健多くんシリーズ。(短編) 止まらない。 下校途中、スーツを着た藍崎が反対側の歩道をすれ違った。 ――――止まらない。 すぐに後ろ姿しか見えなくなったが、チャコールグレーの上下といつもとは違うきっちりとした髪型。 心なしか背筋も伸びているような。 声をかけようか迷ったが、藍崎が近くの雑貨屋に消えたのを見て、とりあえず後を追ってみることにした。 まだ夕飯の買い出し前なのでリクエストでも聞いておこうと思ったのだ。 店に入ると藍崎が奥の棚に並べられたマグカップを物色していた。 驚かせてやろうというイタズラ心がムクムクと湧いてきて、静かに後ろから近づく。 「藍崎!」 いきなり声をかけてやったらさすがに何かしら反応を示すかと思ったのに、広い背中はゆっくりとカップを棚に戻して振り返った。 「はい?」 そして振り向いた藍崎の顔に僕は戸惑う。 藍崎………なんだけど、なんかいつもと感じが違う。 いつもよりにこやかだし……こう、毒気が抜けたような…… そうだ。爽やか。いつもは感じられない春風のような爽やかさを体全体から醸し出している。 「あの、何か?」 そう言う声もいつもより少し高い。というか凶悪な感じがしなくて、どことなく柔らかい。 僕が黙ったまましばらくいろいろ考えていると、目の前の爽やかな藍崎は困ったような顔をして、その次の瞬間には眩しいほどの笑顔になった。 「ああ…もしかして鳴人のお友達かな?」 「えっ」 それはもしかしてもしかしなくても、アナタが鳴人じゃないってことデスカ? その疑問はすぐに目の前の藍崎さんが解決してくれた。 「俺は藍崎衛人(ヒロヒト)。鳴人は弟。よく間違えられるんだけど、違った?」 「鳴人に高校生のお友達がいるなんて知らなかったな」 衛人さんに雑貨屋の隣にある喫茶店に誘われ、その場の雰囲気でなんとなくお茶をすることになった。 「あ、友達というか、家庭教師をしてもらってて…僕の兄が鳴人さんの友達で…」 ホントはもっとすごいコトしちゃってます…なんて目の前の人には絶対言えない。 「へえ、家庭教師。なんか意外だな。鳴人がそんなふうに人と関わるなんて」 「え?」 衛人さんは何かにとても驚いたようだ。 意味がよくわからず聞き返すと、彼はミルクティーを一口飲んでもう一度小さく意外だな、と呟いた。 「あの子は昔からあまり他人と関わりを持とうとしなかったから、今でも気に入った人間にしか近づかないんだ……家庭教師は始めてどれくらいになるの?」 「えっと…4ヶ月くらいです。週に3、4回」 「3、4回?そりゃ多いね!ほぼ毎日じゃない!」 「……そうなんです」 だから自由な時間がほとんどなくて困ってるんですお兄さん。 「う〜ん……健多くんはあの子によほど気に入られてるんだね」 あの子、って感じですかねあの男…… まぁお兄さんにとっては弟はいつまでたっても弟なのか。 それにしても。 「気に入られてるなんて、そんなこと全然ないです。いっつも……あの、意地悪するし」 特にあの時とかあの時とかあの時とか。 口に出しては言えませんが。 僕がひっそりとため息をつくと、衛人さんが素敵な笑顔でとんでもないことを口にした。 「ああ、あれは愛情表現だよ。ほら、子どもって好きな子には意地悪したくなるじゃない。そういうところがまだ子どもなんだよ、あの子は」 「す……!?」 クスクス笑いながら言ってますけど、ちょっと今すごいこと言いましたよこの人!? いやまさか……深い意味はない、はず…… しかしそんな僕の願いを衛人さんはさらっと一蹴してくれた。 「え?二人は付き合ってるんじゃないの?」 「ヒイィィッ!!」 ガタンッ! 思わず椅子を蹴り倒して僕は立ち上がった。 ナニ言ってんのこの人!? 「つつつつつつきあってなんかないですっ!!!ていうか僕たちそもそも……っ!!」 