悲しみの訳

任務から帰ってくると泣きじゃくるランボが飛んできた。断じてまだ何もしていない。そう、まだ。蹴ることも、銃を突きつけることもしていない。
泣きじゃくるランボがウザくて、蹴ってやろうかと思っていれば、そのまま足にしがみつき泣きつかれた。


普段、泣くことはあってもランボはリボーンに泣きつくことだけはしなかった。ライバルと勝手に認識され、攻撃を仕掛けてくることはあれども、だ。


「紫杏がっ!」


今、自分が来た方を指さし、紫杏が、ボンゴレが、を繰り返すランボ。何かあったなんてすぐに勘付いた。未だに泣きつくランボを無理矢理引っぺがし、走る。今、この時間ならツナは執務室にいるはずだ。


ようやくたどり着いた部屋の扉をノックすることなく勢いよく開ける。まず中に見えたのは部屋の中央で突っ立っている我らがボスの姿。


「顔もみたくない。出て行って…」


「おい、ツナ?」


次に見えたのは紫杏だった。ツナから一歩後ずさったかと思えば脱兎のごとくかけ出していく。
引き留めようと声をかけたが、気づいていないのか気づかないふりをしたのか、振り返ることなく走り去ってしまった。


追いかけようかと足を向けたが、それをはばかられたのは部屋の中の異様な空気だ。


リボーンが任務から帰ってくるころに、だんだんと頭上を雨雲が覆い始めていた。それがこの屋敷の上にも立ち込め、部屋の中を薄暗く陰鬱な雰囲気にさせていた。
部屋の中心に立ち尽くすボンゴレのボスは、どこか魂が抜けたように、窓を見つめている。


リボーンは一歩足を踏み出した。部屋に入ると、扉はその重さゆえに自動的に閉じていく。


「ツナ」


「……リボーン。おかえり」


いつもの言葉。任務から戻ってきたものに、幹部にかかわらずツナが必ず言う言葉だ。それは、ボスになったころ、皆にちゃんと任務から帰ってきてほしいからという願いから、いってらっしゃいとおかえりを必ず言うようになった。
それはとてもマフィアのボスに似つかわしくない感情。しかし、嫌いではなかった。それこそが、新たに求められたボスだったのだから。この腐りきった世界に求められていた、春の陽だまりのような感情だった。


しかし、今、ツナから発せられた言葉は同じ言葉にも関わらず感情のかけらもない声音だった。ぞっとするほど冷たい声。どこか喪失感も漂わせているそれに、気付かれない程度にリボーンは眉をよせた。ツナにまとわりつく見知った闇の気配にわずかに、背筋を冷たいものが駆け抜けた。


「…何が、あった」


ゆっくりと足を踏み入れて中に入っていく。注意深く部屋を観察するも、とくに乱れた様子もない。
はた、と足を止めた。部屋の中には、この部屋に似つかわしくない嗅ぎ慣れた硝煙の臭い。そして、濃い闇。


「何が、あったんだ?」


頭の中には最悪の出来事がリボーンの意思に関係なく想定されていく。ツナの足元にはツナが普段机の中にしまっている護身用の銃が落ちている。
あれが入っている引き出しには鍵がかかっていたはずだ。それはツナしか持たない鍵だ。


ツナはリボーンの質問に答えることなく傍にあったソファーに崩れるように座り込んだ。天井を仰ぎ、見るもの全てを否定しようとするかのように手の甲を目元に押し付ける。


ゆっくり足を動かし、その銃を拾う。銃口に指を当てればまだわずかに熱が残っている。ついさっき発砲された後だと分かる。


「…ツナ」


説明しろ。と詰め寄ると、目元から手をどかし、リボーンの方をちらっと見た。その顔には自嘲の笑みが浮かんでいる。


「聞きたい?」


こんなときにふざけてんのか、と言いたくなるような物言いだった。なぜそんなことを聞く、と胸倉をつかんで叫んでやりたい感情にとらわれる。一刻も早く状況を把握したかった。その感情を理性を総動員させ眉をしかめる程度に収めた。


「ああ」


普段通りな声で答える。その声音に、何を思ったのか、それとも思い出したのか、ツナは笑みをこぼした。


「今日、上層部から呼び出されてさ…」


「上層部から?」


「理由が何だと思う?」


自嘲するような笑みが濃くなる。どれだけ笑みを浮かべようと、それは泣いているようにしか見えなかった。長年の付き合いからだろうか、リボーンにはツナが表情を作っていても本当の表情が見えているような気がしていた。


口の中が渇く。無意識のうちに表情を消していた。


「前からなんどか麻依も呼び出されていた。それと同じ内容さ。……反吐が出る」


麻依が前から呼び出されていたのは知っていた。噂でも知っていたし獄寺からも聞かされていた。しかし、上層部にヘタに逆らうこともできず、それを分かっている麻依は仕方ない、と言って赴いていた。基本は世間話のようなのだが、時期ボンゴレボスとなるであろう麻依の腹の中にいる赤ん坊の育て方や、上層部の望む道を説いて聞かせるものだった。


麻依は、ボスになるかならないかは本人の意思に任せると言って頑として譲らない。それはツナも同じ意見のようだし、幹部も俺もそれでいいと思っていた。
子育てはツナと麻依の夫婦の問題だ。それにこの二人が、自ら闇の中に子供の身を置かせようとは思わないことは長年傍にいただれしもが分かっていた。


