儚きアレコレ

「紫杏ー!」


懐かしい声に振り返る。そこには、パパとママがいた。野原でシートの上に座っているママ。そして、グローブをてにつけているパパ。私は追いかけてきたボールを手にとって、ママの方へと勢いよくかけ出した。


「ママ!」


ああ、これは、昔の記憶をみているんだ、と17歳の私が冷静に判断する。幼い私はママの方へとかけていくと、ボールを渡した。そして、ママはそれを受け取ると立ち上がってパパの方へと投げた。
でも、そのボールはパパの持っているグローブに収まることなく頭上を通り過ぎていってしまった。


「キャーっ!ごめんー!」


幼い私はママのそのボールを見て、笑い転げている。パパはそんなママに苦笑しながらも飛んでいったボールをとりに向かった。私はそれを見て、パパの跡を追いかける。
野原を走って、風を感じて、はやく続きがしたくてパパの姿を探した。


野原で一人たたずんでいるパパを見つけた。私は駆け寄ろうとするけど、突然振り返ったパパが険しい顔をして、私の腕をつかんだ。そして、突然、パパの後ろに人影ができた。


「やめろっ!」


パパが叫ぶ。私は助けなきゃっ!っておもうのに動けなかった。足を見れば、何かに囚われている。黒い何かはゆっくりと私の足を這い上ってくる。


「パパ!」


叫ぶのに、パパの姿は見えなくなった。その代わり、部屋の中に真黒な服をきて、金髪の男性がたたずんでいた。その男は私に向かって何かを言うと静かに歩いていってしまった。足から這い上ってきていた黒い何かは、私の首元まで来たかと思ったら、私の体全体を飲み込んだ。


携帯のバイブが鳴る。ひっしに押すのに、そこから聞こえるのはママの声だった。違う。聞きたい声はこれじゃない。


「…なんで、アンタが…」


「お父さん!お母さん!」


必死にお父さんとお母さんを探す。リボーンも雲雀さんも骸もランボも隼人もたけにいも良平にいも誰もいない。ただ真っ暗な中に携帯電話と私だけ。そして、携帯電話から聞こえる声は、もうくるってしまったあとのママの声だった。


「なんで、あんたが……ジジッ―――のよ。あん…ジジッ…死ねば………に!」


冷たい感触が体全体を覆い尽くす。うける暴力にただ、私は堪えていた。ごめんなさい、ごめんなさい、と何にあやまっているのかもわからずに、ただ、謝らなければいけないと“わかって”いた。







「…ん、……ちゃん、紫杏ちゃん…」


優しい声に呼び起されてゆっくり目を開ける。そこには、“お母さん”がいた。ゆっくりと視線を周りにやれば、ここが、まだあの屋敷の中だということが分かる。最後に、もう一度お母さんへと視線を向ければ、お母さんは安堵したように息を吐き出した。


「よかった。起きないから、心配したのよ…」


私は、体を起き上がらせる。痛む体を見下ろせば、洋服は薄汚れていて、膝はすりむけて血が滲んでいた。他にも、脇腹とか、肩とか痛むところがあるけど、これといって重傷というわけではないみたい。まあ、ママの虐待に比べたら、ね。


「紫杏ちゃん。これ、ほどける?」


後ろ手に縛られているお母さんの腕。その紐に手を伸ばす。結構固く結ばれていて、子供の力ではなかなかほどきにくかった。それでも、少しずつ少しずつずらしてほどいていく。ようやく紐がとれて、お母さんは赤くなった手首をこすりながら小さく息を吐き出した。


「…ここ、どこだろうね」


私は、書くものを探したけど、あいにくと連れ去られたときにスケッチブックはおとしてきたみたいだ。


「?あ、書く物がないの?」


コクン、と一つうなずく。お母さんは私を抱き上げると、自分の膝の上に座らせた。ずっと、地面に横たわっていたせいで冷たくなっていた体が、お母さんの体温で温まっていく。お母さんの甘い匂いが、とても落ちついた。


「大丈夫。絶対に綱吉たちが助けに来てくれるよ」


そういって、ぎゅっと抱きしめるお母さんは、私の頭を優しく撫でてくれた。


「って、言っても、携帯は壊されちゃったみたいだね…」


私は、口ぱくでごめんなさい、とあやまった。それに気付いたのか、頬笑みを浮かべて、またぎゅっと抱きしめてくれる。


「大丈夫よ。大丈夫」


私も、お母さんの背中に腕をまわしてぎゅっと抱きついた。過去のことは何も考えたくなかった。今は、まだこの温もりに甘えていたかった。


「よし…。とりあえず、脱出してみようか!」


ぐっと拳をつくってそういったお母さんを見上げて、首をかしげる。


「じゃあ、まず外に出れそうな場所を探そうか」


大きくうなずいて、お母さんと手をつなぎながら探す。とりあえず、あの男たちと入ってきた場所にお母さんを連れて行ってみる。そこは、よく注意してみなければただの壁として見落としてしまいそうな場所だ。開いたところを見たから私はわかるけど、お母さんは見ていないから分からないと思う。


