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Vigitoe

 気がつくと、見慣れない濃い飴色の天井が目に入った。
 うまく働かない頭で二、三度瞬きする。
 取りあえず視線を右へ動かすと、同色同材と思しき壁が映り、さらに目を滑らせると唐突にレンガ造りの暖炉が現れた。
 今度は視線を足のほうへ向ける。やや離れた場所にある壁には板戸があり、隙間から目も眩むような強烈な光が漏れている。まるで無数の針が頭を除かせている様だ。
 目に突き刺さる日光から視線を外し、目を閉じた。
 眼球に意識を集めながら、三秒数えた。すると、眩むようだった明るさは半分以下になり、目を再び開けると先程と比べて格段に室内が暗く見える。
 次は体を起こそうと腕に力を入れる。が、指先が痙攣する程度で、まったくといっていいほど感覚が無かった。
 一瞬ひどく焦ったものの、麻酔が効いているのだ。と、気付いた途端、数時間前までの記憶が一気に蘇る。
「……」
 腹に力を入れ、何とか上半身を起こす。それだけでどっと疲れる。掛けられていた毛布と包帯もどきをがちがちに巻かれた両腕を眺めながら、思わずため息が出た。
 と、ちょうどそのとき、離れた場所から規則正しい足音が聞こえてきた。足音はこちらへ、正確には左手側の壁にある扉へ向かって近づいてくる。
 何者かとしばし耳を澄ませたが、ややあって緊張を解いた。
 微かな花の香りとともに、扉が開く。


