ふと、目が覚めた。まわりを見れば、私のもともとの部屋だった。お父さんや、お母さんがいる場所じゃ無くて、ママと暮らしている家。なんで…。 そんな考えだけが頭の中をループする。 戻ってきてしまったのか。それとも、あの暮らしそのものが夢だったのか。夢だったならば、なぜ、あんな、幸せな夢なんかを見せるのか…。 シン、と静まり返った部屋が、いつも感じていた虚無感を思い出される。嗚呼。部屋はこんなにも、静かだったね。 「おと、さん…。おか、さん…」 久しぶりに聞いた自分の声は、どこか、他人の声のように聞こえた。 ここには、あの温かな空間は無い。ここには、あの空虚な時間しかない。何も見ないように、ずっと殻に閉じこもっているばかりの私がここにいる。ここにいた私は、ずっと、殻に閉じこもっていた。 不意に扉が開いて、手がにゅっと出てきた。扉の向こう側には暗闇しかない。さしだされている手は、ママのものではなかった。男の人の手。とても、大切な、大切な…。 私は、ベッドから飛び降りて、その手に向かって手を伸ばした。その手は、私が伸ばした手をしっかりと握ってくれて、離してしまわないように力を込めて握る。 その温かさに安堵していると、ふいに、掴んでいた手が、私の手をそっと離した。いやだ。行かないで。おいていかないで! 必死に手を伸ばしているのに、私の体は動こうとしない。足は地面に根を生やしたように動かないし、体は重くていうことを聞いてくれそうにない。嫌だっ! 「!?」 男の人の吃驚したような声に、私は目を瞬く。近くには、白いスーツを来て、無精ひげをはやし、隼人みたいに前髪を分けている髪型をしたおじさんがいた。 「大丈夫か?点滴が変な所に刺さった感覚は…あー」 途中までそう言って、めんどくさそうに頭をかく。私は、未だに状況の確認ができなくて、男の人を見つめたまま固まっていた。 「腕が変に痛かったりしねーか?」 うで? 腕を見てみれば、白いテープが管を抑えるように私の腕に張られていて、その先を追えば、点滴がつるされていた。 とくに、変な感じもないから首を横に振る。 「怖い夢でも見たか?」 その問いに、首をかしげる。何か夢を見たような気はしなくもないが、何を見たのかは覚えていない。瞬間記憶能力というのはあっても、所詮夢は夢。他の人と同じように、夢に関してはあまり覚えていないことが多い。 「とにかく、寝てな。今、ボンゴレ坊主に知らせてくっから」 一人にはなりたくなくて、服の裾を引っ張る。そうすれば、もちろん違和感を感じたのか、彼は振り向いて視線を向けてくる。 とっさに、用事が思いつかなくて、少し視線を泳がせたとき、机の上に置かれるスケッチブックを見つけて、それを指差す。 そうすれば何か納得したのか、それを拾ってきてくれて、私はすぐに開いてペンを走らせる。 [だれ?] 「医者だ」 [なんで?] 「?」 これだけじゃ伝わらなかったのか、お医者さんは疑問の視線を向けてくる。私は、同じページに言葉をつけたす。 [なんで?おいしゃさんがいるの?] 「なんだ、覚えてないのか?慣れない環境での疲れが出たんだろ。熱を出したんだ…」 あ、そういえばそうだっけ。お父さんがすごく心配してたかも…。 [ありがとう] 「もうちょっと寝てろよ?今薬が効いてくるからな」 その言葉にコクリとうなずく。 [りぼーん、いる?] 「さっきまでいたけどな…。ヤローに関しては興味がない」 ヤローって…。お医者さんはすごくめんどくさそうにそういった。 なんだ、いないんだ。独りになるの、嫌だなあ…。 「リボーンが好きなのか?」 「!?」 「色男は大変だねえ。どうせならオレにしとかない?紫杏ちゃん美人だから、将来有望!それにオレなら職も安定だぜ?」 「5歳児相手に何口説いてるのさ」 返答に困っていると、第3者の声が聞こえてきた。扉の方をみると、いつのまに入ってきたのか、それとも、いたのに気付かなかったのか。雲雀さんがいた。 「おいおい、診療中は立ち入り禁止だ。