健多くんシリーズ。(短編)
逆らえない。
説明:鬼畜表現後、ド甘
目を覚ますと、太陽はだいぶ高いところにあった。
――――逆らえない。
「……あれ?」
広いベッドの上に藍崎の姿が見えない。
とりあえずシャツとジーンズに着替えて寝室を出てみると、キッチンから食欲をそそるイイ香りが……………………するわけなかった。
「は、だよね」
テーブルの上にはコンビニのサンドイッチと牛乳が置かれている。
なんせあの男は料理がまったくダメなのだ。
温かい朝食なんて期待するだけムダ。
ちょうどお腹も空いてきたので仕方なくテーブルにつくと、サンドイッチの下に挟まれたメモに気づく。
「………腹が減ったら食え。少し出かける。昼には戻る、か」
時計を見てみるともう11時半。
もうすぐ戻ってくるかもしれない。
朝食どころか昼食になってしまったサンドイッチを平らげる。
昨日あれだけ酷使されたカラダは意外にほとんど疲れがとれており、自分の若さにちょっと感動した。
と同時に、藍崎との行為にすっかり慣れてしまったカラダを恨めしくも思う。
暇になったのでテレビを見ていると、玄関が開いた。
「あ、おかえり」
「起きたか。飯、食った?」
「うん。でももっとマシなのがよかった」
「贅沢言うな」
本当はちょっぴり嬉しかったが、黙っておいた。
それにしても、藍崎とのコミュニケーションがだんだんナチュラルになってきている気がする。
慣れとは恐ろしい……
藍崎はソファの上に持っていたロゴ無しの黒い紙袋を放った。
そのままキッチンへ向かい、飲み物を物色しているようだ。
冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを二つのグラスに注いで、ひとつを僕の前に置く。
「あ……ありがと」
「今からプール行くか?」
前置きなく訊かれ、反射的に答えてしまう。
「うん………って、泳ぎに行くの?」
「ああ。近くに温水プールつきの施設がある。俺は週に一度行くんだ」
「へぇ……あ、でも水着ない」
今から取りに帰るのも面倒だし……
「と思って買ってきた」
藍崎はさっきの黒い紙袋の中から、ビニールに包まれた新品の水着を取り出した。
「……行くこと決定だったのかよ」
「当たり前」
さも当然とばかりに水着を寄越してきた。
「着いてから更衣室で着替えればいい」
「うん」
なんだかんだ言って普段とは違う休日に、僕はちょっぴり浮かれてしまっていた。
「うわ!けっこう大きい!」
この街にこんなに大きな運動施設があるなんて知らなかった。
地上三階、地下一階の建物にはテニスコートや体育館、そしてプールが入っている。
さっそく地下の更衣室に向かい水着に着替えようとして………僕は絶叫した。
「ぎゃああああっ!!」
シャッ!
「どうした」
「うわっ!?か、勝手に開けるな!」
個室の更衣室で、隣に入っていた藍崎がいきなりカーテンを開けて顔を覗かせる。
「だからどうしたんだ」
「……………………キ」
とても大声では言えない。
あまりに恥ずかしくて。
「き?」
「…………キスマーク………!」
………泣きたい。
個室につけられた大きな姿見に、着替えようとしていた僕の全身が映っている。
そしてその肌には首から胸、脚、果ては背中といたるところに真っ赤な鬱血が………
「ぶっ」
藍崎が噴き出した。
「笑うな!誰のせいだ、誰の!」
周囲に人がいなくてよかった……こんな会話を聞かれていたら僕は今すぐこの建物の屋上から飛び降りてやる。
そんな僕とは裏腹に、藍崎は楽しそうだ。
「くくっ……いいんじゃねえ?見せてやれよ、くくく、そのエロいカッコ」
「そんなことできるか!」
最悪だ。プールにまで来たのに泳げないなんて!
