[携帯モード] [URL送信]

第一章
29 disappears in the sound of raindrops(1)




それは変化のない日々だった。
一日に言葉を交わす回数はいつも同じ。指折りで数えられる程度。
このままではいつか、声が出なくなるんじゃないかと、やけに冷静に心配していた。






disappears in the sound of raindrops.
(雨の音に消える)






5歳のとき俺は疱瘡を患い、右目を失った。
母上は俺の醜くなった姿に嘆き、いつの間にか遠くへと離れていってしまった。
一方の父上はそんな俺の姿に変わらぬ愛情を注いでくれたが、執務に追われる日々だったため、会うことは滅多に叶わなかった。 


人家にも忌み嫌われ、ひとりになった俺のそばにいつも居てくれたのは小十郎と成実だけだった。
ふたりは塞ぎ込んだ俺を励まそうと、いつも手製の菓子やら散歩へと連れ立とうとしてくれたが、
そのときの俺にはふたりの優しさを受け止める余裕すらなかった。


部屋の外へと出れば、人の目が嫌というほど気になる。
蔑んだ目、好奇な目、哀れみの目。
自然、俺は部屋に篭りがちとなっていた。


そんな時だった。――雨音が城へとやってきたのは。
いや、正確には担ぎ込まれた、というほうが正しい。


父上が所用から城へ帰ってくる道中、森で倒れている幼い女子を見つけたのだ。
そのときの父上の心情は恐らく、大きな好奇心とちょっとの心配心だったのだろう。
小さな平穏よりも、大きな変化こそ好む人であった。
その子を馬へと乗せ、城へ連れ帰ってきたのだった。


森の中を必死に走り回っていたのだろうか、体中に傷を負った彼女はひどく疲労していた。
手当てをしても、なかなか目を覚まさなかった。時折苦しそうに唸り、悪い夢を見ているようだった。
そんな彼女を父は何を思ったのか、俺の部屋へと連れ込んだ。
そして俺に面倒を見ろと言い放ち、さっさと執務へと戻っていってしまった。
 

その時一緒にいた小十郎も成実も父の奇行に目を丸くしたが、しかしほっとくわけにもいかず、
おどおどしながらも目を覚まさない彼女を見守った。
目が覚めたらお腹が空いているだろうから、すぐに腹に入れられるようおにぎりも常備していた。


そうして一日がたち、ようやく彼女の瞼が揺れ、うっすらと開かれた。
その機会を無駄にせぬよう、三人で一斉に呼びかけた。
名前なんてもちろん知らなかったから、「おい!」とか「起きろ!」とか、とにかく再び瞼を閉じぬよう呼びかけた。


だから瞳がぱっちりと開かれたときは、俺を含め三人とも安堵の溜息をこぼした。


「・・・ここは、どこですか?」


状況が掴めていない彼女は瞳だけで辺りを見回し、俺たちの顔を見るなりそう聞いてきた。
小十郎がここに来た経緯を説明した。自分が米沢城にいると知るなり、彼女は大層驚いていたが、それは俺も同じだった。
小十郎はともかく、彼女は俺や成実とそう年が離れていなさそうだったからだ。
か細い声や反応が、なんだか自分と同じように感じた。
しかも貧困の差が目立つこの時代に、布団や着物の生地の上質さに、平民なら驚くか眼を丸くするか。
しかし彼女は馴染んだもののように、それらを受け入れていた。
取り巻く環境も、俺と似ているのかもしれないと思った。


昼時に目を覚まし、日が傾く頃には、彼女は万全とまではいかないものの動けるようにはなった。


「俺は、藤次郎。 お前の名前は?」


日が翳り、茜色に染まった空を眺めながら、俺たちは縁側に腰掛けていた。
まだ肌寒かったが、ここは滅多に人が来ない一角だったため、数少ないお気に入りの場所だった。


「私・・・は、雨音」


名前を問うただけなのに、それでも彼女、雨音はやけに驚いたように返事を返した。


「あめにおとって書くの」
「・・・あまのね。だから『あまね』か」
「うん」


ぷつん、と切れてしまった会話に、俺はどう対応すればいいのかわからなかった。
気まずければ、雨音をさっさと部屋へ戻して離れてしまえばいい。
それでも俺は、まだもっと雨音と話したいとどこかで思った。
病気になってからというものの、一番の話し相手だった母上とは言葉を交わすことはなくなり、自ら誰かと話すことに消極的になってしまっていたため、
そんな気持ちになったのは久方ぶりだった。


「・・・この、包帯」


なんと声をかければいいか悶々と悩んでいると、雨音のほうから声がかかった。
弾かれたように瞳を起こす。


「巻いた人・・・、何か言ってた?」
「・・・え?」


ぎゅっと右腕を握り締めながら、雨音はそんなことを言った。
俺は急いで怪我を治療した医師のことを思い出したが、これと言って特別なことは言ってはいなかったはずだ。


「ただ、安静にとしか言っていなかったぞ」
「・・・そっか」


少し安堵したようにも思えたが、それでもまだ顔色はどこか青いように見えた。


「右腕、痛いのか?」


心配になりそう聞けば、彼女は余計に少し辛そうに表情を歪めた。


「――うん。でもこの怪我は、誰にも治せないから」
「・・・そっか」


本当は、辛そうにそう言う雨音に、そんなことないと言いたかったのに。
右目を失い、どうにもならないことだってあることを嫌というほど実感してしまった俺には、
そんな無責任なことを言えなかった。


「・・・藤次郎は右目、どうしたの?」
「これ、は・・・。病気で、なくした」


咄嗟に右目を隠す。みんな、この右目を見て顔をしかめてきたから。
雨音もそんな顔をしているのだろうかと、恐る恐る見やれば、予想を反して――呆けた顔をしていた。


「・・・気味、悪くないのか・・・?」


逸らさずにただ見つめてくる雨音に、堪らなくなって聞いた。


「どうして? ・・・何かが足りないから気味が悪いなんておかしいよ」
「―――っ・・・。怖く、ない?」
「そんなわけない。だって、あたしが目覚めるまでずっと傍にいてくれて、今もこうしていてくれてるのに」


怖いわけないじゃない。

もう一度、雨音はそう言った。そして満面の笑みでこう言った。


「藤次郎のこと、優しい人だなって、思うんだよ」






その言葉が、やけに染み渡るように胸に響いて。
だから、ありがとう、と言うので精一杯だった。


今までにないくらい、胸が、熱くて、何かが溢れているような気がした。
誰かが隣にいることに、苦しいくらい、嬉しくて。
不慣れな感情に戸惑いながらも、漠然と、雨音とずっと一緒にいれたらいいのに、そう思った。




だが、そんな俺の気持ちを踏みにじるようにそれは起きた。





[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!