それに、ヤローがいるとやる気がうせる」 「そんなの知らないよ。で、僕が聞いたことはどうだったんだい」 「……今からだ」 「そう、早くしてよ。廊下で待ってるから」 「暇なら、目が覚めたっていってこい」 「嫌だ…、といいたいところだけど、そろそろ抜け出してくるだろうからね。噛み殺すついでに行ってきてあげる」 噛み殺すって、雲雀さん…。雲雀さんは意味ありげな視線をよこして、外へと出ていった。 [たのまれたことって?] 「あー、その、なんだ。これでも医者だからな。声、出ないんだろ?」 あー、なるほど。そういえば、出ないんだよね。ここに来てから突然でなくなった声。 私は、自分の喉を確かめるように喉元に触れた。 [とつぜんでなくなった] 「じゃあ、あー」 お医者さんは口を大きくあけて、私はそれのまねをする。口のなかをライトで照らされて、中を見ている。 「とくに、喉には何もねーな。声はもとからか?」 その問いに、首を横に振る。 お医者さんは、私の腕に刺さった針をそっと抜く。抜いた場所からは、少しだけ血が出てきたけど、小さな白く四角い絆創膏を貼ってくれた。その絆創膏には、かわいいクマのシールが貼ってあって、なんだか、彼とは印象が会わなくて、少し驚いてしまった。 昔よくあったよね。どのシールがいい?って聞かれて、これー!って看護婦さんにいうの。そのときには、もう注射の痛みなんて忘れてるんだよ。そんな子供だましにひっかかっていたころが懐かしい。今でもシールが張られていると、ちょっとうれしくなるのは秘密だ。 「声が出なくなる前、なにか変ったことがなかったか?すごくショックなこととか…」 ショックなこと…。 声が出なくなったのは、お父さんに会う前から。その前は、私は元の世界で自分の部屋にいた。なぜかいつのまにかここにきて…。 ショックなこと。あった。あったけど。それをいうのか…? 私は、どう話せばいいかわからなくて、視線をさまよわせていると、何かに気付いたのか、何かを思ったのか、彼は私の頭をポンポン、となでてくれた。 「今日はここまでだ。ゆっくり休めよ」 お医者さんはそういうと、部屋を出て行ってしまった。とたんに、静かになる部屋。 静寂が耳に痛い。気を紛らわすことをしたいけど、それよりも、体がだるい。熱をだすなんていつぶりだろう。ここ最近、といっても17歳のときだけど、そのときは熱をだしても、自分のことは自分でしなきゃいけなかったから、大変だった。 でも、逆に独りということをつらさで紛らわせていた気がする。今は、それができない。 ああ、そういえば、夢をみたんだっけ。とても、さびしい、夢を。独りは慣れていたはずなのに、ここは、それを忘れさせる。 「紫杏」 ハッと、なって顔をあげれば、またまたいつ入ってきたのやら、雲雀さんがいた。 「やぶ医者とそこであったけど、その声、精神的なものだって。何があったか心当たりあるんじゃないのかい」 雲雀さんは、私が17歳であることを知っている。だから、こんなにも、はっきりと真実を言ってくる。一応5歳児相手に、なんてことをいうんだとは思わなくもないんだけど。 やっぱ、しゃべらなきゃいけないかな…。 「君はどうせ、綱吉たちには言わないつもりだろう?」 その言葉にうなずく。言って、嫌われることが怖い。それが、一番怖い。この世界では、今の、私の世界では、お父さんとお母さんが中心に回っていて、この現状がとても、大切だから。 「どうして、しゃべれなくなったか、心当たりぐらい、あるんじゃないのかい」 思い出すのは、嫌な記憶。それでも、私は鮮明に覚えている。覚えることしか知らない私。忘れることを知らない私。なぜ、こんな風に産まれたんだろう。なぜ人と違うんだろう。そう思ったことはなんどもあった。 それをいくら考えても、答えなんてでなかったし、誰も与えてはくれなかった。 [わたしが、ここにくるときのようす、おぼえてる?] 「君の親に殴られて、気づいたらこっちにいたってやつかい?」 うなずく。