ここ、っと示すように指をさせば、扉をみるお母さん。その扉のわきには小さなボタンがいくつかある。


「ここは、扉?」


うなずけば、再び視線を元に戻すお母さん。


「うーん…。部屋に監視カメラは無し。ここが、どこかもわからない…、か」


そうつぶやくお母さんの腕を引く。ん?と首をかしげて見下ろすお母さんに、私は自分の頭に銃を突きつける真似をする。それを見て、首をかしげるお母さん。


これじゃあ、伝わらない。とわかったので、つぎは、ドレスをきていると見せるように、スカートを少し持ち上げてひらひらさせる。でも、お母さんはやっぱり分からない。


「紫杏ちゃんは、何がいいたいの?」


なんで、書く物がないってこんなに不便なんだろう!!


私は、お母さんにここが、前に来た場所だということを伝えようとしているんだけど、なかなか伝わらない。
なんか、書く物ないかな…。


あたりを見回してみる。鉄パイプがむき出しになった天井。コンクリートの破片が落ちている壁際。部屋の中には、屋根を支えるための柱が4本立っている。壁には、どうあがいても届かないだろう場所に小さな窓がついていて、そこからだけ、光が入ってきている。


私は、落ちているコンクリートを拾って、地面にこすってみた。こすった場所が、白くなった。それを利用して、文字を書く。


[ぱーてぃーがあったばしょ]


「パーティー?あ、この前の??」


コクン、とうなずく。


「でも、こんな場所、あったかしら…」


[なぞのくうかん。そとからはいった]


「外から…。そういえば、変な空間あったもんね…。でも、ここからは出れそうにない、か」


お母さんは、その場にゆっくりと腰を下ろした。


[おとうさんが、しんぱいしてた]


「綱吉が?」


[でんわで、すこしはなした]


「そっか。怒られるかもね。綱吉に」


[きらわれる?]


「どうして?」


[りぼーんにきらわれた]


あの、パーティーからずっと話してない。リボーンはお仕事とかで忙しいのかもしれないけど、いつ行っても、リボーンはいないんだもん。避けられてるんだと思う。きっと、パーティーのときに人質に取られちゃったから。


「そんなことないと思うけど?」


[ひとじちにとられたから、きらわれたの]


そう書いたら、お母さんはきょとんとした。
でも、それしか考えられない。だって、パーティーの後からだった。いくら、会いに行ってもリボーンはいない。タイミングの問題とかじゃないと思う。


「紫杏ちゃんは、白いからね」


首をかしげる私に、お母さんは優しく頭をなでた。


「白いとね、触れるのをためらっちゃうのよ。自分の手で汚してしまいそうで、怖くなっちゃうの」


[おかあさんのほうが、しろい]


「肌の色じゃ無くて、心の問題。純粋って意味よ」


そう言って、ニコッと笑った。


「大丈夫。ちゃんと、伝えればリボーン君に伝わるわ」


私を引き寄せて、そう言ったお母さんの声は酷く優しいものだった。安心して身をゆだねてしまうその声音に、私はゆっくりと瞼を閉じる。瞼の裏でチカチカと光る過去。もう一度目を開けてお母さんを見上げれば、オレンジの暖かな光がお母さんの顔を照らしていた。


「もうすぐ、日が暮れるね。ここも暗くなっちゃうし、そうなる前に、なんとか脱出してみよっか」


そういって、立ち上がったお母さんに伴って、切り傷で痛む体を立ち上がらせる。男たちに殴られた頬が痛んだ気がするけど、今はそんなのどうでもよかった。


「……風が、下に行ってる…」


不意に呟いたお母さんは、ふらふらと窓とは反対の壁際へと移動していく。
風なんてあるだろうか?そう思って首をかしげる。でも、ふいに、お母さんに向かって風が吹いた気がした。首筋を通っていく冷たい感触に身を震わせる。窓を見上げれば、少しだけ見える空が茜色に染まっていた。もうすぐ、日が暮れる。


「紫杏ちゃん!あったわよ!」


お母さんの声に、振り返れば、瓦礫をどけた先に通気口のようなものがあった。お母さんはそれを蹴り飛ばして外す。そこは、人が一人ようやく通れるような大きさだった。


お母さんの隣に行く。私なら余裕で通れるだろう。でも、そこはずっと奥まで続いていて、どこにつながっているのかもわからなかった。ここを出れば、出口は敵陣の真っただ中だろう。ここにいれば、お父さんが助けに来るかもしれない。でも、この場所までは分からないんじゃないかな。


