[携帯モード] [URL送信]

第一章
28「このまま顔近づけりゃ、どうなるかわかるか?」





今夜は月がいやに綺麗だった。
それはもう、目が冴えちまうほどに。







とっておきの酒を部屋から持ち出し、縁側に腰掛ける。
少し季節的には早いかもしれないが、そんなのお構いなしにひとり月見酒を決め込む。
何も考えずに、ただ夜の庭園に空を眺めながら呑むのも悪くないが、今ばかりはゆっくりと物思いに耽りたかった。
盃に酒を注ぎこみ、一気に喉へと流し込む。カッと熱くなり、胃に流れ込むのを感じる。


再び酒を注ぎ込み、今度は少しずつ呑む。
自然と口から、重々しい溜息が零れ落ちる。


何度も何度も考えて。
やっぱり、どうにもまだ、誰かを好くという気持ちがどんなものなのか、よく判らない。
きっと理屈じゃないだろう。そういうのは。


だから自分自身がそうだと認めてしまえば、もうそれは立派に恋、ってやつになるのだろう。
他の誰かが決めるでもない、決めるのは自分自身だ。


いくら考えたって、無意味だ。
そう頭では理解しているのに。――なかなか思考とは、思い通りにいってはくれない。


月を見上げていると、廊下の奥から足音が聞こえた気がした。
ふと目を向ければ、誰かが近づいてきた。
注意深く目を凝らせば、やがて人をかたどった輪郭がくっきりと姿を現す。


「・・・・柊」
「―――政宗さま・・・・」


それは柊だった。まさかこんな夜更けに・・・・。
いや、そういえば前にもこうして出会ったことがあったか。


柊の顔を見れば、少し目が腫れているような気がした。――また、泣いていたのだろうか。


「どうした? こんな夜更けに。また夢見心地でも悪かったか?」
「いえ、そうではありません。・・・月が、月が明る過ぎて、目が冴えてしまっただけです」
「――じゃあお前も俺と一緒ってわけだな」


酒を片手に笑いかければ、柊もまた笑った。
立っている彼女に、座るように促そうとしたら、珍しく柊のほうから「隣いいですか?」と尋ねてきた。
「どうぞ」とは言わずに、手を置いて促す。


「お前も呑むか?」


盃に酒を注ぎ、柊へと向けると少しきょとんとした顔で盃を見つめた。


「・・・実は私、お酒呑んだことないんです」
「Is it true? ――じゃあ今夜が、初酒なわけだな」


盃をさらに柊へと向ければ、躊躇っていた柊もおずおずと手を伸ばす。
そうっと、盃に口をつけ、ごくんと僅かに喉が上下した。


「うっ・・・・・」
「どうだ? いけるだろ?」
「喉が熱い・・・・です」


そういえばかなり度が強めな酒だったことを今更思い出した。
初めて呑む酒がこれじゃあ、ちと厳しかったかもしれない。
顔を見ればなんとも、初めて呑んだ酒の味に眉をぎゅっと寄せていた。


「よく、父上も家人の方たちとお酒の席を設けていて、それは皆楽しそうに呑んでいたので、よっぽどお酒は美味しいものなのだと思っていましたが・・・、
私にはまだまだ分かりそうにありません」
「だろうな。 まぁ酒なんて、その場を盛り上げるための道具のひとつにすぎねぇんだよ。
酒のみゃ、大方の人間は普段とは違った一面を見せるもんさ」
「確かに。普段は温厚であまり動かない父も、お酒が進むと人家の方たちと相撲をとるほどに、挑戦的で元気でした」
「・・・Activeだなオイ」
「政宗さまは何か変わられるのですか?」
「俺か? そうだな・・・・。 なら、今度みりゃいい」
「?」
「最近執務ばっかだったからな。たまには皆で呑みてぇもんだ。今度宴を開くから、お前も参加すりゃあいい」


良い返事が返ってくると思ったら、なぜか少しの沈黙があった。
―――やはり、今の柊はどこか様子が変だ。いつも通りなのに、いつも通りじゃない。


「――今日は、きっと私にとって特別な日です」
「・・・特別? 初酒を味わったからか?」
「それもありますが・・・。政宗さまとこうして、ふたりだけでお酒を呑めるなんて、なかなかできないです」
「まぁ、言われてみりゃそうだな」
「だから特別、です」


女とふたりきりで杯を交わしたことなど、今までに一度もなかった。
生まれてからこのかた、むさ苦しい男どもに囲まれて共に過ごしてきたのだから。ないというのも当然だった。
そう考えれば、俺にとっても今夜の酒は特別な酒といえるかもしれない。
――――それが、こいつでよかった。