 籠を抱えたルシエラが扉を開くと、毛布を何枚か重ねただけの簡易寝具の上で、ペルシャは既に目を開けていた。それどころか、腕も使えないのに身を起こしていた。
 いったいどうやって、と思ったが腹筋を使うしかないだろうと思い当たり、二重にびっくりする。確かに腹部には怪我は無かったが…。
(でもあんなに打ち身だらけだったのに、よくもまあ…)
 そのペルシャは首を捻ってこっちを見ていた。きちんと視線もルシエラに定まっており、意識もしっかりとしているみたいだ。
「もう目覚めたのね。あ、私の言っていること、解る?」
 こっくりとうなずく姿に、ルシエラはホッと胸を撫で下ろす。
 ペルシャがこちらの言葉を話しているところを見ていないので、もしも言葉が通じなかったらどうしようかと思っていたのだ。通訳の出来るアムールはいないし…。
 抱えていた籠をそばの台に置き、ペルシャの傍に膝を付くと、一言断ってから包帯の間に指を入れて額の熱を測った。
(うそ…。もう下ってる)
 まだ微熱があるようだが、わずか数時間前までのことを思い出すと、俄かには信じがたい。
(アムールさんが薬を飲ませたって言ってたけれど、随分とよく効く薬なのね…)
 驚異的な速さで快方に向かっている。もしルシエラがあれくらいの熱を出したら軽く一週間以上は寝込むのに。
(外国の薬ってすごいわ…)
 分けてもらえたりするのかしらと感心していると、ペルシャが徐に口を開いた。
「アムールは?もう出たのか?」
 話しかけられたとに気付くのに数秒かかった。
 病み上がりらしく掠れてはいたが、男性らしく低く、思ったよりも落ち着いた声だ。父や弟とはまた違う。
「えっ?ええ、あなたが寝込んでからすぐに」
 妙な緊張を感じながら今までのことを掻い摘んで話す。
「そうか…」
 ペルシャは特に感情を見せることなくわずかに目を伏せ、ポツリと呟いた。それがなんとも儚げな様子だったので、ルシエラ元気付けようと明るい笑顔をペルシャに向けた。
「あの、困ったことがあったら言ってね。あなたはこんな怪我だらけだし出来るだけ協力するわ」
 ペルシャは伏せていた目を上げると不思議そうにルシエラを見た。それは数秒のことで、すぐにもとの理性的な様子に戻る。
「…ああ、世話になる」
「まかせて」
 ルシエラはにっこりと頷き、……それっきり、会話が途切れた。
 ぼんやりと窓の外を眺めるペルシャを眺めていると、緊張はなくなったけれども、そわそわと落ち着かない気分になってきた。
 つい勢いで親しげに話しかけてしまったが、やっぱり警戒されているのだろうか…。
(それとも人見知り…とか?)
 恥かしがり屋、という風には見えない。
(実は気難しい人だったらどうしよう)
 ちょっと心配になる。なんとか表情から何か読み取れまいかと思っても、生憎と包帯とシートでほとんど見えないので無理だ。
 嫌がられてはいないと思うが。
(……と、取りあえず、窓を開けよう。このままじゃ部屋が暗過ぎるし、体に毒だわ)
 沈黙が気まずく、かといってまかせてと言った手前、早々に部屋を出るのも不自然だ。なので、出来るだけにこやかな表情を保ったまま「窓開けるわね」と言って立ち上がった。
 ペルシャの視線が背中に刺さるの感じながら、南に面した窓を開け放つ。
 早朝の風がサッと部屋に吹き込んだ。
 外は微かな声を立てながら雀が羽ばたき、少し離れた場所にある森の前を見慣れたポリスがテケテケと走っている。
 いつもの光景。いつもの風。
 多少ひんやりとしたが、爽やかな微風が入ったことで、浮ついていた気分が少し落ち着く。
 ルシエラは「ようし」と小さく頷くと、思い切って振り向く。思った通りこちらを向いていたペルシャと目が合った。
「えーっと、おなかは空いている?食べられそうなら用意するから」
「いや、朝は余り…」
 ペルシャが遠慮しようとしたとき、ぐう、と音が鳴った。
 ルシエラではない。なぜなら朝食は既に終えているからだ。
「「……」」
 ペルシャを見ると、若干ばつの悪そうな視線が返ってきた。
「ペルシャさん、朝は苦手のようだけど、朝食はちゃんと取らなければダメよ。じゃないと怪我の直りが遅くなるわ」
 ペルシャはぐうの音も出ないようで、先程とは違う感じで「わかった…」と頷いた。
 そのときふと、奇妙なことに気付いた。
「あら?ペルシャさん…」
 呼ばれて、ペルシャは顔を上げた。直射は当たっていないが、ぐっと明るくなった室内で、薄茶の瞳をルシエラに向けている。黒い瞳孔は丸く窄まっていた。
(こんな普通の目だったかしら。もっとこう……ディランみたいな。あれえ??)
 見間違えたのだろうか。暗かったし。でもかなりはっきりと思えている。
「なんだ?“変なもの”でも見たのか?」
 ペルシャが包帯の下でにやりと笑みを浮かべるのがなぜか分かり、ルシエラはどきりとする。
「え、いえ、なんでもないわ。気のせい、だと思う…」
 ペルシャは「ふうん?」と目を細めたが、ルシエラは本当になんでもないのと首を振った。
(考えても仕方が無いわ。昨日の夜はかなり特殊だったから…)
 記憶があやふやになっていてもおかしくないと自分を納得させる。
(取りあえずペルシャさんの朝食ね。あの様子なら普通の食事も出来そうだけれど、大事をとって麦粥にしよう)
 出口のほうに足を向け、あっと思い出す。
「そうだ、ペルシャさんこれ」
 忘れるところだったと、台に置いていた籠を持ち上げ、ペルシャの脇に置く。
 籠の中身は十分に汚れを落とした、ペルシャの着ていた黒い服である。ちなみにペルシャは今ルシエラの父の寝巻きを着せられている。
 着替えさせたのは当然アムール一人であると念のため伝えておく。その間ルシエラは部屋を退出していたとも。
「ペルシャさんの着ていた服と…これはウェストポーチよね。ブーツは玄関においてあるから。あとこれ…」
 服の間から例のガラスとも石ともつかない黒くて四角い棒を取り出す。
「アムールさんがあなたに渡してくれって。これ、解る?」
 そう言って差し出して見せると、ペルシャは迷わず頷いた。膝の上に置いてくれるか、とも言われたので、そのとおりにする。
 膝の上に置かれた細い棒を、ペルシャは少しの間じっと見つめた。
(まだ手が使えないのに。よっぽど大切なものなのね…)
 一通り中身を改め、最後に例の皮袋を遠慮がちに取り出す。
「あの、これ。中身は見ていないのだけど…」
 アムールがルシエラに渡した“迷惑料”である。
 改めて持ち上げてみてもやはり重い。
 なんだかよく分からないが、見たら最後、という謎の緊張感が頭の端に陣取っていたので、なかなか袋の口を開ける気になれずいにいた。
「どうしたらいいかしら…?」
 貰ってくれと言われたが、本当に大丈夫だろうか。というかここまで重い必要はそもそも無いのでは。と恐る恐る相談する。
「開けてみてくれるか」
「えっ?…開けるの?」
 かなり躊躇するが、促すように顎をしゃくられ、恐々と袋を開いて口をペルシャのほうへ向ける。
「どう?」
「妥当だろう」
「そ、そうなの?」
「見てみろ」
「見っ?…は、はい」
 そうっと中を覗き、想像以上の金色の輝きを目にしたルシエラは、一呼吸ほど石のように固まった後、勢いよく袋の口を閉じてぎりぎりと顔を上げてペルシャを見る。手の中でじゃらりと聞いたことがないような音が鳴った。
「ペ、ペル、シヤさん??こ、この、きんがく…は、おお、多すぎ、じゃ…」
「妥当だろう」
 ペルシャは肩をすくめ、軽々ともう一度言った。パンの値段でも確かめるような、実に飄々とした態度で。
(こ、これ、妥当…?)
 改めてルシエラの脳裏に“口止め”という単語が生々しく浮かぶ。
 そのあと気遣うペルシャの声を背中に聞きながら、おぼつかない足取りで台所場に向かう。
 入ってすぐに、よろりと扉に背中を預けた。足元にはいつからいたのか、ディランが近寄りこちらをじっと見上げていた。
「ねえ、ディラン。これは、これは結構な事態だったりするのかしら」
 しゃがんで目線をあわせると、どう思う?と真剣な顔で聞いてみる。
 ディランは、しばしルシエラを見つめ「ニャー」と鳴いた。そして後ろ足で耳の裏をカリカリと引っ掻き、それが終わるとおまけのように一度体をルシエラの肩に擦り付けてからさっさと部屋を出て行った。
 後に残ったルシエラは、がっくりとうなだれる。
(取りあえずアムールさんに言われたとおり、昨日見た道具のことは死んでも黙っていよう…)
 心に固く誓いながら「よっ」と立ち上がる。
 頬をぱちぱち叩くと、腕をまくって調理台に手を伸ばした。
 竈に鍋を置くと手早く火種に火をともすと消えないうちに薪をくべる。
「まあ、ずっと悩んでも仕方が無いわ。私に出来ることをしないと」
 まずはペルシャが早く良くなるように、栄養のあるものを食べさせてあげなければ。



