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2G
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 あの人は、いつも怒っていた。汚ならしい格好で、酒の臭いをぷんぷんさせて、口を開けば相手が誰であろうがくだらないことで怒鳴り散らし、空の酒瓶を投げ付けた。
 だが、不思議と仕事は減らなかった。嫌々顔で発注書を部屋に投げ入れに来る客の足音が遠ざかると、あの人は仏頂面で作業場に向かう。
 少しだけ酒臭い作業場の中で、あの人は怒声も罵声も上げない。ただひたすら鉄と工具が立てる音に耳を傾けながら、黙々と武器を作り出すあの人を少しだけ尊敬していた。






 煙草の匂いがする。そばに火薬があるというのに、一体誰が――。
「……パンドラ?」
 うっすら開けた視界の隅で、白いシャツを着た背中が動いた。
「起きたか」
 振り向いたパンドラは相変わらずの無表情で言い、黒いデスクに片肘をついたまま紫煙を吐いた。
 ガンマンは枕の上で頭を動かし、不安定な焦点で周りを見渡す。
 天井まで真っ白な壁紙が張られた一室。地下独特の臭いも無ければ、耳障りな空調の音も無い。
 最下層でないことは明白だった。
「此処は?」
 痛々しく掠れた声で独り言のように尋ねながら、もっと周囲を見たくて上体を起こそうとするが上手くいかない。思うよりずっと体に疲労が蓄積されていたらしい。ガンマンは酷い寒気と頭痛に顔をしかめ、早々に起き上がるのを諦めた。
「四区の中層だ。熱が下がるまで寝てろ」
 パンドラが言った。ガンマンはパンドラの方へ寝返りを打つ。
「大丈夫。それより――」
 改めて見ても殺風景な部屋だ。十二畳程のスペースに、パソコンが乗ったデスクと椅子、ゴミ箱、ベッドがあるだけだ。壁にはクローゼットがあるが、窓はデスクをつけている壁面の上方に採光の為のものがあるだけで、外の様子をうかがうことはできない。
「パンドラの部屋?」
 ガンマンが尋ねると、パンドラは「ああ」と短く答えた。
「へえ、パンドラは地下に籠りきりじゃなかったのか」
「籠っていても部屋は買える。それに、実際に此処へ来たのは初めてだ」
「……ネットって凄いな。でも、なんでこんなとこに?」
「『こんなとこに』用意してて正解だったろ」
 どこか得意気な表情を見て取り、ガンマンは押し黙る。
 部屋だけではない。額に貼られた熱冷ましの冷却シート、枕元のペットボトル、上等なベッドと毛布。どれもこれも、恰も初めからこの状況を想定していたかのようだった。
「どっちの方が先見えてんだろうな」
 パンドラは消え入りそうな呟きに答える代わりに椅子から立ち上がると、灰皿に煙草を押し込んでベッドの端にそっと腰を下ろした。
「なあ、パンドラ」
 ガンマンはパンドラを見上げて言った。
「俺さ、何度かこの市囲を出たことがあるんだ。でも、どこに行っても同じだった。政府とレジスタンス、表と最下層。高層街の上にはやっぱり天蓋があって、数日おきに生温い人工雨が降るんだ。つまらねえぜ、流行も定番も此処と大して変わりない。武器だって作れば売れるし、目立ちすぎると追い回される。どこも同じでつまらねえ」
「だから壊したいのか?」
 思わず息を飲むほど穏やかな眼差しがガンマンを見下ろす。ガンマンは目を閉じ、自嘲気味に笑った。
「まさか」
「お前が望むなら、天蓋を開けてやる」
 まるで全てを覆す隕石の如く力を持った恐ろしい言葉だった。
 ガンマンは目を見開き呼吸も忘れて瞠目する。しかし、同時に頭のどこかで妙に落ち着いている自分がいることにも気付いていた。 
「俺は、そんな派手なイベントを望んでる訳じゃない」
 二度、乾いた咳が出た。それが笑いを誤魔化したようにも聞こえ、パンドラは首を傾げる。
「なら何を望んでるんだ」
「もっとずっと単純なことさ。平穏で飽きのこない日常。そこにホットドッグとミルクがあれば最高だね」
「そんなものが欲しいのか……?」
 今度はパンドラが目を見開き唖然とした。純粋に驚く黒の瞳が新鮮で、ガンマンは頭痛を感じながらも堪えきれず吹き出す。
「すげえ意外そうな顔! まあ、正直自分でもくだらねえって思うよ。でも、最下層じゃ平穏なんて望めない。かと言って、表じゃ退屈過ぎる。どっちに行っても一つしか選べないんだから、実は結構贅沢な望みなんだぜ」
「……俺には分からない」
 パンドラが言うと、ガンマンは「当然さ」と返した。
「最下層と表じゃ感覚がまるで違う。俺からすりゃあ、最下層では争いが日常で、表では退屈が日常だ。でも、市囲の中で日常を客観視できる奴は少ない。表と最下層はきっちり二分されてるからな。つまり、互いに井の中の蛙ってこと。……って思ってたんだけど……パンドラ、あんたはやっぱり頭のネジの数が他の奴らとは違うみたいだ。あんたにとっちゃ、最下層ですら退屈なんだろ」
「お前はどうなんだ? 表のライセンスを持ち、最下層にも行き来できるお前は、要屋と政府とレジスタンスを相手にしながら表でも最下層と似た日常の中に居る。俺には、お前こそ随分とイカレた暇潰しをしてるように見えるぜ」

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