「・・・簪、よく似合ってるじゃねぇか」
「はい! 私の宝物です」


簪に触れながら笑う柊に、どうしようもなく胸が熱くなった。
こいつの、笑った顔はどうにも、俺の中の何かをいつもかき乱していく。



無くしてしまったものは、もう戻らない。
雨音を失ったあの時俺は、そう自分に必死に言い聞かせた。そうしていつか、無くすということに臆病になっていたのかもしれない。
何者にも執着しないよう、特に異性とは必要以上に関わるのを避けてきた。


しかし柊と出会って、雨音と重なるところをやけに意識してしまい、気づけば自分から関わっていた。



―――全く、呆れる。



関わることで、柊自身に、どんどん惹かれていることすら気づかずに。
今度は雨音を言い訳に、柊への気持ちと向き合うのを避けていた。






そうか。結局俺は。



最初から俺はこいつの笑った顔に、見惚れていたんじゃねぇか。



笑顔の裏に隠した感情も、泣きそうな笑顔も。
――ひとつひとつに、俺はきっと惚れていたんだろう。




「・・・・・ククク」
「どうされたのですか、政宗さま」


驚いた様子の柊が、俺のほうへと顔を寄せる。
頬に手を添えれば、一段と目を見開かせた柊と視線が重なる。


「―――I found the answer of the mystery that did not understand for a long time.」
(ずっと抱え込んでた謎の、答えを見つけただけさ)
「・・・・・・・南蛮語はずるいです」
「このまま顔近づけりゃ、どうなるかわかるか?」
「なっ、何をおっしゃるんですか! からかわないでください!!」


柊の両手が、近くなった俺の体を思いっきり突き放した。
今は素直に、その力に身を任せる。


「・・・・ま、政宗さま」
「なんだ?」


少し顔を赤らめた柊が、ためらいがちに目を向ける。
 

「いつか・・・・、いつか、宴を開くときには、是非私にも参加させてください」


やっとこさ、先ほどの誘いの返事が返ってきた。


「Sure.」
「そして、宴のあと、またこうして政宗さまと杯を交わしたいです」
「いいじゃねぇか。 そんときゃ、お前ももっと酒呑むことを楽しめよ」
「・・・・はい」


少しの沈黙が、ふたりを包む。
柊との間にうまれた沈黙はいつでも決して居心地の悪いものではなく、むしろ安心感に似たものを感じる。
それはなぜだかはわからないが、言葉を発さないことに、何も違和感を感じることはなかった。


「――政宗さま」


少しためらいがちに柊が口を開く。
どうやら一方の柊は、先ほどの沈黙の中で何かを決めたらしい。
そういう目の色をしている気がした。


「政宗さまが以前お話してくださった・・・、大切なご友人のお話を、聞いてもよろしいですか?」
「―――・・・・なんでだ?」
「・・・・・知りたいからです。政宗さまが大切に想っている方が、どんなお方なのか」
「知ってどうするんだ」
「どうするつもりもありません。ただ、」
「ただ?」
「政宗さまが記憶の中でも大切にしておられる方はどのような方だったのか、聞いてみたいと思いました」





――雨音のことを、知っている奴は多くない。
当時俺の傍にいた小十郎、成実、父上、それにほんの一握りの家人だけだ。
雨音が実際にこの米沢城で過ごしたのは一月ほどだったし、いくら子どもとはいえ素性の知れない者だったため、
父上もなるだけ家人の目につかないようにしていた。


仕方のないことだった。
雨音の存在を当時知っていた一部の家人はやはり、あまりいい顔をしなかった。
雨音の存在が広まれば、雨音と過ごした日々はもっと少なくなっていたかもしれないのだから。
だけど心の奥で、雨音という存在を秘めていたことに、言い表せない悔しさにも似た感情が芽生えていた。


雨音は疎まれるような存在じゃない。
疎まれるのは俺だけで十分だから、いつも寂しそうな雨音を、受け入れてやってほしい――、そう思っていた。




その結果、雨音が姿を消したあとも、彼女の事を覚えている者はほんの一握りだった。
記憶だけの存在になってしまった雨音が、いつか皆の記憶からも姿を消してしまうんじゃないかと、怖くなり眠れない夜もあった。


―――雨音の存在が、いつか完全に消えうせてしまうんだろうか、と。





「・・・・俺は嫌なところで、女々しいな」
「はい?」
「いや、なんでもねぇ。 
―――ただ、この話をお前にも覚えていてほしいと、思っただけだ」













前回から随分経ってしまいました・・・
何話かストックがないと更新できないチキン野郎なのです、すみませんorz
次回から過去編です!

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!