行くのか行かないのか、お母さんはどうするのかと見上げれば、彼女はじっとその通路を見つめていた。


「綱吉…。………行くも地獄。行かぬも地獄。それならば、行くにかけましょうってね」


私を見下ろして、ニコリと笑って見せるお母さん。何かの台詞のような言葉に私は首を傾げた。


「大丈夫。私も護身術くらいできる。これでも、マフィア界最強のボンゴレのボスの妻よ?こんなところで、指をくわえて待っているだけなんてできないわ」


それは自分に言い聞かせているようにも聞こえた。彼女は、自分の左手の薬指にはまっている銀の指輪に一つ口づけをすると、決心したように通路に向いた。


「じゃあ、私から先に行くよ?」


コクンとうなずくと、彼女は、身を低くして中へと入ろうとする。


そのときだった。一つしかないはずの扉が開いたのは。驚いて扉の方を見れば、人工的な明かりの中に、お盆を持った男性がいた。私と目があうと、ハッとしてお盆を投げ出し、銃を構えた。


無意識だった。


私は通気口の中へと入ろうとしているはずのお母さんを守ろうと両手を広げて立ちはだかった。それなのに、いきなり後ろから腹部に腕が回ったと思ったら、発砲音と、短い悲鳴が頭上で聞こえた。


「ああっ!」


男がイタリア語で何かをまくしたてる。もう一度鳴った発砲音に、体をびくっと震わせる。今度は悲鳴は聞こえなかった。その代わりに、何かがガシャンと音を立てる。


男はそのあと、せせら笑うと、もう一発銃を放った。


「ぅあっ!」


短い悲鳴が聞こえて、次はそれがお母さんの声だということを認識する。男が何かを吐き捨てると、再び人口の灯りの方へ向かい、その扉が閉められた。


真っ暗な中、目は慣れて人影を認識できる。静かな部屋に荒い息遣いが聞こえる。私の腹部に回っていた腕はするりとほどけた。


通気口へと目を向けると、お母さんが開けたはずの格子は再び締めなおされていた。私は、それにかけよって、揺すってみるけれど、頑丈なそれはひ弱な私の力ではどうにもできない。


ズル、ズル、と何かを引きずるかのような音に、そちらに視線を向ければ、お母さんがゆっくりと壁に寄りかかって深い息を吐いていた。
いつのまにか沈んでしまった陽。唯一の明かりであったそれをなくして、お母さんの状態がいまいちよく把握できなかった。
うまく回らない頭は、私の行動を停止させる。


この場所に、私ではない人からの荒い呼吸音だけが響き渡る。その呼吸音が、私の鼓動を速くした。緊張に手のひらは冷たくなり、背中に嫌な汗が伝う。私の後ろからゆっくりと白いほのかな明かりがさしていく。月の光だということを認識したのは随分と後だった。


その光は、その呼吸音までたどり着くと、その人物を照らしだした。


そこには、投げ出されたあし。そして、地面に溜まる赤い水。だらりと降ろされた左腕。その左腕にも赤いものが伝っている。右手は、左肩を抑えるようにして添えられていて、顔には玉の汗が浮かんでいる。


さっきの銃声。そして、悲鳴。撃たれたのはお母さんなんだ、と理解するのに、さらに数十秒を有した。


この静寂が嫌で、口を開くも、喉が震えることはなかった。お母さんはただ、荒い呼吸を繰り返しながらも、視線を宙に漂わせている。


「―――……つ、なよ、し…」


ふっと、目が消えるかのように瞼を閉じたお母さんは、それ以上動こうとはしなかった。ドキドキとうるさいくらいになる心臓の音が耳に届く。私は、震える足をゆっくりと前に出して一歩、また一歩とお母さんに近寄る。


うまく動かない体は、まるで壊れたロボットのようだ。お母さんの体を目の前に、ぎこちない動きで、その心臓部分へと手を伸ばす。ゆっくりと触れれば、服の上からわずかに温かみが伝わってきて、泣きそうになった。


かすかではあるけれど、鼓動が手のひらに伝わる。


生きている。


それだけで、全身の力が抜けそうだった。その場に座り込んで、荒い息遣いをするお母さんを見つめる。傷口を見れば、殺傷能力は低いものであったのか、足の血は止まりかけていた。もしかしたら、かすっただけなのかもしれない。でも、肩の血は止まろうとはしなかった。


肩を抑える右手からあふれ出し、左腕を伝って地面に赤い塊をゆっくりと広げていく。


止血をしなければ、と考えがたどり着いたのは、数秒後だったかもしれないし、数分後だったかもしれない。


ただ、そう思い立った瞬間、この場所全体が揺れたのだった。


[←*][#→]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!