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第二章
07 再会



――夕刻。
その日の鍛錬も終わり、訪れたほんのひと時の休息。
思わず向いた足に、しかし政宗は抗うでもなくその場所へと向かった。
やがて見えた、蔵の裏の階段にそっと腰を下ろす。何気なく隣を見る。以前ならこの場所にいた柊の顔を鮮明に思い出す。



義俊からの文を読み終え、大方の事情を把握した。居場所も、大体だが見当がついた。
――だが。
きっと、あの文が無くたって、たとえ柊の居場所さえ分からなくても、俺はきっと彼女を探しに行ったのだろう。
その結果は変わらないと確信できる。



気づくといつの間にか、黒猫が目の前に現れ、政宗の顔をじっと見つめていた。成実が『ひな』と名付けた猫だ。
こちらは飼っているつもりは毛頭ないが、女中も可愛がって餌をあげてやるものだから、今ではすっかり城にいついている。
そういえば、柊もよく、魚の煮干しなどをあげていた。



ヒュウっと口笛を吹き、こちらに来るようトントンと石階段を指で小突く。
ひなはその指の動きに魅かれたのか、黄色い目を丸くして尻尾を立てながら階段を音もなく駆け上がってきた。
お目当ての指に微かに鼻で触れると、それでもう満足したのか、はたまた興味がなくなったのかすぐにそっぽを向いた。
しかしどこに行こうとするわけではなく、政宗の隣に並んで腰を下ろした。


「お前も寂しいか?」


声をかけてみれば、耳をパタパタっとさせるだけだったが、その仕草に妙な何かを感じた。


「寂しいか?」


もう一度声をかけてみると、どこかご機嫌ななめな黄色の瞳が政宗を睨む。
奥州筆頭伊達政宗を睨むとは、いい度胸をしている。しかしそれで答えはわかった。


「とっとと迎えにいかなきゃな。――あいつと前、そういう約束をした」


階段から立ち上がった政宗に続いて、ひなも腰を上げる。


「言っとくが、お前のためじゃねぇ。俺のためだ」


そんなことを言えば、今度こそひなはそっぽを向いてどこかへ歩いて消えた。














―――ポタッ。

どこかで滴の落ちる音が聞こえた気がした。
規則的に響くその音色に導かれるように柊は意識を取り戻した。
そこは簾に四方を囲まれた寝室のようだった。布団が明らかに上質なもので、肌にまとわりつくようで、なんだか落ち着つかない布団だと思った。
布団から起き上がると自分の体は白の着物に身を包まれていた。下ろされた髪にはっとなりあたりを見渡す。


「――簪が、ない」


政宗から貰った朱色の簪はどこを見てもなかった。ここに連れてこられる間に無くしてしまったのだろうか。
それともここの住人に、着替えをする時にでも一緒に取り上げられてしまったのだろうか。


「お目覚めでございますか」


突然聞こえた声に、柊の心臓はひっくり返った。
反射的に声のした方に体を向けると、襖を開けて女が腰を下ろしていた。
一見した限りでは、年は柊と近そうだった。
しかしやけに覇気がない。顔色は白く、今にも倒れてしまいそうに見えた。


「お着替えのお手伝いをさせていただきます」


スルスルと着物を引きずりながら柊に近づき、やがて紺色の着物を柊の肩にかけた。
近づかれて驚いた。――本来、人間なら誰しもが纏っている気配が、この人には全く感じられない。
かといって、意識して気配を消しているのであればあまりにも無防備すぎた。ただ単純に、『生きる力』が全くないのだ。まるで操り人形のように。


「――あなた、名前はなんというの?」


問うた柊に、その娘はまるで、名前というのがなんなのかさえ分からないとでも言うように小さく首を傾げた。相変わらずの無表情で。


それからは柊も口をつぐみ、されるがままに着替えを終えた。紺色の、ところどころに白の蓮が施された綺麗な着物だった。
丁寧に髪をすき、ふと手元に置かれた小さな鏡をみれば、どこか自分ではないような寂しい感覚に心がざわついた。
なぜだろうと考えを巡らせてすぐに思い当った。
――政宗さまからいただいた、簪がないからだ。
探そうと思うにも、おそらくこの娘に聞いても「分からない」と言われるだろう。
察するに、何者かが術で操っているのだろう、うまく隠しているようだが邪悪な気配が娘の後ろから霧のように薄く、しかしはっきりと感じられる。
――見張られている。今は下手に動くのは得策ではない。


