は驚いたようだった。
「そんだけでここまで来たのか」
「・・・迷惑なら帰る」
小さな鍋の中身をかき混ぜながら、心の中では本当に帰れって言われたらどしよう、などと思ってしまう。
「帰るな」
「・・・え?」
その小さい声にパッと顔を上げると、鳴人は眩暈がしたのか、その場にしゃがみこんでいた。
慌てて鍋の火を止め、キッチンから出る。
「ちょっと、まだ具合が悪いんだろ!?寝てろよ!」
「あ〜・・・ノドが渇いて」
「水だったら寝室に持っていくから。ほら、早く立っ・・・」
ガチャ。
鳴人の腕をとって立たせようとしたとき、マンションのドアが開く音がした。
それから、パタパタと走ってくるスリッパの音。
「ごめ〜ん、遅くなっちゃっ・・・・え、鳴人、どうしたの!大丈夫!?」
声の主は彼女さんだった。
手にはいっぱいの食材が入ったビニール袋を抱えていたが、それを床に放り投げて駆け寄ってくる。
「・・・夏帆」
「ああもう、熱が上がってる!ほら立って。ごめん健多くん、手かしてくれる?」
「あ・・・はい」
二人で鳴人を抱えようとするが、鳴人は手でそれを拒否した。
「・・・ちょっと眩暈がしただけだ。自分で立てる」
そう言うとゆっくりと立ち上がって、ダイニングテーブルに手をついた。
それを見た彼女さん・・・夏帆さんが、大きなため息をつく。
「おどかさないでよ!もう、ちゃんと座って。なにか栄養のあるモノ作るから」
「いや、飯なら・・・」
やっとという感じで椅子を引きながら、鳴人がキッチンを指差す。
そこにはまだ湯気の立っているお粥があった。
「え?・・・あれ、もしかして健多くん作ってくれたの?すごーい!じゃあ私が健多くんに夕飯作ろうかな〜」
食べていくでしょ?と微笑みかけてくる夏帆さんに、僕は慌てて首を振る。
「いえ、あの、もう帰りますから」
「健多」
鳴人がこっちを見る。
それでも僕は早くこの場から立ち去りたくて必死だった。
「ホントに。これ以上僕がいても気つかわせちゃうし。な・・・藍崎さんもゆっくり休んで。じゃあ・・・あの、お邪魔しました」
「え〜帰っちゃうの〜?」
唇を尖らせる夏帆さんに笑って頭を下げると、僕は鳴人の顔を見ないようにして急いで部屋を出た。
一階に下がってエントランスを一気に駆け抜け外に出ると、もうすっかり暗くなってしまった空を見上げてため息をつく。
僕は、何をしているんだろう。
呼ばれてもないのに家におしかけて。
そこにはちゃんと彼女さんがいて。
看病するように頼まれたのに、結局なにも役に立てなくて。
元はと言えば、鳴人が体調を崩したのだって僕のせいかもしれない。
僕が、鳴人の仕事の時間を奪ってるから、無理させてしまったのかもしれない。
「なにやってんだろ・・・」
じわ、と涙が滲んできた。
鳴人の部屋にいるときから考えないようにしてきた何かが、一人になって一気に溢れてきた。
こんなところで泣いてちゃいけない。
歯を食いしばると、僕は足取りも重く家に向かったのだった。
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