肌で感じる予兆

お父さんの部屋のソファーに座って、絵を描いていた。今日、リボーンは任務で、お母さんは今は病院へ行っている。定期健診というやつらしい。お父さんもついて行くと言ったけど、お父さんは今日中にしなければいけない書類があるために止められていた。


代わりに行ったのは雲雀さんだった。雲雀さんは、お母さんにはわりと優しい。


「はあ、なんでこんなにも書類があるかな…。第一、今の時代、パソコンが主流だろ?なんで紙なんだよ。おかげで手が痛い…」


今まで1時間ほど書類整理をずっとしていたお父さん。どうやら集中力が切れてきたようで、愚痴を言い始めていた。でも、確かに、書き続けていたら、手が痛くなる。それに、今はパソコンなのも確かだ。


現代では、パソコンが主流になり、どこの会社に行ってもパソコンで書類を整理している。だから、漢字が書けなくなるんだとか言われているんだけどね。それ以前に、私はいままったく感じが書けないんだけど。


「ハア。紫杏は今、何かいてるの?」


話しかけられ、描いていたものから目をあげた。お父さんの方を見れば、後ろの大きな窓から入ってくる光によって逆光となり、影になって顔が見えなかった。


私は、描いていたページの次のページを開き、言葉をつづる。


[しごとしてるおとうさん]


「俺?」


[まだできてないから、みせないよ]


「そんなこと言わずに、見せて?ね?」


[だめ]


そう言われると、なんとしても見たくなるなあ。というお父さんの呟く声が聞こえ、慌ててスケッチブックを腕の中に抱えた。お父さんから守るように、スケッチブックを持っていればそれを見たお父さんが笑い始めた。


その笑い声で、からかわれたのだと気づき、むすっと唇を尖らせる。


「ごめんごめん。あまりにも必死だったから」


未だに、笑いがおさまらないのか喉の奥で笑いを洩らすお父さんをじっと見つめる。


「もう、見ようとしないから。だから、出来上がったらみせてくれる?」


コクン、とうなずけばお父さんが笑った。


とても、ほのぼのとした空間だった。空気も、何もかもが和んでいるようだった。


と、その空間をがらりと変えるように室内に電話の機械的な音が鳴り響いた。


再び絵に向かっていた視線をお父さんに投げる。お父さんと目があった。神妙な顔をするお父さん。


たぶん、その時には既に運命といえるものが動き始めていたんじゃないかと思う。


それは、私がお父さんに出会ったように。


この世界に来た時のように。


ママが、目の前に立った瞬間のように。


目があったのは一瞬だった。すぐに、お父さんは机の上に置いてある業務用の黒光りする電話に視線を向け、受話器を取った。
耳に押し当て、イタリア語で声をかける。


後ろの大きな窓から差し込む光が、お父さんを包み込む。若干逆光になってはいるが、お父さんの表情はうかがえることができた。


さっきまであった、穏やかな表情はなりを潜め、今は険しい表情をしている。もとが整った顔をしているからか、その表情はとても固く見え、それが怖いと感じさせる。
ハニーブラウンの髪は最近切っていないからか襟足が長くなっている。


話し終わったのか、受話器を置いたお父さんは、無言で立ちあがった。それをただじっと見ていると、部屋を出る寸前に、ドアに手をかけたまま振り返らずにお父さんは口を開いた。


「…大人しく、待っててね」


感情なんてかけらもないような声音だった。私は、見ていないと分かっていても、うなずかずには居られなかった。ちゃんと待ってるってことを証明しなくてはいけないと思った。


私の答えなんて最初っから聞く気などなかったのだろう。お父さんは、こちらを一度も見ずに部屋を出ていった。
パタン、と軽い音を立てて閉まる扉を見つめる。大きなそれは、今の私の3倍ほどの大きさがある。両開きのソレは、とても重厚そうでその先に廊下があるなんて、初めて来た人は思わないだろう。


しばらく、そのまま固まったままでいたが、ピーヒョロロというトンビの鳴き声が聞こえ、我に返った。お父さんが何を話していたのかはわからないし、何があったかなんてわからないけど、待っていてと言われたのなら、待ってなくちゃいけないんだろう。


ゆっくりと体を戻し、机の上に置いてあるスケッチブックを見る。
大きな窓を背景に、机に向かっているお父さん。既に下書きとして描き上がったそれを本書きしていく。これは、なんとなく色付けもしてしっかりと仕上げたかった。というより、久しぶりにちゃんと絵を描こうと思い立ったのだった。


最近、色々とあってちゃんと色をつけた絵をかけていなかったから。


室内に、紙の上を走るペンの音だけが響く。ゆっくりと、でも着実に仕上がっていく。色は、今回は色鉛筆だ。ついでにいうと、水をつければ絵の具のようになるという色鉛筆だったりする。
でも、今回はただの色鉛筆として使うんだけどね。


しばらくして、出来上がった絵を目の高さに掲げてみる。我ながら、上出来、かな?あとはこれをお父さんに見せればそれでおしまいだ。


ずっと同じ体勢で描いていたせいか、固まってしまった背筋を伸ばす。ぐっと手を上にあげて体を伸ばすと、ぽきっという音がした。
その音に、思わず背中を丸める。


さて、と部屋にある時計を見てみれば、結構時間がたっていた。でも、まだお父さんは帰ってこない。


絵も仕上がってしまったし、やることがなくなった。


ふ、とお父さんがいつもつかっている机に目が行く。衝動のままにソファーから降りてそこに近づいた。お父さんの座っている黒革の回転イスは、背が高く私の身長ぐらいある。椅子の上に立って、やっと顎が背もたれの上にのせられるぐらいだろうか。


その黒革に触れてみれば、太陽の光を浴びてほのかに熱を持っていた。そこに手をついて、体を頑張って持ち上げる。


体をひねり、そこに座ってみれば、お父さんが見ている景色が見えるかと思えば、目の前には机の引き出ししか見えなかった。
座高が足りないんだ…。
膝たちになってやっと机の上がのぞけた。


その机の上にはやりかけの書類らしき紙が、文鎮によって抑えられている。そして、高そうな万年筆が転がっていた。


目の前に広がる様子に目を奪われていた時、カチャ、と扉が動いた。


お父さんが返ってきたのかと思って、扉の方に視線をやるけど、少しだけ開いた扉の隙間からお父さんの姿は見えない。それどころか、誰の姿も見えなかった。
じゃあ、誰が、今ドアを開けたんだろう。
首を傾げいていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。


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あきゅろす。
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