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鬼神の如く、という言葉が、不思議とその男には似合わなかった。
その男は、誰よりもためらいなく人を斬った。
ただ、不思議だったのだ。
血なまぐさくて当然なはずのその手は――人殺しに当然ついてくるはずの、生臭さを感じない。
それどころではない。そこには“人間”のようなものすら感じない。
無色透明だ。

その男は誰よりも人を斬ったが、そこに何らかの感慨はないようだった。
ひたすら無感情に人を斬っている。

けれど。
けれどもその男は、決して情に薄いわけではないようなのだ。そのことが、俺にはとても不思議だった。
心を凍らせているわけではない。おそらくは単に自分に対する抑圧だとかそういった戒めが、通常よりも数倍強かっただけだろう。
そう思うようになってからは、その男を見ていることが、この上なく面白くなった。

まるで剣のようで、けれどその人は確かに“人間”。
剣そのものに憧れに近いものを抱いている――剣の如くあろうとしている、

けれどそれは、本当の意味で、ただの人間――


斎藤一は、人でありながら、人をはるかに凌駕して“剣”らしい。
俺にとってある種畏敬すら覚える、ただ人だった。

平隊士がやすやすと声をかけていい人物ではなかったが、彼を上司に持てたことは俺にとって誇らしいことであり、新撰組に居続けることは俺にとっての矜持にすらなっていた。
たとえ敗戦の色濃くなろうとも、斎藤一のそばを離れることは、俺には考えられないことだ。

そんな、ある日のこと。
やすやすと声をかけることも叶わない斎藤一と会話する機会がやってきた。
あれはいつのことだったろう。土方局長を追って山道を歩いていた。どういう訳だったからあたりに人気はなかった――おそらくは偶然斎藤一がふらふらと立ち歩くのが目に入り、気になって後をつけたのだと思う。さてもう少しで町に着くというところで、隊を離れる意図が、俺にはよくわからなかった。だから後を追って、その先で、立ち尽くす斎藤一の背中と、出くわしたのだ。

まず、どうしたのか、と問うたと思う。
ここの峠で、最近とみに人が死んだらしいという噂を聞いていた。皆疲れていたが、この場所だけは早足で通り過ぎたほどだ。血の匂いが漂うような、そんな不気味な道だった。

斎藤一は無言のまま、ただただ立ち尽くしている。




――奇妙なことだった。

まるで“誰も通さない”とでも言いたげに、一振りの剣が、道の中央に、突き刺さっていた。


ボロボロの剣だ。お世辞にも綺麗とは言えない。ただその壮絶さだけが目を引き、背筋を冷やす。どうやったらこんなにも壮絶な有様になるのだと疑問を持つほどの剣だった。
どれだけ人を斬ればこうなるのか。
さぞかし美しかったのであろう刀身は、汚らしい血肉をまとわせて、鈍く、重く、光る。
柄の部分に巻きつけられた包帯には血がにじんでいた。

誰か人が死んだのか。
ひらけた、美しい景色の中で――ただ一つの剣だけが、雄弁だ。その異常性を物語っている。

組長、と、俺はもう一度声をかけた。

「斎藤組長?」
「……、……」

三文字分の空白を置いて、斎藤一は、目を伏せる。何を考えているのかは、わからなかった。

「どうかしましたか。何か異変でも?」
「…、……いや。何でもない」
「何でもない?」

意味のない行動を好む男ではなかったはずだ。
斎藤一は何も言わず、無言でその刀に手をかけた。何をするのかとみていると、その剣をおもむろに引っこ抜いて、目の前にかざす。
ぼろぼろの刀剣は、――ああ、何故だろう。
けれどその時、斎藤一の手の中だと――とてもうつくしいとおもえた。

血にまみれていて当然と思わせる、それは剣としての、儚さだった。

「――いや、なんでもない、訳ではないか」

斎藤一は、その剣の柄に額をこすりつけるようにして――祈るようにして、目を閉じた。
まるで主人に寄り添う猫のような、不思議な親しみを感じさせる動作だった。

少し、驚いた。

斎藤一が、声を発したからだ。
その一言で、誰かに聞いてほしくて声を発しているのだと、理解した。
無駄口を好む男ではない。

俺に、というよりは、誰でもよかったのだろう。
独白のような言葉だった。

「少し、感慨にふけっていた。これ以上にあいつに似合う墓標はないと」
「………墓標?」
「ああ。誰よりも剣らしく生きた男の、墓だ」

それはあなたのことだろう、とは、言えなかった。
斎藤一は誰よりも剣らしい。無感情に人を斬り、それでいて、なぜか血なまぐさいものを感じさせない――人間らしさを感じさせない。