しかし、それが上層部には面白くなかったのだろう。それから世間話の中で嫌味を言われ始めるようになった。麻依が任務に行かないこと、書類整理しかできないこと、普段麻依が自分のふがいなさを感じている部分をことごとく厭味ったらしく言ってくるのだ。


「紫杏のこともね、言われたんだ。前に話しが出ただろう?まだ紫杏が来て間もないころ」


ツナが紫杏を養子にしようと決めた時の話しだ。


「同じようなことを言われたんだ…。それをなんとか躱して、帰ってこようとしたら銃声が響いた。部屋に戻ってみたら、俺の銃を握っている紫杏がいた」


抑揚のない声で淡々と話すツナ。その瞳はどこを向くでもなくぼんやりとしているようだった。


「カッと、なったんだ。なんで、こんなにも俺はマフィアから守ろうとしてるのに、自分で銃を持つんだって。それで…、殴った」


ツナは、自分の目の高さに手を持ってきてそれを見つめる。


「殴ったんだ…」


再び呟いたツナの声音は震えている。俺は、知らないうちに拳を握りしめていた。


「最初、さ、紫杏を見つけた時、超直感で何かある、連れて行かないとって感じたのと同時に使える、っておもったんだ」


一人、話し始めるツナ。その声は部屋の中に響きすぐに跡形もなく消えていく。


「その頃は、麻依もまたいろいろ言われてただろ?気に病んでいたから、自分より弱いものがいたら心を強くしていられるんじゃないかと思ったんだ」


「利用、したのか」


リボーンの呟きに、リボーンがいることを今思い出したかのように彼を見た。そして、わずかに顔をしかめる。


「違う、とは言い切れないね。全部、利用した。上層部が動くことも想定済みだった。動いてくれないと困る。それが原因となって紫杏を引き取れば、いい理由になる。麻依も、上層部から守ろうとするだろうから…」


窓に雨粒がぶつかる音がする。その音は少しずつ増えていき、やがてひっきりなしに聞こえてくる。蝉時雨だ。


「だから、家族にした」


その声は酷く耳に残った。電気がついているにも関わらず薄暗く感じる部屋の中で、その声は、水を含んだ洋服のように体にまとわりつき動きを鈍くさせる。


「そうしたら、麻衣は紫杏のために笑うから。麻衣が俺の隣で、ちゃんと幸せそうに笑ってられればそれでいい。それでよかった…」


手で顔を覆い隠すツナにはボスとしての威厳はなかった。そこにいるのは、沢田綱吉という男だった。麻依を想う気持ちは、傍から見れば異常なほどの執着のように見えた。
それだけ、この男は麻依をよりどころにして、この世界を生きてきたのだ。


「なのに、それだけじゃすまなかった。麻衣も誘拐され、怪我を負って…。俺の中心は麻衣だけ。俺の愛情は麻衣にだけ…」


平凡な生活を渇望していた少年は、非凡へと変わっていく中で変わらずに傍に居続ける麻衣という愛しい存在に縋りついていたのだ。体にまとわりつく闇に狂気で狂いそうになりながら、必死に自身を保っていた。そうやって、保たせていたのは麻衣だったのだ。


「麻衣が喜ぶならいくらでも愛せた。愛そうと思えた。愛したふりだってできると思った。でも、もう…、壊れた。俺は…」


ふっと、扉の外に気配が近づいてくるのがわかった。それが誰なのか分かったとき、ツナの言葉を止めようとした。
しかし、リボーンが口を開く前に、ツナはそれを口にした。


「もう、紫杏をどう愛せばいいかわからない」


静かな室内に響いたツナの声は、今までのどの言葉よりもはっきりと聞こえてきたように感じた。扉の外で物音がしてタッタッタと走り去っていく音と気配。その小さな存在が、今どんな表情をしているのか容易に想像できた。


「ツナ!」


責めるようなその声音に、ツナはただ微笑むだけだった。


「もう、自分の子供だと思うことはできないんだ…。どう頑張ったって、頑張ってみたってダメだった。麻依に害をなすものなら、俺は、それがたとえ誰だろうと殺せると思う」


ツナの目がまっすぐにリボーンを射抜いた。その言葉は、案に紫杏でさえも殺せるのだと語っていた。


「だから、…あんなことも言ったのか?顔も見たくないって…。それをどんなふうに感じ取るか分かっていて」


「殺せば、麻依が悲しむだろう。それは避けたかった」


端的に答えるツナは、本当に麻依しか念頭にないようだった。麻依を中心に考え、その周りに、その端っこに紫杏がいる。そこから紫杏がはじき出されようと、中心の麻依に影響がないのなら気にも留めないのだろう。


そんなことわかっていた。ツナの中には麻依しかいなくて、その麻依が紫杏を大事に思うからこそ、父親役を演じていたのだ。かりそめの家族を作り上げていた。それでも、紫杏は不器用ながらに家族を守ろうとしていたし、俺自身もそれをわかって支えていきたいと思っていた。


仮初とわかっていても、あの奈々の子供だ。麻依もいる。ツナなら家族として受け入れるんじゃないかと思っていたのだ。その浅はかさが、紫杏を傷つける結果になったのだ。


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