隻眼狼 Rumore 軍帽を目深にし、雨の中を走っていく。 風で横殴りの雨に視界が霞んでいる。決して良い状態ではない視界の先に、目的の建物が見えてきた。 周囲とかけ離れた規模の、白塗りの壁に黒い柵で囲われた建物は、全部の窓に鉄格子が填められている。 門にはこの悪天候にも関わらず二人の兵士が銃剣を手に立っていた。雨用の外套を羽織り、強風によろけつつも踏ん張って見張りをしている。 こんな日くらい、門番の当番を無しにしてやっても良いだろうにとジョアンは思った。 「ジョアン大佐!お疲れ様です…!」 強風で、叫ぶ勢いで声を出さないと会話が出来ない。 敬礼し、門を通り抜けて宿舎の扉を開けた。 廊下には疎らに非番の兵士達が立ち話をしていたりするが、それでも外とは正反対に静かな空間。 「ふぅ……」 軍帽と外套を脱ぐ。軽く水気を払い、脇に抱えて目の前にある階段を上がる。 階段の壁には古い軍旗が貼り付けられており、所々に変色した血の痕も見え、全体的に色褪せたそれは遠くからでも古さを伺える。 戦神カリエールの横向のシルエットに、銃剣が斜めに被るように描かれている軍旗を通り過ぎてジョアンは二階へ辿り着く。階段を上がりきると左右に延びる廊下の向こうに渡り廊下が真っ直ぐあり、別の建物とを繋いでいる。 今ジョアンが居るのは伍長から下の兵士が使っている宿舎で、渡り廊下の先がそれ以上の階級が使っている宿舎である。それぞれの宿舎は五階まであり、こちらの宿舎は一部屋に六人ずつ振り分けられている。 階級が上に行くと一人部屋が割り当てられるようになるが、部屋の備品等は平等。 例外は軍のトップに立つ大将だけだ。ミレヴェ軍には他の軍のように元帥という階級が無く、大将が元帥と同じ役割を持っている形式になるらしい。 渡り廊下を通り抜けると、向こうの宿舎とは違って廊下は無人。しん、と静まり返った廊下にはジョアンの足音しか響かない。 階段を最上階の五階まで上がっていく。 最上階には将官の位にいる者だけで、部屋の扉も他と少し違い、申し訳程度だが彫刻が施されている。 階級を上がりきり、左右に延びる廊下の左を行く。突き当たりの部屋が目的の人物の部屋である。 「…………」 ジョアンは一旦、扉の前で深呼吸し、それからノックした。 「失礼します」 相手の返事を待たずに開ける。 あんな手紙を寄越してきたのだ、中に居ることは確実。 「意外に来るの早かったな」 扉を開けた先に、窓を背にして椅子に腰掛け、机に積み上がった紙に目を通している男が一人。襟足を長く伸ばした銀髪を一本に括り、鷲のような黄色い瞳を持った男はミレヴェ軍の最高位に立つ大将デュリオ・バッカレラ。 ジョアンは上官であるこの男が苦手だ。 「他にも作業があって仕事を早めに切り上げたので。それより、あの手紙は何ですか」 「文字通りに解釈してもらって構わない」 ジョアンに一切視線を向けず、手元の紙に視線を落としたまま答える。 「きちんとした説明をして頂きたい。ルドヴィーコ義勇軍と組めとはどういうことです?あのような集団は信用出来ません。しかも……、」 ぎりっ、と奥歯を噛みしめてから言った。 「アーサー・ウルフガングを始末するためだけに、そんな事をする必要が解りません」 ジョアンの言葉にデュリオは口元に笑みを浮かべ、視線を紙からジョアンへと移した。 「アイツを始末することに関しては異議を唱えないのか?ジョアン大佐。仮にも、君の元上官だ。随分と世話になっただろう?君の才能を見出して部隊に引き入れたのもアイツだ」 「法に背いたからには、元上官といえど私情は挟みません」 「真面目だな、君は。