「誰か、人が死んだのですか」
「…そうだろうな」
「――斎藤組長は、この剣の持ち主をご存じで?」
「ああ」

意味のない言葉のやり取り。そう感じたのは、俺にはどうも、ここが“墓標”とは思えなかったからだ。道の中央に一振りの剣が突き立っていた。ただそれだけ。
けれど斎藤一にとってその風景は、墓標に見えるらしい。

「(誰が死んだのか、俺は知らない)」

斎藤一にとって特別な誰かがこの場所で戦って死んだのだろうか。
だとしたら、誰なのだ?
斎藤一よりも剣らしい男など俺は知らない。

俺にとってはあんたこそが剣そのものなのだ。
なのにその斎藤一が、よりにもよって自分よりも“剣”らしいと口にする。
頭を殴られたような、とまではいかなくても――それは周囲からわずかに空気が逃げていくような、息苦しさをもたらすものだった。

斎藤一は、静かに続ける。

「もしもあの男が、新撰組の刀でなかったならば。たった一振りのこの刀が、あの男の遺したものだなどと、俺が悟ることはなかっただろう。そのことを誇りに思う」

ぼろぼろの、汚らしい刀身を撫でながら――誰よりも剣らしい男が、まるで人間のような顔をしていた。
痛みを訴えるような声。表情。

斎藤一は、ただ単純に人の死を悼んでいるのではない。自分の身体が半分なくなってしまったかのような虚無感と闘っているのだ。
今は無くなってしまった何かと出会えたかのような安堵と、“無くなってしまった”こと自体がもたらす絶望と。

「(まるで恋しいと泣いているようだ)」

少なくとも俺にはそう聞こえた。
まるで自分の半身を失ってしまったかのような。
人でありながら剣であり続けることの矛盾を、それと肯定しながら、斎藤一はその剣に触れる。

「どうするのですか」
「連れ帰る」
「…そのボロボロの刀を?」
「ああ。あんたは知らないだろうが、あれはずいぶんと寂しがりだったんだ」

まるで刀を人間のように扱い、斎藤一は、初めて俺に笑みを見せ、

「このことは、他言無用で頼む」

そういって背を向けた。














――その後、会津に残ると言って斎藤一は土方局長の傍を離れた。
斎藤一の決断にいかほどの重荷があったのかはわからない。
自分の心の内をやすやすと話すような、そんな男ではない。俺たちには斎藤一のことなど、何一つわからないままだった。



ただそれでも、俺だけが、わかることもあった。



斎藤一は誰よりも剣らしい。
けれど確かに人間だ。
死に対する恐怖もあるだろう。死にゆく部下たちに何の感慨も持てぬほど薄情な男ではない。
この戦いは、彼にとっても、きっと苦しいものになる。

それでも斎藤一はためらわないだろう。誰よりも剣らしい人間だから。
そのただ一つの誇りのため、自らの矜持を守るために。
終わりのない夢を見続けるために、この男は決して、――揺るぎはしないのだ。

今から死に戦が始まるというのに、こうまで凛々しく、名乗りを上げることができる人間がいったいどれほどいると言うのか。
俺たちの組長を俺たちは誇りに思っている。





…ああ、そうか。


ふと、得心が言った。
斎藤一が掲げるその誇りの形を、――その鈍った血の色を――俺だけが知っている。

目の錯覚かもしれない。それでもいい。

ほら、斎藤一の掲げた刃は、あの日あの場所で誰よりも剣らしく折れた男の忘れ形見ではないか。


「(ああそうだ、ただ一人だけだ。ほんとうに、一人だけだった。俺は話にしか知らない。俺が入隊する前、いつだって斎藤一の右隣にいた――名前は、)」











戦場の喧騒は哀愁を即座に叩き斬る。

乱れていく人員と響かう怒号に身を任せながら、俺は、斎藤一のそのあとに残るであろうただ一振りの刀のことを、考えていた。









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あきゅろす。
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