一通り支度が済むと、扉からまた別の娘の声が聞こえた。この娘にも同じように気配が全く感じられなかった。


「姫さま、お迎えに上がりました」


姫さま、と呼ばれ、柊は隠すこともせずに顔を歪めた。
――城を出た瞬間から、後戻りするなんて考えは一切捨てた。
目の前にただまっすぐに伸びる一本道を、私はもう引き返すことはしない。そう心に誓っている。
『姫さま』と呼ばれたということは、これで完全に柊は伊達軍の『敵』となった。
突きつけられた現実に、いくら頭で理解はしていても心が追い付いているわけではなかった。
そんな自分の心の弱さに、心底嫌気が差したのだった。


娘について、蝋燭の一本一本で照らす薄暗い廊下へと足を運ぶ。
廊下に出た瞬間、一気に柊の額から脂汗が噴出した。


この、廊下は――。
幼い頃に、その廊下を歩くたびに柊は泣きそうになるのを必死で堪えていた。
母上の部屋へと向かう、廊下だった。
薄暗い廊下の向こうに、わずかに見える部屋。そのさらに奥に簾がかかっており、その向こうに母上がいる。
柊は表情に出さないように、必死に力を込める。――もう私は、逃げることも隠れることもしない。


「――ぐっ・・・!」


突然、右腕が激しく痛みだした。痛みの度合いは、風魔が奇襲をかけてくる前の痛みと非常に似ていた。
部屋に近づくにつれ、その痛みは増していく。痛みに堪えることに必死に意識を集中していれば、いつの間にかもう部屋の前についていた。
前を歩いていた娘は部屋の隅へと下がり、あとには入口には柊のみが残された。
膝をおろし、頭を垂れる。


「・・・・・・・ただ今、戻りました。――母上・・・・」
「もう少し、近こう寄れ」


簾の向こうから、そのほの暗い部屋の空気とはとても似合わない、透き通る声が聞こえた。
記憶の中のそれとは多少、年月を経てかすれているように思えたが聞き間違いようもなく母上の声だった。
震える体を必死に抑えながら、柊は簾の真ん前へと再度腰を下ろす。
ほう・・・っとため息のような息遣いが聞こえ、ついで扇子をぱちんと閉じる音がした。
それはまるで流れるような、聞きほれてしまうほど艶やかな音だった。


その音が、柊の頭の中でぼんやりと、ゆっくり染み込むように響く。
その時だった。突然目の前の簾が乱暴にまくり上げられ、次いで小さな衝撃が柊を包む。
――抱きしめられていた。誰に?そんなの、ひとりしかいなかった。


なんて、細い腕なんだろう、と思った。なんて、薄っぺらな体なんだろう、と思った。


「雨音、雨音・・・、ようやく、ようやく会えた・・・!ああ、愛しい子・・・!」


――こんなに、この人は頼りない人だったっけ。
柊を必死に抱きしめようとする母の腕はあまりにも細くて、柊が少しでも振りほどこうと力を籠めれば、いとも簡単に折れてしまうように思えた。
だからこそ、柊はどうにもできずに、ただただ枝のようなそれに包まれるしかなかった。



やがて気持ちの高ぶりが納まったのか、するりと柊から離れた母はその、先の見えない暗い瞳で柊を見つめた。
体が強張るのを感じた。


「――雨音。わかりきっておることではあるが、念のために問うておこう。――そなたの、戻ってきた理由を」
「一時は記憶を無くし途方に迷っていた私ですが、こうして記憶を取り戻し、母上の元へ戻りました。この力を、母上の悲願の助力のために捧げるために――」


痩せ細った瞼から、やけに鈍く光を灯す瞳が見開かれた。


「その言葉、努々忘れるでないぞ。我ら一族の名誉のためにも」
「――もちろんでございます」
「それならよい。追々沙汰をくだす。――今は体を休め、十分にその力を蓄えよ」
「――はい」

部屋を後にし、また先ほどの部屋へと戻った。








久々の更新です・・・。


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あきゅろす。
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