 手際よく用意を済ませ、いざ食事、というところで思わぬ関門が二人…否、どちらかというとペルシャに待ち受けていた。
 彼は今、怪我で両手が使えない。ということは介助が必要ということで…。

 薄めた食前酒を飲ませるまでは良かった。
 程よい温度になっている麦粥を匙ですくい、包帯だらけの顔に差し出す。
「はい。どうぞ」
 相手は「ものすごく不本意だ」と言わんばかりの目つきを包帯の隙間から返してきた。
「自分で食べられる」
 取り付く島も無いというのはこんな感じだろうか。
 心が折れそうになるが、いいえこれは回復のためだものと自分に言い聞かせる。
 ルシエラは繭尻を上げ、見た目には強気な態度を保ったまま、匙をぐっとペルシャの口元に近づけた。
「だ、だめ。というか無理よ。だってあなたは骨折しているのよ?きちんと栄養を取らなきゃ」
 ルシエラがさあと促すと、ペルシャは目だけを下に向ける。そこには添え木を当てられ、即席包帯でぐるぐる巻きにされた両腕があった。
 添え木を見て解るように、治療の際に右腕は重傷に加えて骨折していることがわかった。そのため動かさないようにと手首までがっちり固定されてしまっているので、どう見ても自由になるのは指先だけである。食べられないことも無いだろうが、相当苦労するのは難くない。
 現に、本人がどうしてもというので試しにスプーンを持たせてみた。が、確かに持つことは出来た。しかし深い傷を負った腕は筋力がかなり弱っているらしく、腕が上がらないのだ。
 それを自覚しているだろうに、他人に世話を焼かれるのが嫌いなのか、どれだけ説得しても頑なな態度はなかなか崩れない。
 子供ですかと言いたくなったが、さすがに控えた。
(大人の男性が食べさせてもらうとか、嫌がる気持ちも分かるけど…)
 ルシエラとしてもわざと嫌がるようにやっているわけではない。
「そんなに嫌?でも、しっかり食べないと、早く元気になれないのよ…?」
「……」
「それにほら、回復が遅れると、それこそこんな状態が長くなるってことだし」
「……」
 心なし、ペルシャの瞳が揺れてきた気がする。
 これはいけるかもしれないとルシエラは畳み掛けた。
「アムールさんが迎えに来るまでには完治していたほうがいいでしょう?」
 ルシエラはペルシャを見つめた。それこそ穴が開くのではと自分でも思うほど。
「お願いだから食べて。ね?」
「……」
 じいい…と見つめ続ける。ペルシャは目を合わせない。
 どれだけ続いたか。粥が冷めだし、さすがにもう無理かしらと匙を引っ込めかけたとき、ペルシャはルシエラのほうを向き、いかにも不承不承という体で大きなため息をついた。
 そして渋々口を開いた。
 すかさず匙を口に含ませる。ペルシャは気まずそうに目を泳がせながらもきちんと咀嚼し、飲み込んだ。
 ルシエラが笑顔を浮かべると、ペルシャは逆に大きく息を吐いた。
 それからはもう吹っ切れたのか悟ったのか、ルシエラがハイ、と匙を出すと、意固地だった態度が嘘のように素直に食べてくれた。
 昔、子猫だったころのディランに手ずから餌を与えた記憶が蘇る。
(状況はかなり違うし、何より相手は成人男性だけど…)
 また麦粥を掬って差し出す。ペルシャは素直に口を開いた。
 どきどきしながら匙を入れると、ぱくりと口を閉じる。
 もぐもぐと口を動かせている姿を眺めながら思った。
 なんだかかわいい。
(ちょっと癖になるかも…)


 そしてその日の夕暮れ時、干し肉を狙うディランを牽制しながら夕飯の準備をしていると、穏やかなノックとともに、家族が帰ってきた。

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