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隻眼狼
Rompiscatole-V





水路を横目に足早に突き進む。
潮の香りと、柑橘類の仄かな香り。水路の脇に植えられた樹木には山吹色の果実が生り、葉がさらさらと揺れている。
なんとか気付かれることなく職人街まで辿り着いた。ふ、と背後に視線をやれば、ギラードの姿がある。
「いつまでついてくるつもりだ」
「最近ぱっとする情報が無いから、暇潰しに隻眼の一匹狼を観察しようかと思ってね」
「……ふん」
アーサーは水路の桟橋に下りて、停めてあった小舟に乗り込む。そして櫂をギラードに投げ渡した。
「漕げ」
そう言い放つと、どかっと座る。数秒程、目を丸くしたギラードはアーサーに睨まれ、わたわたと小舟に乗り込み、渡された櫂を持ち直して漕ぎ出した。
「何処へ向かえば良いんだい?」
「適当に漕げ」
「えぇー…」
そんな無茶苦茶なことを。
「ある程度行ったら、追って指示してやるよ」
それまで適当にやれ。
アーサーはそれ以降、無言で舳先につけられたカリエールの後ろ姿を見つめていた。
ヘリオドール海へと注がれる、空の色を呑み込んだ紺碧の水面。透き通ったそれは眼下に蒼の世界を見せ、静かに波紋を受け止めている。時折、魚の影をちらつかせた。
櫂を漕ぐ音と波の音。緩やかな風が水路を吹き抜けて涼しい空気に纏われる。そして仄かな香りを漂わせていた潮と柑橘類の香りが強まった。
静かな雰囲気が少しだけ賑やかになってきた。小舟はバイカラ市場に入り、商人達の小舟の合間を縫う。果実を乗せた小舟のところで、アーサーは銀製の硬貨――レッラ硬貨を商人へ向かって親指で弾き渡した。
レッラ硬貨は弧を描いて商人の傍らに置かれた籠に入る。今度は商人から果実がひとつ投げ渡された。片手で受け取ると一口かじる。甘酸っぱい果汁が口内に広がり、口元を僅かに滴った。
「自分だけ狡いなぁ」
「てめぇの物はてめぇで得ろって言葉があんだろ」
「聞いたこと無いよ」
ギラードの櫂の操作によって水路を時折曲がったりしながら二人を乗せた小舟は,職人街から住宅街へと入っていく。此処まで来ると、賑わいは一層増した。
水路の左右は人が忙しなく行き交い、荷物を抱えて歩いている者や荷物を馬に乗せて引っ張っている者がいる。
「おい、インフォルマトーレ」
果実を咀嚼し、飲み込んでから正面を向いたままアーサーは言った。
「リューベン通りに行け」
「逆方向じゃないか」
早めに言ってよ。
「煩ぇ、黙って漕げ」
そう言って、もう一口かじる。
「はいはい」
ギラードは小舟を半回転させて方向を変えた。途中まで来た道を通り、チェルニッリ通りと書かれた看板が水路に掛かったところを曲がった。そこを真っ直ぐ行った先がリューベン通りの水路だ。
「リューベン通りに着いたら降りる。適当な桟橋に着けろ」
ギラードが小舟を桟橋に寄せる頃には、手にしていた果実は綺麗に無くなっていた。
小舟をロープで桟橋に括りつける。アーサーは煙草に火をつけて、用済みになったマッチを放り投げた。歩道に上がり、脇道へ入っていく。少し静かな空間に入り込んだ感じで、人の姿も疎らである。
遅れてついて来たギラードはきょろきょろと見回した。
「こんなところに何の用があるんだい」
住宅街の脇道は、入ったら何も無いところだ。建物の壁と通気用の窓があるだけの。
誰か知り合いに会うのだろうか。自分の持つ情報に、この辺りに関する事項は浮かばない。
「数々のインフォルマトーレにすら存在を露呈しない武器商人」
「そんなお得な情報を僕に言って良いのかい?早速メモしちゃうよ?」
「出来るもんならな」

















「あら、お久しぶりね。ずっとほったらかしで嫌われちゃったかと思ったわ」
随分じゃない?
「入り用って程、騒がしい訳じゃなかったんだ。わりぃな」
「じゃあ、今度埋め合わせしてくれる?」
そう言いながら金髪の毛先をくるくると指で弄る目の前の女。口元に黒子があり、赤いルージュが目立つ。
二人が入った建物は普通の集合民家で、壁や床は白塗りで清潔感のある建物だ。それの最上階の一室に居る。扉を開ければすぐに革張りのソファーが低いテーブルを囲むように配置されているのが目に入った。そこに、美人の部類に入るであろう女がティーカップを傾けて座っていたのだ。
アーサーは女の向かいに座り、咬えていた煙草を口から取る。
「お望みのままに、スィニョーラ・ルチア」
「あらやだ。スィニョーラ(お嬢さん)なんて、私もうそんな歳じゃなくってよ」
くすくす笑うその女――ルチアは、つぃっと視線をアーサーの後ろに立っていたギラードに向けた。
「インフォルマトーレを連れているなんて、妬いちゃうじゃない。それに、皆には内緒にしておいてって言ったのに」
忙しいの嫌いなのよ?
「何で、僕がインフォルマトーレだと…?」
まだ何も発言していないのに。
そう疑問を投げれば、ルチアは深い笑みを浮かべた。
「だってあなた、人殺しの眼じゃないんだもの。アーサーが人を傍に置くのは、何かを知っている人だから」
ただそれだけよ。
そう言うとアーサーに視線を戻した。
「今日は何の用で来たの?」
「何処の何奴か知らねぇが、俺の根城を衛兵に知らせやがったんでな。一時避難だ。それと、商談の話もしたい」
「まぁ嬉しいわぁ!私を頼ってくれて」
にこにこして言う。そして立ち上がると、背後の窓際に置かれている引き出しから一枚の紙を取り出して持ってきた。
ひょいとアーサーの後ろから覗き込めば、箇条書きされた文字。字を追っていくと、弾丸の種類とか……色々。そうか、武器商人ってアーサーは言っていたもんな。
ルチアはアーサーが選んだ項目にに印を付けていく。
「今すぐに必要?」
首を横に振り、持っていた煙草を再び口に咬える。ゆらゆらと紫煙を燻らし、眼を閉じた。
「前金にサルヴァ紙幣を五十枚、受け渡しの時に更に三百枚ね。あ、でもー」
口元に人差し指をやり、少し考える表情を見せて、
「アーサーはお得意さんだし、私を頼ってくれたからおまけしちゃおっかな!受け渡しの時は二百枚で良いわ」
「時々、顔は出してみるもんだな」
背もたれに寄りかかる。
「毎日来ても良いわよ」
「そりゃお断りだ」
「あら酷い」
またくすくすと笑う。
アーサーは持ってきていた小さな鞄から札束を取り出し、テーブルに放り投げた。
「前金五十サルヴァ」
「はーい、有り難う。それで、今夜の寝床はどうするの?」
「別に考えてねぇが……」
「部屋なら空いているわよ。家賃滞納で追い出したから」
「また追い出したのか」
「滞納は駄目よー。さ、これが鍵。私の部屋のお向かいさん」
それとも、私の部屋使う?
にやにやしながら鍵を目の前で揺らす。
「鍵を寄越せ」
ルチアから鍵を奪い取り、部屋番号を見た。







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