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とある少女と魔法使いの鏡
ご先祖様の昔語り
「もともとこの鏡はね、僕たちみたいな目をした子供に受け継がれてきたんだ」
 再び焔一郎宅を目指す途上。
 青々と茂る、長閑な山々を背景にしたサービスエリアの一角で、宮川父娘は昼食時。ちょうどいいタイミングでもあったので、切火は例の異世界について父から話を聞いていた。
「まずは鏡から」
 父は意外にも素直に打ち明けてくれた。
「この鏡を持ったある男性がうちのご先祖様の家に婿入りしたんだ。それが二十代、だいたい五百年前の話だね。そこからずっとさ。お父さんは父さん・焔一郎おじいちゃんから、焔一郎じいちゃんはその母の焔花(ほのか)さんから、焔花さんは…熬太(ごうた)さんだったかな。ああ、この人もの凄い美形の女ったらしで有名だったらしいよ。その前は」
 お墓の側面でしか見たことのない先祖の名前を挙げていく士瀧に、切火は慌てて待ったをかけた。
「もーそんな情報いい…。っていうか五百年?そんなに古い話なの!?」
「そう、とっても古い。ってことはこの鏡ってかなり貴重な骨董品とも言えるね。時代で言えば室町ぐらいなんだからさ。鑑定番組なんかに出せばそれなりの値がついたかもね」
 士瀧はいたずらっぽく笑い、付け加える。
「日本で作られたものならば、だけど」
 切火はスッと目を細めた。
「違うってことね」
 士瀧は目だけで笑った。
「なんとなく予想は付いてるみたいだけど、一応説明はしておくよ」
 鏡をご覧と促され、切火はテーブルの上に鏡を置き、覗き込んだ。
「このくねくねした浮き彫りは月の火と書いて『月火(げっか)』というんだ。まあ月光のことだね。これは婿に入ったほうのご先祖様に伝わる模様のようでね。彫刻を施したものその人。たぶん故郷を忘れないように、と思ったのかもしれない。―――二度と戻らないと決めた世界を偲んで、ね」
 士瀧はテーブルに置かれた水を一口飲む。
 切火は、詰めていた息を吐き出した。
 父はそんな娘の姿に苦笑する。
「もうちょっとオブラートに包んだほうが良かった?」
「別に、多少覚悟はしてたし…」
 祖先が異世界から来たかもしれないということ。
 予想は確かにしていた。けれど、面と向かって肯定される衝撃は思った以上に強烈であった。
「その人は…、どうしてこっちに来たの…?」
 切火は悩ましげに額に手を当てた。
「…聞きたい?」
 士瀧は切火の顔を覗き込む。
「ま、まあ…」
 手を下ろし、戸惑い気味に頷いた。
「ふむ。まあいいかな。あらすじはこう…あるところに魔法使いがいました。
 そして淡々と語りだす。遠い昔、ある人物の数奇な人生を。


 彼はとても有能な魔法使いで、彼が住んでいた国の王様にもとても信頼されていました。

 しかしある時を境に、魔法使いは全てに絶望し、とある森の中にある湖に身を投げてしまいます。

 ところが、幸か不幸か近くに人が通りかかり、魔法使いはすぐに助けられてしまいました。

 せっかく楽になろうとしていたのに邪魔をされ、魔法使いは怒りのままに命の恩人を振り返りました。

 ところがどうしたことでしょう?

 魔法使いの目に映ったのは見たこともない衣装に身を包んだ黒い髪に黒い瞳の男。

 異国の旅人だろうかと思っていると、次から次へと同じような格好をした人々が集まって来るではありませんか!