私は、親にスタンドで殴られて、気づいたらここの世界にいた。5歳になって。 [このすがたになったときは、もう、はなせなかった] 「ふーん…、じゃあ、君の母親かい?原因は」 その言葉に、雲雀さんから視線をそらす。それを、認めてしまうことは、本当にあの世界を、ママを手放すことになってしまうようで、なんだか、できなかった。 [ままに、いわれたの] 雲雀さんは、じっとこちらを見据えている。切れ長の目が、射抜く。ペンを持つ手が震えた。 ママに髪を鷲掴みにされて、無理矢理上を向けられて、ママの狂った目が見える。拳を振り上げる。真っ赤に塗られた長い爪がキラリと光った。 [ばけものめ!] 髪をふりみだして、化粧も崩れていた。ママは、俯いて、目が見えなくなる。 [あんたに、ままなんていわれるすじあいないのよ…。こえをきくだけでもきもちわるい…] ママは小さな声で、それでもはっきりと聞こえるぞっとするような声で、そういった。私を睨んでくる目は、昔のママの目じゃ無かった。 そして、スタンドを持ってきて、それを振り上げる。ヒステリックに叫びながら落とされるスタンドに、私は目をつぶった、その瞬間――― 「紫杏」 「!!」 ハッと、なって、顔を上げれば、雲雀さんが私の肩を揺らしていた。 「もう、いい。この紙はもらってくよ。バレたくはないんだろう?」 私が言葉を書いた紙をスケッチブックからちぎり取って、懐へとしまう。私は、その言葉にうなずく。 「ああ、来たね」 首をかしげる。 雲雀さんは、扉の方を向いていたが、すぐに私の方に向き直った。 「ティッシュなら、そこにあるから。じゃあね」 「雲雀。何やってやがる」 声の方を見れば、銃を片手にリボーンがいた。というか、何物騒なもの持ってるの…。雲雀さんを見れば、楽しそうに口元を歪めてる。 「やあ、赤ん坊。お守がくるまで、話し相手になってただけだよ」 「赤ん坊じゃねえ。それに、お前はそんなキャラじゃねえだろ。あと、なんで話し相手になってて紫杏が泣いてるんだ」 え?あれ、私、泣いてたんだ…。 リボーンに言われて、初めて泣いてるって気付いた。 「さあね。僕には関係ないよ。もう一度、綱吉のところに行かなきゃいけないしね。サボってただろう?風紀を乱す奴は噛み殺す」 「……ハア、ツナなら、執務室に行く途中できっと会うぞ」 「そう」 雲雀さんはそういうと、一度だけ私をみて、扉から出ていった。その間、リボーンはずっと銃を片手にしていた。 雲雀さんが出ていって、少しの間、リボーンは壁際に立ったままだった。 私は、その様子をじっとみていると、リボーンは銃を懐にしまって、こちらに歩み寄ってくる。 「本当に何もされてないのか?」 何度もうなずく。 [どこに、いたの?] 「ああ、来客が来たんだぞ」 [おきゃくさん、もういいの?] 「ああ、ただの腐れ縁の奴だ。気にするほどじゃねえ」 腐れ縁ってことは、友達なのでは?と思ったけど、いいや。いてくれるなら。腐れ縁の人、ごめんなさい。 「で、何泣いてやがったんだ?」 [ゆめ、みた] 「夢?」 [だれも、いないの。ひとりで、へやにいた] ずっと、ずっと一人だった。ここに来るまで。 [りぼーん、きえちゃう?] いつか、私はあの世界に戻らなきゃいけないのかな? 「死ぬかと聞いてるのか?」 その問いに、首を横に振る。そして、さっき書いた紙をもう一度見せる。 「人は消えねえぞ」 そうじゃないんだよ。リボーン。そういう意味を込めて、それを見せたまま視線を向け続ければ、リボーンはかぶっていた帽子を手に取った。帽子のあとはつかづに、つんつんに立つ髪。 「俺も、きっといつか死ぬぞ。それでも、消えはしねえ。きっと」 [わたしは、きえる?] 「紫杏も、消えねえ。俺が、誰にも消させねえ」 帽子をとったことによって表れる、鋭い目が、私を見つめる。まっくらな夜のような瞳が見つめてくる。リボーンが、何を考えているのかなんて、全然わからなかった。それでも、いいかな、と思った。 消えないなら、それでいいかなって。 |