本当、馬鹿な程真面目だよ」 くつくつとデュリオは笑う。 「いけませんか?」 「いや、真面目なのは大いに結構。だがな、ジョアン大佐。その真面目さが命取りになることもある。加減を忘れるな」 「解っています。大将、まだ質問に答えて頂いていません」 「あぁ、そうだったな」 手にしていた紙を放り、両肘を突いて顎を組んだ手に乗せる。 「アイツを指名手配にしてからどのくらい経った?目撃情報すらまともなものが挙がってこない。衛兵が中々、アイツを見つけられないのは範囲が狭いからだろう。そうなると、街の隅から隅まで知っている奴が必要だ」 「それでルドヴィーコ義勇軍とは、少々安易な策ですね」 「そうか?君の言う安易な策のお陰で、アイツをあの街の中から炙り出すことが出来た。噂を聞いただろう?ジョアン大佐。リューベン通り付近で青年を殺害」 デュリオは立ち上がり、ジョアンの横に立つ。 「えぇ、部下から聞きました」 立ち上がって横に来るまでのデュリオの動きを目で追いながら答えた。 「殺された青年はルドヴィーコの下っ端だ。彼らのお陰でアイツを見つけられた。これでもルドヴィーコとは組めないと言うか?」 視線をジョアンに向ける。 ふ、と小さくジョアンは息を吐いた。どんな理由があっても、上官には逆らえない。それに、結果を出したのだから安易と見た策は強ち外れではない。となれば、利用する価値は上がる。 「………、わかりました。指示に従います」 「それでは、彼らに連絡を取ることにしよう。後で君の方へ伝える」 ジョアンはデュリオの部屋を後にし、また静かな廊下を歩いていく。そのまま、自分に割り当てられた部屋に向かった。 部屋は三階にある。階段を降りていると、ジョアンとは反対に階段を上がってくる人物が一人。 「ジョアン大佐、久し振りだな。クレオールの件は順調かい?」 赤毛に緑色の瞳がジョアンを捉える。 「えぇ、第一段階が終了したので一旦、兵を呼び戻しています」 「そうか。君のところのやり方はえげつなくて、敵に回したくないね本当に」 「貴方の方がえげつないと思いますけどね、ゲゼル中将。死体にすら、念を入れて頭部に銃弾を撃ち込んでいるじゃないですか」 それも二発。 「死んだふりなんてざらにあることだからな。可能性は全て試さないと」 にっこりと、キースのような笑みを浮かべる。しかし、雰囲気は全く違って嫌な笑みだ。どちらかと言えば先程まで会っていたデュリオと似ている。 「二発撃つのは、当たり所が運良ければ生きているなんて例があるからその可能性を潰すため。実際に、私の部隊で起きたしね。部下の一人が頭に一発食らったのに、銃弾は貫通せず」 そのまま帰ってきた。 「確かに、それなら可能性を潰すべきですね」 「だろう?君のところも、やったら?」 もっとえげつなくなるだろうけど。 くすくすと笑い、ジョアンの横を通り過ぎてそのまま上へ上がっていった。 ゲゼルが居なくなり、また一人になる。さっさと部屋に行ってしまおう。 部屋に着くなりすぐに軍帽と外套を机に放り、上着も脱いで放った。 ドサッとベッドに寝転がって天井を眺める。 明日するべきことを頭に巡らせた。キースに頼んで呼び戻した兵は明後日以降に着くはずだ。天候が回復していれば、明日はいつも通り訓練所に引き籠もることになる。 「兵が戻ったら軍議だな」 右腕で視界を塞ぐ。ふ、と息を吐いて、このまま寝てしまおうと思った。 今日は色々と情報が入り過ぎた。整理しなければならない。 外は雨足が弱まる気配は無く、雷鳴は鳴り止むことを知らないらしい。 あぁ頼む。 早く静まってくれ、 耳障りだ。 ______ [次へ#] [戻る] |