人と言う字

「それを、紫杏に言ったんだね」


いつもより低い声音に扉を見れば、いつの間にか雲雀がいた。たしか雲雀は今日は麻依の定期健診のために付き添いで病院に行っていたはずだ。


「…雲雀さん。麻依は?」


雲雀の問いには答えずにツナは質問をする。


「検査は終わって、部屋によってからこっちに来るって」


「そう、ですか」


ふ、っと気を抜くように息を吐き出したツナ。そのツナに、雲雀はゆっくりと近寄ってくる。室内に雲雀の靴音だけが響く。それがツナの前に来ると足を止めた。
とまった足に気付いたツナが、ゆっくりと顔を上にあげ、雲雀を見上げる。


「君は」


ゆっくりと吐き出される言葉。


「今度はあの子から何を、奪う気なんだ…」


雲雀の瞳にわずかに揺れが生じていた。雲雀が瞳を揺らすなんて珍しくて、俺は目を見張った。雲雀は、紫杏について調べていた。最近はそんなこともなかったから、見つけられたのか何も見つけられたのかわからなかった。ただ、報告してこないところをみると、害はないのだろうということだけ。


ただ、雲雀が何かを知っていることは明白だった。それが、雲雀自身が調べたことなのか、それとも紫杏が雲雀に言ったのかはわからないが。


「…どういう意味ですか」


「そのままだよ」


ツナから目をそらし、瞳を伏せる雲雀。


「紫杏は、本当の母親に、声を聞きたくないと言われている。藪医者が言ってただろう。精神的なものだって。母親に嫌われたくないために、彼女は声を自ら封じた」


淡々としている口調とは裏腹に、雲雀の眉は少しだけ寄せられている。雨音が強くなった気がした。


「次は、何を封じるんだろうね」


嘲笑を浮かべる。その笑みはツナを見下すものだった。そして、自嘲の色も垣間見えた。


「そんなの、」


「するはずがない?」


ツナの言葉を奪うように雲雀が遮った。雲雀の唇が薄く笑う。その言葉は嘲っているような物言いで、ツナはぐっと言葉を詰まらせる。


「わからない?彼女がどれだけ“家族”というものに固執していたか。彼女が、どれだけの孤独を抱えていたか。…どれだけ、君たち夫婦を必要としていたか」


そうだ。紫杏はツナと麻衣に必死にしがみついていた。それでも、相手が迷惑そうなそぶりを見せたら即座にその手を離していただろう。紫杏はいつも俺たちの顔を伺いながら接していた。


決してわがままは言わない紫杏。いつの間にかフラリと消えてしまいそうな危うさを持っている。


「そんなの…、俺には」


「関係無いなんて言えるかい。だったら、もとから拾ってこなければよかったんだ。それを生半可な気持ちで犬猫のように拾ってくるから痛い目を見る」


雲雀の鋭い視線がツナを突き刺していた。それは、ツナを徐々に体を這い上り身動きを取れなくさせていっているようにツナの体は固まっていく。


「選択を誤ったね。沢田綱吉」


たっぷり間を開けて放たれた言葉。その言葉に、まるで崩れ折れるように手のひらで顔を覆い隠すツナ。それをツナがどのように感じたのかは分からなかった。雲雀が何を考えて、何を知っていて、そういった発言をするのかも俺にはわからなかった。


「赤ん坊、行かなくていいの」


雲雀を見れば、かすかに口元に笑みを浮かべていた。笑みを浮かべているにも関わらず、そこにはなんの感情も無い。


「……行ってくる」


俺は、うなだれて微動だにしないツナを置き去りに、その部屋を出た。部屋を出たところで麻依が歩いてくるのが見えた。徐々に大きくなっていく腹とともに、麻依も母親らしくなっていく。


赤い絨毯の上を確かな足取りで歩いてくる女。ツナが初めて本気で愛した女。


今、彼女に今日あったことを話しても大丈夫なのかわからなかった。正直、麻依がどこまで耐えられるのか、どこまでツナを支えることができるのかわからなかった。
これを知って、麻依がツナから離れることはないだろうとはわかっていた。しかし、亀裂が入らないともいえない。


「麻依」


「…何か、あったのね」


ただ、ツナを救うのはこいつしかいないと言うのは確かだった。


「ツナを、頼んだぞ」


俺は、麻依の横を通り過ぎ走り出した。この屋敷のどこかで泣いているであろう小さき者のもとへ。傍にいなくてはいけない。世話係を、任されているのだから。


そこまで考えたところで、ふと、違うなと思った。


でも、今そんなことを考えている場合ではなかった。


窓にはパラパラと雨がぶつかり雫となって窓を伝っていく。風は無いのか、外の木は揺れていなかった。


リボーンは再び走り出した。


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