 どうも様子がおかしい。

 魔法使いが訝しんでいると、目の前の男は真剣な表情で命についての何たるかを魔法使いに説き始めました。

 戸惑っているうちに魔法使いは人々に連れられて森の外に出、麓の村に案内されます。

 そこで魔法使いはある事実に気付きます。

 ここは、自分のいた世界ではない。

 なんと魔法使いは、湖に飛び込んだことで違う世界に移動してしまったのです。

 すっかり驚いてしまった魔法使いは、しかし心優しい村人たちに歓迎され、ひとときそこで過ごした後、元の世界に帰るための旅に出ました。

 いつしか数年の時が流れ、いつの間にか魔法使いの周りには、気の置ける仲間、そして何より可愛らしい妻と子供たちがいました。

 人生の希望を見つけた魔法使いは、元の世界に帰ることを止め、新たな世界で幸福に暮らしましたとさ。


……おしまい」
 ちょっと物語風にしてみましたと付け足し、話はあっけなく終わった。
士瀧が再びコップを手に取るのを目で追いながら、切火は瞬きした。
「これは口伝なんだけど、ご先祖様が来る前のあの場所は、確かに神域には違いないけど、普通の泉だったそうだ」
「…来る前は?それより前には接触めいたことは無かったってこと?」
「恐らくね。異世界との交流なんてまず無かったはずだよ。あの場所は何処からともなく人が湧き出るとこじゃあなかったってこと。けれど、ご先祖様が現れてからはどうもあの力場の特殊性が増したらしい。つまりは、ご先祖様が来たときにあの道が出来たんじゃないかと思う。…びっくりした?」
 やや疲れの滲んだ声が耳に届く。切火は指の強ばりを取ろうとしてぎこちなく動かした。
「すごく…」
 走ってきたみたいに胸がどきどきしている。
 父の方を向くと、珍しく眉尻を下げ、からかうでもなく静かに娘の動揺を見守っていた。
 切火は咄嗟に目を逸らしてしまう。
「っ、ご先祖様は、自殺しようとしてこっちに来ちゃったんだ」
 だとしたらどれだけ驚いたことだろう。罷り間違ってもあの時代の日本が天国に見えることはあるまい。
「おそらく。道が出来た原因は、死に際の魔力の暴走って所だろうね」
 入水自殺…暴走…。
 笑えないワードだ。
「…何がそんなに辛いことが向こうであったの?」
 どんなことが彼をそこまで追い詰めたのだろう。
 かなりの地位があったと見られる人の、全てに対する絶望とは?
「それは知らされていない」
「知らないの?」
 切火は拍子抜けして椅子の背に凭れた。
「というか、彼はそのあたりの事情は子孫には一切語らなかったらしい」
「時間が経つ間に忘れたんじゃなくて?」
ちょっと信じがたかった。
「…言いたくないけど、五百年前くらいって言ったら戦国時代でしょ?ああいう時代って、子孫にとっては親の仇?がいるかどうかって結構重要な所なんじゃないの?」
「うん。僕も最初はそう思ってた。けど、この歳になってから気付いたんだけど。多分彼は自分の子供たちに恨みとか、そういう負の感情を残したくなかったんだと思う。子ども自身に対してはなんの謂れも無いと思っていたんだろうね。だからこそかな。概要だけで他にはなにも言い遺さなかったっていうことがしっかり後世に残ってるんだよ」
 確かに。恨みつらみというのは過去の偉業以上にしつこく残るものだ。子供は親の言うことをまずは鵜呑みにする。自分自身に縁も由もなくてもだ。
切火はこれまでの平和な十八年を思った。
きっと彼が何も言い残さなかったことで自分たち子孫はなんのわだかまりを抱えることなく平穏でいられたのだろう。
目の覚めるような発見に、穏やかな波が心を打った。
「進歩的な人だったんだ…いい人だね。うちの先祖って」
 じんとした娘の様子に、士瀧も同意するように表情を和ませた。
「彼の名前も残ってる。『サイエン』だよ」
 士瀧は設置されたボールペンで、これまた置かれていたアンケート用紙裏に書き付けた―――『最炎』と。
(最炎。―――最後の、炎?)
 なんとも意味深な名前だと思った。
「ちなみに直接彼の手から鏡を譲渡された息子の名前は『切火』だよ」
「ふーん、そ……今なんて言った!?」
 最炎の二文字に食いいっていた切火は急に自分の名前が出てきて仰天した。気付くと士瀧はいつもの食えない笑顔を浮かべており、何か含みでもあるふうに口角を吊り上げている。
「切火っていうのは、今だから言うけど。ご先祖様の住んでた地域では跡継ぎの『男子』に与えられる名前なんだってサ」
 切火は瞠目した。
「わたしの名前って、…男用の名前だったの!?」
 叫んでからハッと息を呑む。これまで感じてきた数々の意味不明な反応が目まぐるしく脳内を飛び交っていた。