男同士だし!と大声で叫びそうになってハッと我に返った。 店の中の視線を一身に集めていることに気づき、慌てて椅子を元に戻す。 危ない危ない……公衆の面前でとんでもないことを口走るところだった……! 「ま、座って」 「………スミマセン」 衛人さんは顔色ひとつ変えない。 なんでこんなに落ち着いてるんだこの人……大人の余裕ってヤツか?それともこの人が特別図太いのか……? 僕が座り直すと、衛人さんは周りを見回して少し身を乗り出してきた。 僕もつられるようにその口元に耳を寄せる。 「……でも、もう手は出された?」 「ヒイィィッ!!」 またとんでもないことを囁かれ、僕はその場で大きくのけぞった。 だからなんてことを言うんだこの人は!?羞恥って言葉を知らないのか!? それともアレか!?アイツの兄弟だからなのか!? 「な!そ、えっ!?」 僕の慌てふためいた姿に衛人さんがヤレヤレといった顔をする。 「やっぱり。それだけ気に入られちゃったらあっという間だったでしょ。まったく……あれほど未成年には手を出すなって言ったのに……あ」 ふう、とため息をついてカップを持った衛人さんがふと僕の背後に目をやった。 「てめえは何をしてんだコラ」 「ギャアアーッ!?」 イヤと言うほど聞き覚えのある低い声。 怖すぎて振り向けないが、すぐ後ろに噂の藍崎鳴人さまがいらっしゃるのは明らかだった。 しかもなんかすっごく不機嫌そうだし! 「人のモン誑かそうってか、衛人」 案の定、視界に現れた恐怖の大魔王さまはチャラチャラと苛立たしげに車の鍵を鳴らしている。 いつものラフな格好に無造作ヘアー。 こうして並んでみると衛人さんとはよく似ててもやっぱり肝心なところが大きく違う。 こっちは見た目も中身も正真正銘の魔王様だ。 「誑かすなんて人聞きの悪い。そこの道を歩いてたら声をかけられてね。お前と間違ったみたいだ」 衛人の言葉に藍崎はさらに眉間のしわを深くした。 「間違ったぁ?いい度胸だな健多」 ぴく、と片眉を器用に跳ね上げる。 「いやだってよく似てて……後ろ姿だったし!」 「全然違うだろうが!俺がこんな年寄りに見えるか!?」 「四年後に同じことが言えるか鳴人」 よく似たふたりが睨み合う。が、片方は目がまったく笑っていない。 「……ま、いい。それより衛人、コイツに変なこと言ってないだろうな?」 「変なこと?…………全然?」 「嘘つくなよ?お前が言わないならコイツを泣かせてでも吐かせるからな、イロイロ苛めて」 「どさくさに紛れて変なこと言うなっ!!」 「………何も言ってないよホント。健多くん頑張って!」 「アンタもあっさり切り捨てるな!!」 なんだこの兄弟!前言撤回!こいつら根っこの部分がそっくりだ! 「じゃあコイツに訊く。健多、車まわしてくるから入り口で待ってろ」 「ひどい……こんなのひどすぎる……!」 足早に出て行く藍崎を見送りながら僕は心の中で泣いたのだった。 「今後一切コイツに近づくの禁止」 店の前で僕たちを見送る衛人さんに藍崎は吐き捨てるように言った。 「でも健多くんは俺に会いたくなるかもよ?」 衛人さんは微笑みかけてくるが、当分は会いたくない人No.1だ。 「コイツが会いたくなるなんてことは万が一にもない。それでも接触したら……そうだな、お前の恋人が成人して手を出せるようになる前にお前たちを別れさせる」 「健多くん、短い間だったけど楽しかったよ。もう会うこともないだろうけど元気でね!」 わざとらしく泣く真似をする衛人さんを残して藍崎は車を急発進させた。 彼らの間に肉親の情というものはあるのか……いや、それ以前に他人を思いやる気持ちがあるのかも疑わしい。 僕はこの数時間で軽い人間不信に陥ってしまったのだった。 止まらない。に続く。 [*前へ][次へ#] [戻る] |