「もういい。僕待ってるから一人で泳げよ」
「じゃ、お言葉に甘えて。お前はプールサイドで指くわえて見てな」
まだにやにやしながら薄情にもそう言って、藍崎はプールへと向かう。
僕はふてくされたまま、とりあえずパーカーを羽織ってその後を追った。
「あ〜……ヒマ」
休日だからかとても人が多い。特に若い男女が。
彼らは人目をはばかることなく、泳ぎもしないで水際でイチャイチャしている。
その中で平然と泳いでいられる藍崎はスゴイ。
それに毎週泳いでいるだけあって、さすがに速い。
50mがあっという間だ。
僕だって水に入れればそこそこのスピードで泳げるのに………
それにしてもアイツは目立つ。
ここにはたくさんの若い男たちが彼女にイイトコロを見せようと日に焼けた肌を晒しているが、そんな中にいても藍崎は特に目立つ。
大学と家との往復という生活を送っているだけあって肌こそ白い部類に入るが、そのカラダは無駄に引き締まっている。
筋肉もつき過ぎておらず、なにしろあの顔だ。目立たないわけがない。
周囲の男たちがさりげなく藍崎を意識しているのが遠くからでもよくわかる。
そしてそれ以上にたくさんの女性の視線が彼に注がれていた。
少し休憩すればすぐに何人かの女性がさりげなく寄っていって、その度に藍崎が笑いながら遠ざける。
モテ慣れ、ってああいうのを言うのか。
あそこにいる全ての女性にアイツの本性を暴露してやりたい、とひっそりため息をつく。
「……あ」
そんな虚しさ満点の僕の目の前にいつの間にか二人の女性が立っていた。
「ひとり?」
「え、あ、いえ、あの」
いきなり現れた二人組はビキニを着たとてもグラマラスな美女で、そんな人たちに声をかけられたことのない僕の小さな心臓は一瞬縮みあがった。
「髪、濡れてないね。泳がないの?」
なぜか僕の座っている椅子の両サイドに彼女たちは座る。
「あの、ちょっと……」
まさか体中キスマークだらけで服を脱げないんですとも言えず、ただモゴモゴとお茶を濁した。
「ま、いっか。私たちね、この近くの会社で働いてんの。それで今日は泳ぎに来たんだけど、少し疲れちゃって」
「よかったら一緒に何か飲みながらお喋りしない?キミみたいな可愛い子みたことないからすごいびっくり」
「え、でも僕……」
なんて強引なお姉さんたちだ……
僕はすっかり萎縮してしまい、言葉が出てこない。
「ね?奢るし!」
両サイドから覗き込まれ、僕はパニックになる。
今まで声をかけられたことなどなかったから、どんなふうにして断ればいいのかわからない。
(助けて〜!藍崎〜!)
心の中で叫ぶと、ふっと目の前に影が差した。
「健多」
「あ……藍崎」
これまたいつの間にか、藍崎が僕たちの前に立っていた。
それもたった今プールから上がってきたばかりといったびしょ濡れの姿で。
藍崎を見たお姉さんが騒ぎ出す。
「この子のお兄さん!?やだ!こっちはカッコイイ!」
「ね!お兄ちゃんも一緒にお話しようよ!」
キャーキャー勝手にテンションを上げて、一人が僕の手を、もう一人が藍崎の手を掴もうとした。
しかし藍崎はその手を軽く振り払った。
お姉さんたちを見下ろすその瞳にはまるで温かみが感じられない。
これにはさすがのお姉さんたちも怯んだ。
「健多、帰るぞ」
「え、でもまだ来たばっか……」
「いいから」
藍崎が僕の手を掴むと、ちょっと復活したお姉さんの一人がまた僕たちを引き留めようとする。
「ね、いいでしょ?この子は別に私たちと一緒にいてもイイって感じだし!」
「そ、そうそう!」
傍目にも相当意地になってるのがわかる。
僕はどうすればいいのかわからなくて、藍崎とお姉さんを交互に見ていた。
「健多」
「え、いや、その」
「ほら!言って言って!」
お姉さんの期待のこもった眼差しを感じるが、僕は正直、帰りたくて仕方がなかった。
「うわっ」
しかしなにも言わない僕に腹が立ったのか、それとも僕がお姉さんの誘いを断るべきかまだ迷ってると思ったのか、藍崎が僕の襟元を乱暴に掴んできた。
そして勢いよくパーカーをはだけさせた。
…………ん?
ちょっと待て!そこにはたくさんのアレが……!?
「藍崎っ!」
「…………見てみろよお姉さんたち。コレ、誰がつけたと思う?」
ニヤ、といつものいやらしい笑みを浮かべてお姉さんに訊ねる。
「え……………え、え!?」
「やだっ!うそ………」
その意味を悟ったのか、二人とも顔を赤らめて動揺し始めた。
それを見て藍崎が軽く鼻で笑う。
「わかったか?アンタたちの入る隙間はねえんだよ」
行くぞ健多、と僕の腕を掴んで立ち上がらせ、ショックで固まったままの僕を引きずって更衣室へ向かった。
更衣室で車の鍵を渡され、僕は車の中で藍崎が着替えるのを待たされた。
すぐにシャワーを浴びた藍崎がやってきて、無言のままエンジンをかける。
あからさまに不機嫌な様子の藍崎に、僕はマンションに着くまで何も声をかけられなかった。
に続く。
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