(まさか…、まさか、ローグがなんでいっつも性別を確認するのかとか疑問だったけど…、これが原因じゃあ…)
 有りうる。ああいう感じの世界観なら、平民、特に女性は字を習う機会など男性に比べると少ないのではないだろうか。
 続けざまに士瀧が「向こう側のあの湖周辺はご先祖様の地元でもあるらしいから、あの土地に住んでる人は大概知ってると思うよ」というものだから、ますます確信が深まった。
(それならわたしが字を書くたび変な顔してきたのにも辻褄が合うけど…)
 長年燻り続けた謎が思わぬところでネタバレし、微妙な気分が吹き抜けていった。
「で、話は最初に戻るけど、まあせめて鏡を残すなら多少なりともこの鏡が使えること、と条件が付き。何百年も経って血も薄れてからはそれ以前の問題になり。今では同じ目をした子孫に渡す、と…」
「力のある子供に鏡を残す…?」
 切火はふと閃く。
「てことは、わたしにも何か、その超能力みたいな力があるの?使えるの?」
わたしにもスーパーマンみたいな超能力が!?
期待に満ちた目で見詰めると、士瀧は至極あっさり首を横に振った。
つまり、NO。
ガックリしている娘の姿に、士瀧は労わるように言葉をつぐ。
「そうじゃなくても力が使える者はここ何代の間、父さんを除いて生まれてないらしい。切火ちゃんは残念ながら力は無いね。あ、ちなみにじいちゃんもなんにもないから。溯って三、四代くらいは普通の人だとは聞いてるかな」
「ちょっと待って。その言い方だと、父さんには力があるみたいに聞こえるんだけど?」
 いい加減なこと言ってるんじゃないだろうなと目を細めると、士瀧は柳のごとくそれを受け流した。
「少しね。どうも隔世遺伝みたいだ」
 まごうことなき肯定が返る。
「…『力のある』父さんから生まれたのにわたしはノーマルなの?ていうかお母さんも何かしら持ってたって言ってたよね。そっちはどうなの?」
自分で言いながら嫌な予感が脳裏をよぎる。
そんな娘の表情から胸の内が読み取れたのか、士瀧は哀れむようにこう言った。
「燿子さんのは所謂『霊感』らしくてね。質の違う力同士で相殺しちゃったんじゃないかな」
 完全に能力なしの判を押された切火は項垂れる。
(期待してたわけじゃないけど、ないけど…。なんか、すごく残念な気がする!)
 くぅっ、と悔しがる娘の姿に、士瀧は苦笑を漏らす。
 切火は力がないと残念がるが、士瀧に言わせれば力がないからこそ平穏でいられるのだ。
 特に向こうに行った経験から言わせてもらえれば。
(でもこのことを今の切火ちゃんに言ってもわかんないだろうなぁ)
 食事自体はすでに終わっていたので、士瀧は食器を片付けようと体を動かす。
 すぐ動きを止めた。切火が納得がいかないというように士瀧の服の裾を掴んでいたのだ。
「で、でもさ」
「うん?」
「どうしてなんの力もないのにあっちに渡れたの?それはどう説明するつもりよ」
「ああ、そのこと」
 士瀧はこともなく頷いた。
「あれはね、鏡にもとから備わってる力の影響でああいうことができるんだよ」
 そう言ってテーブル上に出されたままの鏡を指す。青い波紋の中から浮き上がるように士瀧の指先が映る。
 実際もう一本の指先を上下から突き合わせているように見える光景に、この鏡はこんなにはっきり物が映るのかと改めて魅入った。
 波紋の存在が負ければ、丸い枠の内側、テーブル中央に穴が開いていると勘違いしそうだ。
 そのとき、士瀧は少しだけ鏡を揺らした。微かな動作だったが、切火は瞬きをして銀色の真円から目を逸らした。
「…鏡その物の力ってことは、渡るだけならほかの人にも使えるんじゃ」
「それがそうでもない。この鏡はね、持ち主になれる人が決まってるんだ。さっきも言ったけど、僕たちみたいな―――こういう目を持っている人を『印持ち』と言うんだけど、この印持ちに残っている僅かな『血脈』を感じ取ってその持ち主を主と認識する。譲渡の際ご先祖様が『使える人』にと言ったのは、この辺が関係してるんだろうね」
 士瀧はあっかんべーをするように下瞼を下げて自分の目を指す。
「血脈…?」
「そう。そのわずかな部分に鏡は反応する。血筋っていうのは、こうなれば遺伝子かな?何百年経ってもどれだけ薄れても、たった一人の痕跡が残る。…それを聞いたとき、僕は少し怖かったよ」
 そう言うと士瀧は剥き出しの腕を軽く叩く
 切火はなんとなく、その下にある血管、ひいては血の流れを意識した。
(血筋の…痕跡)
 自分の腕を見下ろす。
士瀧に似た白い肌。この中を通うのは父と母の血であり、何百年も前に死んだ先祖の血。
古から生き延びてきた日本人である祖先の。
異世界から逃れてきた最炎の。
(わたしは、末裔なんだ)


