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2G


 ほんの僅かの間に、意識が飛んでいた。
 ずずっ、と乾いた砂を付けた靴底がコンクリートを擦る音にはっとして聴覚を研ぎ澄ますと、どうやら二人居るらしい相手は俺が寝ていると思っているのか、ぼそぼそと呟き合いながら近くにしゃがみ込んだ、気配がした。
「目隠し取ったらやべえかな」
「だな。でも、見ろよ。綺麗な肌してやがる」
「ああ、顔立ちも女みてえだ。目が見えねえのが惜しいが」
 薄っぺらい服の下で鳥肌が立った。決して認めたくはないが、この会話が指す対象は間違いなく俺だ。
 女顔は自覚している。女相手にも男相手にも三流とも言えない明け透けな色仕掛けが通用するのは便利だったが、それだけ顔以外取り柄の無かった尻軽女の遺伝子を濃く受け継いだのだと思うと胸糞悪い。
 思わず顔をしかめそうになりながら思考を止め、こうしている内にも話し続ける男達の声に耳を傾ける。
「ロープ外すのもマズいしなあ。どうするよ」
「見るだけにしとこうぜ。こいつはあれだ、パンドラの……」
 パンドラ。聞き慣れた名だ。俺だけじゃない。俺の居た街でパンドラの名を知らない奴といえば“表”で平々凡々暢気に暮らしてる中高年か、富裕層の坊ちゃん嬢ちゃんくらいのもので、それ以外の奴なら一度は耳にしたことがあるだろう、その位よく知られた名前だった。
 パンドラが居るということは、つまり、此処は俺の住んでいた街だということになる。とすれば、やはり俺は数日意識を失っていたのだ。いや、そうでは無い。知った街だからと安堵している場合では無い。――ここにパンドラが居るということは、もう一つ、こうして俺を捕らえている相手が「ヴァルハラ」であるという事実を指し示しているのだ。
「……クソ、っ最悪だ」
 口にしてからしまったと思う。俺の前に居た二人の内の片方が、驚いたように立ち上がった。
「起きてんじゃねえか! てめえ、寝たフリしてやがったな!」
「わざわざ起きてますとは言わねえだろ」
「んだと、糞餓鬼!」
「はっ、黙れよ変態。……痛っ」
 痛え。
 押さえることも出来ない腹を軸にうずくまる俺の頭上で、怒り狂った男が汚い言葉で喚き散らす。それをもう一人の男が宥めるが、怒る男は更にいきり立ってロープをぐるぐる巻きにされた俺の足首を踏みつけた。
「やめろ!バレたら殺られるぞ!」
「うるせえ!お前解らねえのか?こいつ、俺らを見下してやがんだよ! 所詮は表の人間だ、大人しい面して腹ん中で──」
 男が言い終える前に、ガン、と蹴破るようなけたたましい音を立ててドアが開かれた。男はとっさに口を噤んだが、怯えているのか後退る気配がする。
 もう一人の男が「パンドラ……」と呟いた。俺は今すぐに逃げ出したい気持ちで一杯だった。
「失せろ」
 パンドラの声だろうか。低いのに高いような……ああ、そうだ。腰にクる声。
 男達は短く悲鳴を上げ、そのまま弾けたように通路へ飛び出したようだった。慌ただしい足音が遠ざかっていく。ふとパンドラのものだろう足音も廊下へ向けて数歩移動し、そして止まったかと思った瞬間──。反響のせいで間延びした太い銃声が鼓膜を突いた。
 先程怒っていたのとは違う方の男の叫び声が通路に響き渡る。流れてきた硝煙の匂いが鼻を掠める。
 パンドラの足音が近付く。俺は無意識に身を固くした。

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