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第一章
31 disappears in the sound of raindrops(3)





そのとき、一滴の雨が
雨音の姿を跡形もなく消し去るように零れた










ふたりで布団に包まって寝ることに随分慣れた頃だった。真夜中に、雨音が抜け出すことが度々あった。
しかし寝ぼけ眼の俺は、厠だろうと思って再び瞼を閉じる、そんな繰り返しだった。


それが雨音の、助けを求める微かな信号だったことにも気づかずに。








その日は父上が俺たちのところに来てくれる日だった。
朝から二人とも浮き足立っており、朝餉を食べているときは小十郎に「もっと大人しく食べられないのですか」と怒られてしまうほどだった。
朝餉を早々に済まし、ふたりで中庭にでて遊んでいると離れたところから父上の声が聞こえた。


「父上!」


そう叫んで、俺は父上の傍に駆け寄った。
雨音もいつもなら、俺のすぐ後ろに続いて走ってくるはずだった。

――なのに。


「雨音!」


父上が驚いたように、俺の後ろに駆け寄る。
つられて俺も、すぐに後ろを振り向く。そこには。


「雨音!! どうした!?」


右腕を押さえてうずくまる雨音の姿が目に映った。父上が雨音を抱きとめるように支えていた。
父上の腕に隠れた雨音の顔は見えず、ただ苦しそうな声だけが途切れ途切れに聞こえた。


「雨音! 雨音! しっかりしろ!! 父上、雨音が・・・・!」


父上の側近が雨音を抱えた父上を、縁側の方へ運ばせるように促す。そして医師を呼びに走っていった。
俺はただひたすらに右腕を押さえ痛みに耐える雨音に声をかけることしかできなかった。


少しして医師が側近と共に駆けてきた。
医師は雨音を抱きかかえると父上と共に近くの部屋へと入っていき、混乱状態だった俺は側近に抑えられ、部屋に入ることを諦めざるを得なかった。




どれほど経っただろうか。
いつの間にか空気はひんやりとして、辺りに陰りがさし始めていた。
雨音が治療を受けている間、側近と後に来た小十郎、成実が共にいてくれたが、頭を過ぎる嫌な予感に上手く会話を紡ぐことはできなかった。



――このまま、雨音と遊べなくなったら、どうしよう。



今考えれば自分勝手な心配だった。
けれどもまだ幼い俺は、心の拠り所と言っても過言ではない雨音が消えてしまう気がして、それが恐ろしかった。
閉ざされた襖が開き、医師は俺と目が合うとゆっくりと笑った。
その表情にざわついていた心がようやく落ち着いていくのを感じた。


部屋の中へ駆け寄っていくと、父上のすぐ隣で落ち着いたように眠っている雨音の姿があった。
「雨音」と言葉を紡げば、自分でも制御ができないくらいに大きな声が出てしまいそうだったので、発さないように口に力をこめる。
それを悟ったように、父上が俺に優しく笑いかけた。





やがて父上は執務のために部屋を後にし、小十郎と成実そして俺の三人で、雨音が目を覚ますのを待った。
医師の話によれば、痛みから来た疲労のために眠っているとのことだったので、暫くすれば目を覚ますだとうとのことだった。
痛みの元凶と思われる右腕に、何か怪我でもしているのかと医師に問えば、
「怪我をしているわけではありません。――もっと、“深い”ものです」そう言った。
その言葉の真意がわからなかったし、医師もそれ以上はなにも言おうとはしなかった。











「・・・ん」


雫が落ちたように、その小さな声に頭の中はしんっと動きを止めた。


「――っ、雨音っ・・・!?」


一瞬の間に弾かれたように雨音の顔をさらに近くで覗き込めば、瞼が微かに揺れ、やがて開かれる。
傍にいた小十郎や成実も、咄嗟に雨音へと顔を近づける。


「雨音、わかる!? 俺だよっ・・・」
「・・・藤次郎」


擦れた声は、確かに俺の名を呼んだ。


「医師を呼んできます」


そう言って小十郎は駆け足で部屋を出て行った。
雨音は少し視線を宙に浮かせたあと、まるで何もかもを悟ったように擦れた溜息をついた。


「藤次郎・・・、ごめんね。迷惑、かけちゃったね」
「うるさい! ・・・迷惑なんかじゃない。もっと・・・、頼ってくれ」


「――ありがとう」


その時、泣きそうな笑顔の雨音が、いやに瞼の奥に焼きついた。







それから数日後。
まるであの日の出来事など消し去ったかのように、もとの日常に雨音は溶け込んでいた。
そのせいか、俺は改めて右腕のことを聞くことができずにいた。
薄々、雨音がその話題になるのを避けているようにしていたことにも気づいていた。
雨音自身が、あの日の出来事を消し去ろうとしていた。




「藤次郎、藤次郎! 起きて起きて!」


その日の朝、雨音の甲高い声が不透明な俺の意識の中に響くように聞こえてきて、眩しい視界に瞼を僅かに開ける。
その後も何度か名前を呼ばれ、ようやく体を起こせば今度は腕を引っ張られた。


「ど、どうしたんだよ雨音・・・」


擦れる声に咳払いをすれば、雨音はなかなか動かない俺に拗ねたように言った。


「いいから、外に出ればわかるから!」


なにが?という質問はさせてくれなかった。
ぐいぐい引っ張られる腕に俺もようやく腰を上げてついていく。
機嫌を取り戻したように笑顔を向け、そして勢いよく襖を開ける。


「ほら、あれ!」


雨音が指差した方を見れば、そこには。


「・・・桜?」


蕾から開いた淡い桃色の花がポツポツと、木を彩っていた。


「そう! 蕾が大分膨らんでいたから、そろそろ咲くかなって思ってたんだけど、――今日起きて見たら咲いてたの!」


本当に嬉しそうに、雨音はそう言った。


「・・・春、だね」


まだ少しばかり頭がぼやけているせいで、そんな事しか言えなかった。
けれども雨音はその言葉にすら嬉しそうに答えた。


「うん、春だね! 嬉しいなぁ。これからどんどん花咲いてくね!」
「桜、好きなのか?」
「うん、お花の中で一番好き。季節の、境目に咲くでしょう?綺麗だし、なんだか見ているだけで嬉しい気持ちになれる」


愛おしむように、僅かに花をつけた桜の木を眺める。


「それに、藤次郎とこうしてみることができたから、もっと好き!」


桜を見るのと同じ顔で、そんな事を言うから、赤くなる顔を俺は隠せなかった。
――不意打ち、だ。
それを本人は気づいてるのかいないのか、確かめようもなかったが。


「・・・本当に、藤次郎と見れてよかった」


そう言う雨音の顔を横目で見れば、どこか悲しそうな、寂しそうな、――今にも泣きそうな顔をしていたから、思わず雨音の腕を掴んだ。
雨音は驚いたように俺を見たけれど、すぐにその顔は笑顔へと変わった。








――そうして、その日の夕刻。
小十郎と剣術の稽古をして、部屋へ戻ったときには、すでに雨音は姿を消していた。




小十郎や成実、数名の人家、そして父上も共に雨音を探した。
俺は城から出ることを許されなかった。
夜通し捜索し、次の日の朝聞かされたその報告に、俺はただただ泣き叫ぶことしかできなかった。



――雨音は崖から落ちて、死んだ、と。



昨夜から降り続く雨の中に、雨音は消えてしまったのだと思った。













政宗過去編でした!
管理人としては政宗パパと側近の話を書きたくてうずうずしてます


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