第一章 21「――そいつは返してもらうぞ」 蔵の影に隠れるようにして 泣いている「彼」を見つけたとき どうしようもなく、――抱きしめたくなった 空を見上げれば、いつもはそこにあるはずの月が今宵はどこにも見当たらなかった。 月の光に照らされる雲も、今日は空の闇に飲み込まれそうだった。 そんな闇夜の中、柊はひたすら耐えていた。夕方頃から刺青が疼き出し、夜が深くなるにつれどんどんとその痛みが増していった。 いつの間にか城に住み着いた黒猫が、気にするように柊の傍に寄る。 みゃーと頼りなさげに鳴き、額に浮き出た汗を舐め取る。 ――嫌な予感がする。 ここ数日、疼くような痛みが頻繁にあった。 なにかが近づいてくる錯覚、そして最近城を騒がせている奇襲。 偶然の一致とは思えないなにかが、柊の中に不安の陰りと落としていた。 根拠がないからこそ、無碍にその思考を取り払うこともできなかった。 柊はなんとか重くなった体を起こし、立ち上がる。 襖に手をかけ、人気のない渡り廊下を歩み進める。 嫌な予感を取り払いきれない今、政宗に伝えておくべきだと思った。 根拠のないものではあるが、用心することに越したことはない。 それに政宗なら刺青が痛むことを知っている唯一の人物だったから、話もしやすかった。 ―――その時だった。 城内の、柊がいるところとは反対方面から突如、刀が交じり合う音が聞こえた。丁度、家人が住まう離れの方だ。 屋根をかける音、それを追いかけるように刀を振るう音が聞こえる。数からしてみれば、15,6人ほどだろうか。 かなり緊迫した状況だということが、音のみを聞いていた柊にも伝わった。 やがて大勢の足音が柊のいる離れに向かってくるのが聞こえ、何も武器を手にしていなかった柊は息を潜めた。 こちらに来ると思っていた足音は、離れの別のほうに向かっていった。 しかし安心したのは束の間、すぐに今度は柊のほうへ向かってくる足音が聞こえた。 柊はどうすることもできず、ただ廊下の先を食い入るように見つめる。 現れたのは刀を手にした小十郎だった。 「柊殿っ!無事か!?」 「っ、小十郎さん!!」 柊は安堵し、胸を撫で下ろす。 柊に近づいてきた小十郎は、額の汗と暗がりでも蒼白だとわかる顔色を訝しげに見やる。 「柊殿、どこか具合でも悪いのでは?」 「――いえ、そんなことないです!」 慌てて両手を振り訂正した柊に、それでも食い下がろうとはしたくない小十郎だったが、今は悠長に話している時間もない。 「忍が奇襲をかけてきた。まだどこの奴らかはわからねぇが・・・。 家人たちは、この離れの地下に非難させた。柊殿も暫くの間そこへ。 怪我人が数人出ている、忍共が片付いたら柊殿に手当てしてもらいたい」 「わかりました」 「地下への行き方はわかるか?」 「はい、大丈夫です」 米沢城へ来てすぐ、公休日などを利用して城のどこに何があるかはほぼ把握していたため、すぐに場所の検討もつく。 「では、私はこれで失礼する。忍共は俺たちのほうで食い止めるが、くれぐれも用心してくれ」 「はい!」 足早に戻っていった小十郎の背を見送り、柊も地下へと足を向ける。 「――そうだ、道具を持っていこう」 怪我人を手当てできる状態になったらすぐにできるように、 医療道具を持っていこうと医務室へと足を向けた――その時。 刺青が一段と痛み出した。 そこだけ高熱を持ち、体内に響き渡るようにドクン、ドクンと痛み、まるで刺青にこのまま飲み込まれてしまうのではないかと思うほどだった。 痛みに耐え切れず、柊は倒れ廊下に蹲る。 かろうじて開き、目の前に続く廊下一点を見ることが精一杯だった。 ただ無機質に続く廊下をどこかで不気味に感じながら見つめていると、音もなく人の足が現れた。 同時にかすかに感じる人の気配に視線を上へと向ける。 新月のためただただ続く暗闇に目を凝らすと、目元を覆った忍装束の男がひとり、目の前に立っていた。 目元が覆われているため、どこを見ているのかは定かではないが、恐らく柊の姿を映しているのだろう。 「・・・だ、れ?」 奇襲をかけてきた忍がここまで来たのだろうか? しかしそれにしては落ち着きすぎている彼を、むしろ余計に警戒した。 柊をしばし見つめたその忍はやがて近寄ってきた。柊は精一杯の力で腰から上を起こし後ずさる。 しかしその柊の抵抗も彼にしてみればまるで小さい子供を相手にしているような感覚なのか、糸もたやすく右腕を掴まれる。 右腕に過剰に反応してしまう柊は、慌てて腕を振り払おうとしたが、彼の強力な腕力にはなすすべもなかった。 乱暴に寝着の袖を捲られ、右腕に巻いた包帯が露になる。 包帯に手をかけた彼に、柊はついに叫んだ。 「やめてっ!!やめてっ・・・!!」 しかしそんな悲痛な願いも耳に入らぬ彼は、問答無用で包帯を剥がす。 何十にも巻かれた包帯もあと一巻きで露になりそうになったその時だった。 忍は突然飛び上がり、柊の後ろへと着地し、それと同時に柊は首根っこを彼の左腕で挟まれる形となった。 驚き先ほど忍がいた場所を見ると、そこには刀を振りかざした政宗が立っていた。 「政宗さまっ!」 「なんか嫌な予感がして来てみたら・・・。Ha! 案の定だぜ。そいつに何の用だ?」 しかし忍は何も答えずに、ぐっと柊を抑える腕の力を強くした。 政宗は返事を返さないことに対し、多少眉を寄せたものの、どうやら元からあまり期待はしていなかったようだった。構わず続ける。 「――そいつは返してもらうぞ。伊達軍の大事な医者だからな」 [*前へ][次へ#] [戻る] |