 じっと考え込む娘を前に、士瀧は先ほど自分が言った言葉を思い返していた。
『それは知らされていない』
 この言葉は本当だ。しかし。
(僕は知っている…)
 そして父・焔一郎も。
 先ほど切火にも公言したように、士瀧には力がある。しかも、そこそこ強力な。それゆえに、向こうの世界とはとの係わりはここ数代の中でも最も深い。
 切っ掛けは若さからくる好奇心。無頓着で恐れ知らずな、蓋を開けたら何が現れるかも知らず……。
 結果を言うと、士瀧は真相に辿り着けなかった。録に文書も残らない向こうの文化圏では、五百年は余りにも遠すぎたのだ。が、かなり近いところまで肉薄することは出来た。
(だけど…)
 手にしたのは、あまりにショッキングな真実の一片。思わず焔一郎に打ち明けてしまったほど。反抗期でもあった当時は、父親に打ち明けるなど軽率の一言に尽きた、と己に憤った時期もあった。だが歳を取った現在では、あれが唯一最善の選択であったと思う。一人で抱えるには重すぎたのだ。
 彼が、いや彼らが受けた仕打ち、そしてその末路。
 それは何よりもおぞましく、惨いものだった。
 曲がりなりにも当事者である最炎は、よくこのことについて最後まで口を噤み続けることが出来たと、当時の士瀧は震えた。文字通り、彼は真実を墓の中まで持って行った。おそらく抱えていたであろうありとあらゆる感情、何もかも一切合財を闇に葬ったのだ。約五百年後の後世に子孫である士瀧が掘り起こすまでは。
 この事を知ったことを、今も昔も後悔していない。父もそれについては同じだと確信している。
ただこのことを娘に伝えるかといえば、否と答えるだろう。
 過去が捨て去られたと同じように、その出来事は当の時代の中で風化し、現在には痕跡らしい痕跡も残っていない。これは調査した士瀧が一番よく知っている。
(死人に口無し、とはよく言ったものだ)
 寝た子を起こさなければ、その存在を知るものは居ないのだから。
(触らぬ神に祟り無し…か)

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